根源的恐れについては、以前別の記事にて解説しました。以下をご覧いただければだいたい理解できるかと思います。
今回は、この根源的恐れと対をなす要素である「根源的欲求」について見ていきましょう。
何とも地味な項目ですが、各タイプの人格の深い部分を示すのだからやるしかありません。どうぞ見て行っていただければと……。
根源的欲求とは
根源的恐れは、一言で表せば「自分は絶対こうはなりたくない」という強い拒否反応です。
エニアグラムに限らず言えば、食べるものがなくて飢えるとか誰からも徹底排除されるとか……エニアグラムであれば、それぞれのタイプのもっとも認めたくない自分の姿ですね。
で、根源的欲求は何なのかというと、「なりたくない自分に絶対ならないために欲しいもの」。あえて堅苦しく表現するなら、人として当然のニーズというやつです。
どれも人が生きるため、その人らしくあるために必要な要素ですが……生存本能や快適な生活に必要な基本的欲求であるせいか、とにかく暴走しやすい側面があるのです。
この根源的欲求が暴走し、根源的恐れを避けるために過剰に反応した結果、最後にはエニアグラムの話で避けて通れない囚われへと変わっていきます。
つまりどういうこと?
少しややこしい話になってしまいましたね。簡潔にまとめましょう。
まず、根源的恐れと根源的欲求が人には存在します。
「なりたくない自分の姿を恐れる」「そんな自分にならないために、必要なものを追求する」。
ですが、その過程で「根源的恐れを避けるのに必要なもの」を過剰に欲しがり、それが最後には囚われとして現出する。こういうことです。
タイプ6を例に挙げてみましょう。
タイプ6が欲しいのは、安全と安心です。自分を信用することが悪いことのように思えてしまい、絶対的な正解や「これに従えば間違いない」というバイブルを探しています。
ですが、「安全でいたい」「正解が欲しい」と思うあまり、タイプ6はしばしば暴走してしまうのです。
例えば変な宗教を信じきったり、詐欺師やペテン師を信じて搾取され続けたり、自分が野球が好きだからという理由でサッカーファンがいかに劣った存在かを周囲にアピールしたり……。
常識やルールの絶対視や集団に合わない個性を持った人の徹底排除、「みんな一緒でみんないい」みたいな思想なんかは、日本にいれば日常茶飯事的に見かけることだと思います。
要するに、安心でいたいあまり異端や例外の存在を認められないわけですね。
段階が進むと、違う考え方への徹底弾圧を正しい行いだと信じて疑わなくなったり、周囲に過剰な期待としょーもない失望を繰り返すメンヘラと化すかもしれません。
こうやって、タイプ6は安全欲しさに、文字通り破滅するまで危険や不調和に過剰反応するのです。
当然、タイプ6に限った話ではありません。根源的欲求を追求しすぎると、どのタイプも等しく破綻の末路を辿ります。
各タイプの根源的欲求
タイプ | 根源的欲求 | 欲求の屈折 | 囚われ |
---|---|---|---|
1 | 高潔でありたい | 批判的完璧主義に陥る | 囚われ:怒り |
2 | 愛されたい | 必要とされたいというニーズに陥る | 囚われ:プライド |
3 | 価値ある存在でいたい | 成功の追求に陥る | 囚われ:欺き |
4 | 自分自身でありたい | 自己放縦(無軌道で身勝手)に陥る | 囚われ:嫉妬 |
5 | 有能でありたい | 無用な専門家に陥る | 囚われ:ためこみ |
6 | 安全でありたい | 信じている考えに対する執着に陥る | 囚われ:恐怖 |
7 | 幸福でありたい | 必死の現実逃避に陥る | 囚われ:貪欲 |
8 | 自分自身を守りたい | たえざる闘いに陥る | 囚われ:欲望 |
9 | 平和でありたい | 頑固な怠惰に陥る | 囚われ:怠惰 |
根源的欲求は、健全段階になってもまだ「満たせた」という実感を覚えられません。根源的恐れも囚われも、同じく健全度最大のレベル1になるまで取り除けません。
要するに、それだけ大きな要素というわけですね。その人の性格の大きな部分になり得るので、地味でも重要な項目と言えるのです。
極貧生活を強いられた人がガメつくなるとか、親にも教師にも虐待されて育った人はめちゃくちゃネガティブになるか凶暴になるかの二択とか、それと近い話なのかもしれませんね
目覚めの注意信号
いかに健全な精神を保っていても、相手は自分の本質にも影響を与える根源的欲求です。油断してるとひょっこり顔を出し、ついつい過剰に求めてしまいます。
健全で良好なメンタルを保っていたとしても、何かの拍子で囚われを強めてしまうこともあるのです。
健全度については以下の記事をご覧いただくとして……
特に健全な状態から通常段階へ落ちる時に見られる傾向を「目覚めの注意信号」と呼んでいます。
さらに通常段階からさらに不健全段階に落下する時に警告信号が発せられるとされていますね。
というわけで、次は目覚めの注意信号と、警告信号となる恐れについて見てみましょう。
各タイプの注意信号
1 | すべて自分で解決しなければならないという、個人的責任感を感じる |
2 | 相手を取り込むために、人のところに出かけていかなければいけないと信じる |
3 | 地位や関心を得るために、自分を駆り立て始める |
4 | 想像力を通じて、気持ちに執着し、強める |
5 | 現実から逃避して、概念や知的世界に入り込む |
6 | 自分の外にあるものに、導きを求めて依存しはじめる |
7 | よりよいものがどこか他で手に入ると感じる |
8 | ことを起こすために押し進み、闘わなければならないと感じる |
9 | 表面的に人に合わせる |
これらはどれも、囚われの表出化の注意信号です。
この気持ちに従って根源的欲求を強め、「なりたくない自分」から意識して遠ざかるようになり、「自分はこうでなければならない」と自分のあり方に執着するようになります。
一方で、周囲にもそんな自分に合わせた役割を求めるようにもなっていきますね。
これ以降、自分の「こうでなくてはならない」という強迫観念に従えば従うほど健全度は落ち、心に余裕がなくなっていきます。
警告信号
自分の考えや強迫観念が強まって固着化していくと、いつか限界にぶつかってしまいます。
もはや自分ではどうしようもない大きな壁にぶつかった時、なりたくない自分が目前まで迫っているかのような恐れを強く感じます。
これが、不健全に陥る前に発せられる警告信号です。
1 | 自分の理想が実際には間違っていて、逆効果であることを恐れる |
2 | 自分が、友人や愛する人を追い払っていることを恐れる |
3 | 自分が失敗しつつあること、空虚で詐欺的な主張をしていることを恐れる |
4 | 自分人生をダメにし、せっかくの機会を無駄にしていることを恐れる |
5 | 自分が世界において、または人との関係で、居場所を見つけることがないだろうということを恐れる |
6 | 自分自身の行動が、安全を損ねていることを恐れる |
7 | 自分の活動が、痛みと不幸せをもたらしていることを恐れる |
8 | 人が自分にそむき、報復するだろうということを恐れる |
9 | 現実に迫られ、自分の問題に取り組まざるを得ないだろうということを恐れる |
ここに書かれている恐れがもし現実味を帯びているならば、不健全化も近づいていると思ってよいでしょう。
この恐れをどこかで感じた人がとれる手段は2つです。
- そうなった原因を探り、改める
- 投げやりな自己敗北、あるいはより執着を強めて恐れに対抗する(不健全化)
あ、ちなみに鉛の法則もこの恐れと同時に表出化することが多いようですね。
怖がってるぶん、やっぱ人を同じ状況に貶めないと気が済まないんでしょうか?
滅多に不健全にはならないんですけどね
何だか強迫っぽい内容になってしまった気もしますが……大丈夫です。基本的には、不健全に至るにはとてつもない破壊力ある出来事が必要です。
不健全状態は、いわば「もう死ぬしかない」と絶望するレベルの精神のドン底。大概の人はストレス発散や他人への嫌がらせ(鉛の法則)を通してどうにか不健全状態を回避します。
そもそも人にはある程度レベルの下限があり、その範疇で健全度が上下しています。この下限を突き破るには、それこそ自分の人生哲学を一切合切ぶち壊して自殺未遂まで追いやられるような、莫大なエネルギーが必要になるのです。
自分自身を文字通り「捨てる」「どうでもいいものとして扱う」までならない限り、不健全とは言えません。つまり、案外まだまだどうにかなります。
警告信号も、見方によっては自分の囚われに気づかせてくれるメッセージとも言えるでしょう。
悲観せず難しく考えず、「そういうものだ」とだけ思っていただければ幸いです。
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【エニアグラム】囚われのもと?各タイプの根源的恐れと根源的欲求
【エニアグラム】各タイプの根源的恐れと根源的欲求を自分なりに考えてみる
筆者:春眠ねむむ
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