今回まとめていくのはタイプ1の囚われとされている「怒り、憤怒」についてですね。
怒りといえば、普通は烈火の如きマジギレとか雷みたいな怒鳴り声を想像してしまいますが……どうやらタイプ1の怒りはそんな単純なものではないようです。
ではどういうことなのか?その辺りを、今回はまとめていきましょう。
THE・フラストレーション

タイプ1の怒りは、「コラー!!」とか「ふざけんなテメェ!!」みたいな、単純でわかりやすいものではありません。
キレるというよりはフラストレーションに近く、「こんなに頑張ってるのにどうしてできないんだ!」「どいつもこいつもやる気あるのか!?」みたいな愚痴に近いところから発生していきます。
タイプ1の特徴といえば、最低妥協ラインの高さと完全主義的な思想。
設定するハードルの高さもさることながら、「これくらい当然」とばかりに自分にも他人にも清く正しくあるよう迫ります。
ですが、誰でも「正しい」とか「善良」とか「完璧な方法」とか、そう言ったものを求めているわけではありませんよね。
そんな自分と周囲の温度差が、タイプ1にとって大きなストレスになります。
「なんでみんな頑張らないんだろう」
「自分だけがどうしてこんなに熱くなってるんだろう」
「私はこんなに頑張ってるのに何も進歩しない……」
と、自他にそんな思いを抱えながら、イライラや鬱屈とした気持ちをどんどん溜め込んでいく。
これがタイプ1の囚われが「怒り」と言われている原因ですね。
怒りは敵、怒りは敵……
タイプ1はこんな感じで、やる気がない(本人目線ではそう見える)周囲や自分に内心イライラしていることが多いタイプ1ですが、意外にも本気でマジギレすることがほとんどありません。
むしろ怒りを自分でもまったく自覚していないことの方が多いです。
というのも、清く正しいタイプ1にとっては、感情的になってキレ散らかすのはみっともないこと。
特に、感情的に喚き散らすのは論外です。
何より自分がダメ人間だとどんな指摘も筋が通らないので、「怒らず理屈で人を諭せる大人」でいようと無意識レベルで心に決めているのです。
なので、冷静に話したり指導という形をとることで、相手の行動を自分の理想通りに近づけようとする。

要は「大人対子供」の構図ですね。
道理もわからない子供のような奴に、自分が大人として道理を諭す。そういうコミュニケーション大好きっ子です。キモいですね
基本的に自分自身の怒りを表現せず、抑えつけることで大人のように振る舞う。
こうやってタイプ1は無自覚のうちに怒りが増し、「どうして私だけが頑張っているのだろう?」という本音の愚痴すら誰にも打ち解けられずに、フラストレーションを溜め込んでいくわけです。
正しさ大暴走……なことも
タイプ1の望む世界は、「みんなが清く正しく、より良い世界に向けて粛々と生きる清廉な世界」。
人によって正しさや清い世界の定義はマチマチですが……中身がどうあれ、正しさを究極的に突き詰めれば「みんなが良心と規範を守る秩序立った世界」に行き着くのではないでしょうか。
そしてそれ自体は悪いことではないのですが、自分が考える正しさに意識が向くばかりに暴走してしまうことも……。
例えば100点満点中99点であってもマイナスされた1点を気にしてしまうところがあり、ひどいと「これは99点じゃない。ー1点だ」とか言い出すこともない話ではありません。

なんか孔子の食生活が頭に浮かびましたよ……。
煮崩れしたり切り方が綺麗じゃない食材、味付けがちょっとでもマイルールと違う食材は死んでも食べない。
うーわ、絶対タイプ1だろ、あの人……
「正しいもの以外認めない」
「正しくないものは無理やりにでも矯正する」
清廉へのこだわりや使命感、そしてその裏にある「思い通りにならない奴は許さん」という怒りが暴走し、細かいところや明らかにどうでもいいところで急に火が灯ることもあるかもしれません。
静かに、諭すように、でもネチネチと本音や毒舌も(無意識に)混ぜながら、自分の正しさを強要する。
あるいはどんな事情や理由があれ、正しくないものを悪として切り捨てる。
さすがにここまでくると不健全気味ですが……正しさへの執着が強すぎてたまに暴走するタイプ1も意外と見かけます。
怒りはある程度外に出すべき
タイプ1自身が怒りとどう付き合うかというと……やはりまずは怒りを認める。それ以前に気付けるようになるところからのスタートになるでしょうか。
やはり内心不満だらけなのに「絶対怒ってないし、間違ったことを否定しているだけだ」では、自分の感情を押さえつける一方です。

まあ怒りが悪って気持ちもわからんでもないですけどね。
でも、全く怒らないことなんてできないわけで……たまにみっともないタイプ1が出てくることもあります。面白いですよ、キレまくるので
飾り気なしの正直な気持ちをぶちまけても、これまで作り上げてきた自分の人格を否定することにはなりません。
むしろ正直な気持ちを認めなければ、「こうあるべきだ」という理想と気持ちの区別がつかず暴走していくでしょう。
結局嫌でも、「こうあるべき」という気持ちは感情から生じるものです。
まずはそこを認めるところから始めることが大事です。といっても、それが難しいのですが……。
酒の席では無礼講
たまには正論や理想を抜きにして愚痴ったり相談することも、今の自分の段階やレベルに気づき、成長していくための大事な要素になりますよ。
まずはストレッチでもして心身をほぐして暖かい風呂にでも入ってから、人間的に信用できそうな人と酒でも飲みながら愚痴を吐いてみてはどうでしょう?
この時、相手には正しさや賛同を求めないこと。そのためにも、飲み交わす前に自分にしっかりと言い聞かせましょう。
「酒の席では無礼講!」

マジで何させようとしてんだ、この筆者は……
善悪の裁定者ではなく1人の人として、相手の意見を「それは違う!」「これは正しい!」ではなく、「こういう考えもあるのか」「私はそう思われてるのか」という視点で見れば、新しく気づくこともあるはずです。
タイプ1に必要なのは、「正しさを見極める賢さ」よりも「相手の正しさを認める余裕」です。
正しさを選ぶ力は必要以上に備わっています。
ならば次に必要なのは、「相手の事情や相手ルールを理解すること」。
これを理解できれば、タイプ1は今よりさらに素晴らしい人物になり、言葉にもより説得力や重みが出るはずです。
まとめ
というわけで、今回はタイプ1の囚われに関する内容をお届けいたしました。
タイプ1にとって、自分の感情を見つけること、認めることは容易ではないでしょう。どうしても自分の理想と照らし合わせ、「これは正しい」「これは間違い」とやってしまうものです。
ですが、それらは怒りという囚われを生みます。というのも、「こうあるべきなのに」「周りは正しさを求めていない」という周囲との意識の差が生じ、それが怒りに転じるからです。
「こうあるべき」が絶対的に正しいという根拠はなく、また誰の目から見ても崇高であるわけではありません。
まずは自分自身の「こうあるべき」という心の法律、内なる裁判官の存在を把握し、向き合うことで、囚われという概念から解放される第一歩を歩み出せるのではないでしょうか。
と言ったところで、今回はここまでですね。他にもいろいろな記事を上げていますので、興味が湧かれたならば色々と見てやっていただけますと嬉しいです!
筆者:春眠ねむむ
X :@nemukedesiniso
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