日本人の自信と自己肯定感の低さをエニアグラムの観点から考えてみた

エニアグラム

日本人は自己肯定感が少ない。無個性を好む。自分に自信が無い。昔から言われてることですね。

実際、世間を見渡してみても、オロオロしてなかなか自分の意見を言わない人、虚勢を張って何とか自我を保つ人、自分より下の人間をバカにすることでかろうじて安心を手に入れる人などなど……自信の無さが生きづらさや攻撃的な性格に転じてしまっている人も少なくありません。

今回は、そんな日本人の極端な自信の無さ、ひいては自己肯定感の無さを、エニアグラムという観点から見てみましょう。

スポンサーリンク

日本人はタイプ6気質

エニアグラムは人の性格や性質を9つのタイプに分類するものですが、その中でもタイプ6と呼ばれる分類の人が大半です。

詳しくはこちら

タイプ6の人たちは、基本的に自信が無い生き物です。世の中を魑魅魍魎の渦巻く恐ろしい世界だとすら感じることがあり、とにかく自分の能力を卑下し、疑う傾向があるのです。

素のままありのままの自分では到底生きていけないと頭のどこかで感じてるのがこのタイプであり、多くの場合、他者化……つまり自分以外の何かになりきったり、あるいは自分以外の存在を頼りすがることでどうにか生きていこうと考えてしまうわけですね。

例えば「形から入る」というのは、良くも悪くも他者化の側面があります。自分が尊敬する人を真似してみたり、あるいは「自分は強いんだ」といったような自己イメージを演じてみることで、頭の中にある理想の人物になりきります。

タイプ6……すなわち日本人の多くは、「元の自分では生きていけない」と考えた結果、強い相手への迎合や自分の理想像に自分を投影することで、何とか今日を生き延びようと考えているわけですね。

「社会で素を出すのは自殺行為」「仕事がどれほど嫌でも、辞めるなんて無謀にもほどがある」「勝つ側に属さなければ意味が無い」「自分は〇〇な人だから××するのが普通だ」。どれほど自分が強い人だと思っていても、こういう考え方には誰しも覚えがある人は多いはずです。

タイプ6の自己肯定感がなぜ低いのか

さて、日本人の多くがタイプ6だという話をしたところで、次はタイプ6がなぜ自己肯定感が低いのかを考えてみましょう。

まあその多くは「自分への自信の無さ」「存在を否定された(と感じた)過去」の2大巨頭が原因ですが……それであっさり終わらせるのはいささか面白くない。

あくまでタイプ6や典型的日本人の特徴と関連付けて、いろいろ考えてみましょう。

スポンサーリンク

自信と自己肯定感の関連性

まず自信と自己肯定感という言葉を混同して語られることがありますが……厳密にはこの2つはまったく異なる言葉です。

自信=自分の能力や実力など、「自分が持つもの」に対する信頼

自己肯定感=自分の存在そのものを許容する気持ち

と、こんな感じですね。自信は能力や実力、人脈といった自分のステータスや持ってるものへの安心感や信頼なのに対し、自己肯定感は自分が優れていようが劣っていようが「別にいてもいいし生きていても構わない」という考え方ですね。

まあこんな感じに近しいながらも全く意味合いの違う言葉ですが……特に典型的なタイプ6のように他人軸の人にとっては、自信と自己肯定感は大きく関係があるとも言えます。

というのも、他人軸の人の多くにとって、自分の価値や存在は他人からの価値に関係しているもの。人に認められるかどうかが存在価値に直結しているため、他人に利益のある特性=自分がPRできる強みが無いと、なかなか自分の存在を認めることができないわけです。

特に典型的な日本人もタイプ6も、共に仲間内に認められることで自分の存在を確立しようとする傾向があります。

だからこそ、自分を売り出せるポイント、すなわち何かに対して自信が無いと、「誰からも受け入れられない=生きる価値が無い」という思考になってしまいやすいのです。

必ずしも自信があるから自己肯定感があるわけでもその逆でもありませんが、他人軸で生きている以上、どうしても自信と自己肯定感が密接に繋がってしまうわけですね。

そもそも他人軸は自己肯定感を捨てる生き方

自己肯定感とは、言ってしまえば自分の能力に自信を持つのではなく、大げさに言えば自分自身の存在そのものに自信を持つこと。

他人に褒められたり認められたり称賛を受けたりでは、自信は高まっても自己肯定感はなかなか高まりません。これも、他人軸ぎみのタイプ6が抱える難点のひとつですね。

他人軸の生き方は万人受けしやすくなる=どこに行ってもそれなりに歓迎されるメリットはありますが、同時に自分の内面がおろそかになりやすいデメリットも含んでいます。

どれだけ称賛されようがどれだけ人から認められようが、単に能力を買われただけで存在そのものを認めてもらえるわけではない。

どれだけから褒められたり尊敬されても、褒められた点に関しての自信が高まるだけ。「〇〇さえしておけば認めてもらえる」は、「〇〇をやめれば存在する価値がなくなる」と同義なのは、おそらくどれほど称賛を求める人でもどこかでわかっている事なのでしょう。

他人軸にとっての自己肯定感は自信と深く結びつくとは言え、自信が完全に自己肯定感と同一化することはありません。

というかそもそも不安症で自分を信じない

ここまで他人軸だ何だと語りましたが、自分軸で生きようが他人軸で生きようが、そもそもタイプ6も日本人もかなりの自分不信かつ不安症です。「自分ごときが」という考えがどうしても根強いため何かに挑戦できない性格ですし、「圧倒的な能力を持った偉人でないと何かを成し遂げることはできない」という1種の信念を心のどこかで持ってしまっています。

他人軸で権威に迎合したり、あるいは自分の理想像と一体化したりして、自分以外の別の存在の意思決定に従おうとするところがあるんですよね。

昨今では「社会の歯車」の意味も少しずつ変わってきましたが……少し前は「歯車に意思は不要!頭なんぞより手を動かせ!」という考えが一定以上支持されていました。

これにはやはり「偉い人が自分の代わりにいろいろ考えてくれる」という下地があったのでしょうし、今でも人生設計すら人に任せてしまう人も一定数います。

他にも、「難しくてわからん」と保険や賃貸契約を全部プロに任せてしまうケースなんかが多いですね。

なぜこういう人任せな人ばっかりなのかというと、やっぱり「自分なんかがどうこうやるより、もっと上手くやれる人がいる」という考えがあるのでしょう。

しかし困ったことに、人に委ねて決めた道は、その人にとって最も利益がある道。自分の利益に必ずしもつながるとは限りません。

自分では何も決められないくせに、人の選び方もなってない。人にとってはどうでもいい存在なんだ。

そういう失敗体験がまたネガティブな感情と不安、自分への不信感を募らせていき、代わりに決めてくれる人を探すたびに、自信も自己肯定感も削がれていくケースはよく見かけます。

物事を重く捉えがち

タイプ6の考える世界は危険がいっぱい。街中で盛大にコケたとかシャツを裏表逆に着て出勤したとか、そんな小さなミスですら「自分には許されない」と重く捉えてしまうところがあります。

その結果、考えても仕方がないことも延々と悩んでしまうんですよね。なんせ倦怠期にそろそろ入りそうなくらい付き合いの長い恋人とのデートでも、晩飯のチョイスに失敗したらフラれるくらいに思っちゃってますから。

で、たまーに重圧に負けて勢い任せに決定して失敗し、さらに自信を喪失すると……。

当然自分ひとりで勝手に思いつめるだけでもかなりの悪影響が出ますが……問題は人にも同じ目線を向けてしまうことも多々ある点です。

つまり、人も自分も100点満点でなければ無価値。タイプ1もこの傾向はありますが、タイプ6のそれは味方と確信してる人こそ除外されますが、「満点から外れれば敵」という側面を含んでいるという点で、まだまだ面倒見のいいタイプ1との違いになります。

無論、味方であると確信を得てる間はまだいいです。タイプ6は味方には並外れて寛容なので、笑って許してくれるでしょう。

が、問題は「この人は絶対に味方」と確信が持てなくなった時や、「この人がいなくても意外とやっていける?」と思ったとき。

そういう「味方」という強いバイアスが外れた瞬間……もしそのタイミングで1点でも減点されてしまうと、どんなしょーもない原因でも重く捉えて敵視すらあり得てしまうのです。

さて、重ね重ね言いますが、日本はタイプ6社会。「誰が味方か慎重に見極めねば……」とかやってる人たちが多数派の社会です。

行きつく先は、人の行いも自分の行いも重く捉える減点方式の監視社会。味方以外はとにかく敵である以上、少しでも外れた人への風当たりも強くなります。

「自分がいつ脱落するかもわからない」なんてサバイバルゲームの中では、自分よりも脱落者を選ぶ権限を持った者の気持ちが最優先されて当たり前。

自分を粗末に扱うことが当然の世界では、自分を大事にしようがありません。ストレスも卑屈さも溜まる一方です。

自己感情すら捨てる思考停止と被管理願望

タイプ6も日本人も、いわば管理されたがりの面があることは否定できません。

自分に何かを決める力が無い。自己決定の責任も重くて受け止められないし、そもそも決定に失敗したら世間からの総スカンが待っている。

世の中が実際どうかは知りませんが……そんな考えをどこかで持ってしまっていたら、さすがに何かを決定するなんてなかなか出来たもんじゃありませんよね。

じゃあそういう人たちがどうするのかというと、よく言われている思考停止です。

「これは決まりだから」「常識だから」「マナーだから」と、外部で決定したことの実行者に終始して、極力頭を使わずに生きていく以外に、決定や決断を避ける方法はありません。

決断の重さを過大評価し、自己をちっぽけな存在と過小評価した結果、全部が怖くなる……最近よく聞く「思考停止人間」は、そうやって不安や恐怖に押しつぶされることによってできていきます。

考えることをやめて、偉い人に管理してもらい、自分たちは言われた通りの実行者に徹する。

もしかすると、「理由を聞くのは甘え」とか「自分で考えるとは、どうすれば命令を実行できるかを考える以外認めない」みたいな考えは、自分が目を逸らしている決断の責任が嫌でも目についてしまうから言われ始めた言葉なのかもしれませんね。

スポンサーリンク

類似性が結構高い両者

まあさすがに日本人の特徴全てがタイプ6と合致するわけではありませんが……、管理されたがりや思考停止、不安症などドンピシャで当てはまる特徴も多いんですよね。

そしてその多くが、自己肯定感の低さとも大いに関連性があるとくれば……なんか妙な因果みたいなものを感じないでもありません。

さて、そんな日本人やタイプ6が自己肯定感の無い卑屈な人をやめる方法と言えば、やはり不安を笑い飛ばして自信を持てるようになること……ですが、現実は難しいですよね。

とはいえ、こちらからも言えることはいくつかあります。まずは以下の言葉を、自分の中で復唱してみませんか?

  • 自分を導いてくれるものは、他人でも理想の自分でもなく等身大の自分
  • ちょっとの失敗を笑うやつは味方のうちにはいない
  • 自分で決められるだけでも価値があるし凄い事
  • 自分の事をもっとも知っているのは今の素直な自分
  • 最良の決定は自分の心の中にある
  • みんな自分で決めれば大抵どっかで失敗する。恥ずかしいことではない

自分で決めるのが当たり前になってくれば、少しは気持ちも楽になりますし、見たくなかった事実や物事も見えるようになってきます。

別段自己肯定感が人生に必須というわけではありません。ただ、「他人の庇護が無ければなにも成し遂げられない」という人はいないはずです。

とはいえいきなり実行は難しいでしょうから、まずは頭の片隅に「最終決定者は自分」「他人に自分のことはわからない」という考えを置いてみるところから始めてみませんか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました