タイプ1は真面目でちょっと堅苦しい優等生タイプ。もっとも、真相意識にはそんなしっかり者としての優越感や保身の意識があったりしますが……基本的には、善意と高い道徳精神を行動の動機にしている人たちです。
さて、正直、統合や退行の仕組みに関しては他の場所でも軽く触れていきましたが……今回はより的を絞って詳しく見ていきましょう。
※退行は本来ならば分裂の方が書籍等でよく使われる正式な記載になりますが、本サイトではネット上でより浸透しているであろう「退行」で統一させていただきます。
タイプ1の退行
退行:タイプ4
退行については、以下の記事をご参照ください。
退行までの道
どれだけ高潔でしっかりした人でも、自分がやったことがあまりにも無意味だと悟ると堕落します。
一人で気負って張り切ってみても、自分では背負いきれない主にを背負い続ければいつかは押し潰されます。
タイプ1も、囚われの怒りが失望に変わった時、あるいは自分一人ではどうしようもない問題をどうにかしようとして疲れ果てた時に大きなストレスを覚えます。
「自分一人が頑張って、なんだか馬鹿みたいだ」
「苦しい、重い。もはや状況はどうにもならない」
タイプ1にとって、自分がどれだけ頑張ってもどうにもならない状況は大きなストレスです。
理想の世界に向けて努力や改善を積み重ねるのが生き甲斐のタイプ1ですが、努力でどうにもならない壁にぶつかればぶつかるほど、「この程度で詰む自分が不甲斐ない」とか「周りの奴らはやる気あんのか」とか、自分や他人に対する怒りが沸き上がっていきます。
そしてストレスが限界値を超えると、「もういいや!やーめた」と匙を投げて急に自堕落になったり、苦境に立たされた自分を助けてくれる存在を求めるようになるのです。
これがタイプ1の退行、より不健全になるのを防ぐための逃避ですね。
いつも肩肘張って、一切休まず100%の力を出すのは無理ですね、はい。
でも、タイプ1は不健全に傾きかけるとそれを「人として当たり前」って思っちゃうんですよね。
で、余計に退行しやすくなる、と……
退行状態のタイプ1
退行状態のタイプ1は、まるで吹っ切れたように他人にご機嫌取りをさせたり、何かと恋多くなったり酒やイケナイ遊びに逃げて気晴らしやストレス発散を図ります。
ですが、どれだけ堕落してもやはりタイプ1。他ならぬ自分自身が身勝手でわがままな振る舞いをして周囲に迷惑をかけるわけですから、これがさらに大きなストレスになります。
タイプ1は一通り好き勝手振る舞った後、今度は「自分は人としてやってはならないことをした」と激しい罪悪感や自責の念に蝕まれます。
これがタイプ1にとって大きな負担になり、また自分の理性もそんな自身の振る舞いを全否定することから、タイプ1は退行すればするほど逃げ場や弁明の余地を失います。
仮に人から不摂生や自堕落を問い詰められようものなら、恥ずかしさと逆ギレ半分で自分に無茶な制約を課して、痛々しいほどに自己抑制的に振る舞うこともあるでしょう。
極端にレベルが下がれば、今度は「自分は他の奴らと違って、これまで頑張ってきたんだ!」と努力を免罪符に持ち出し、堕落した自分を正当化し始める姿も見せはじめます。
特に不健全に落ちたタイプ1は自分を責める周囲と自分自身の両方からの批判を必死になって振り払おうとしますが、生来の真面目な性格がそれを許してくれません。
レベルが下がれば下がるほど身勝手に、堕落的になって自分を責める声から逃げ回り、また過敏で批判的な一面を強めていくでしょう。
レベルごとのタイプ1については、以下をご参照ください。
タイプ1の統合
統合:タイプ7
統合については、以下の記事をご参照ください。
単なるタイプ7に非ず
正直、たまにならタイプ1もタイプ7のように振る舞うことはあります(セキュリティ・ポイント)。
人間、どれだけクソ真面目でも冗談一つ言わない超堅物ではありません。通常段階のタイプ1も時には冗談を言う……というか、意外と冗談好きです。
フランクな下ネタおじさんとかやたら冗談めかしてものを言う愉快な人とか、意外な人がタイプ1だったりしますね。
何だかんだ、いつもどこでもビシッとしてる人ばっかじゃないのです
ですが、統合において最も大事なのは、ただのタイプ7ではなく健全なタイプ7です。
本文を忘れて浮気とつまみ食いを繰り返すだけでは、逆に「自分がダメになっていく」という感覚を覚えてしまうだけでしょう。
あくまで統合は元々の素質を持ったままするものというのを忘れず、まずは肩肘張りすぎた自分の存在に気づくところから始めるのが無難です。
統合状態のタイプ1
どれだけ冗談を言っても課題を前にすると恐ろしく意気込んでしまうのが、タイプ1によくある姿です。
ですが、統合状態にあるタイプ1は自然で使命感を感じすぎることはなく、物事の課題よりもポジティブな面に目を向けることが多くなります。
人の考えには否定でなく肯定の目線を向けるのが基本。自説や自分の理想を「絶対的なものだ」と気負うこともなく、「みんな違ってみんないい」を地で行く本物の聖人になり得ます。
無論、元来持ち得ている厳しさや悪を許さない心もそのまま。どう見ても倫理的にアウトなものや悪意に満ちたものだけは例外的に断固許さない姿勢をとるでしょう。
ですが、それ以外のものは基本的にオールオッケー。「ああ、あなたはそれを重視するのか」と自分以外の価値基準を積極的に理解し、自分と全然違う考えを持つ人には時々興味津々になりながらも、改めて自分の理想を洗い出し、無理せず少しずつ自分の進むべき道へと進んでいきます。
自我を解放することの恐怖
統合とは軽々しく口にしてみましたが……実は、タイプ1が健全化する上で大きな壁があります。
というのも、タイプ1は自分の感情、とりわけ怒りや憤りといった攻撃的な負の感情を自覚するのが大の苦手。
「感情的になるのは悪いこと!だから自分は怒らないし怒りも覚えない!」と、自分の中で決意してしまっているところがあります。
この結果がひたすら溜め込んでの退行や自己正当化といったレベルを下げる要素につながっているわけですが……正直、「無い」と思い込んでいるものを自覚するのは難しいです。
また自覚したところで、今度は「怒ったら自分をコントロールできなくなる」という自制心が強いブレーキになります。
社会では怒らない人の方が理想とされるかもしれませんが……周りの都合と自分の心の健康は別物です。
というより、タイプ1は既に自分の怒りを正義や義務などと言った言葉で正当化して、いかにもそれが理性であるかのように放出してしまっているのが現状です。
自分の表層意識ではどう思おうが、人は結局感情を捨てられるほど完璧じゃねえっす……!
怒りを「出さない」よりも「自覚する」方が結果的にダメージも少ないし、感情の処理も効率的です
まずは自分が色々と無理しすぎていることや、「改善せねば」という使命感や義務感の裏に潜む怒りや悪意の感情を自覚しましょう。
悪意を持たない人なんてこの世にいませんし、そんな人間がいるのなら、それこそ感情反応をほぼ無くすロボトミー手術でも受けているのでしょう。
悪感情も怒りも、それ自体に罪はありません。あなたは、あるがままの自分を認めればいいのです。
筆者:春眠ねむむ
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参考書籍
エニアグラム解説
タイプ一覧
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