今回はユング心理学より、外向的直観型について軽くまとめてみようと思います。
ガチ記事と異なり、こちらは比較的さっくりを目標にやっていければと考えています。
私なりのガチ考察が見たいという方は以下のページをご覧ください。
外向的直観型のあり方
彼らを一言で表すなら、「可能性の人」でしょうか。
他記事同様に「ユング曰く」となってしまいますが、大体こんな感じに語られていますね。
彼はこれから芽を出すものや将来の見込みのあるものに対しては優れた嗅覚を持っている。
要するに、「これは流行る!」とか「こいつはこれから成長する!」みたいな未来の可能性を見定め、物事の伸び代を把握するための嗅覚が発達したタイプです。
そのため、まだ見ぬ可能性とかこれか伸びていくものとかが大好き。伸び代ある分野や人材を好むため、自分が可能性を見出したものにはとことん興味を持ちます。
外向的感覚が「無能」と思った人を、このタイプは「こいつは大器晩成型。よってこれから伸びる」みたいに、しっかり値踏みして未来の可能性を評価するわけですね。
人生、オール、ギャンブル。なぜこれで生き残れるのか……
一方、別の書籍では「危険な可能性や未来の相場も予測可能」などと書かれてますね。
いずれにせよ、見ているものは未来。間違っても今ではありません。
一方、興味を無くしたときは見切りが早いですね。とりわけ安定していて現状維持のものや体制だったり、これ以上の伸び代を見込めないものに対してはさっさと見切りをつけてしまいます。
ユング曰く「見たこともないようなふりをして冷たく見捨ててしまう」。そこまでひどくなくても、おおよそ興味を無くしてつれない態度になってしまうことは少なくないはずです。
新しいものを生み出すこととかも得意そうですね。何にせよ、可能性がそこにあれば拾いに行く、革新的な人たちと言えるでしょう。
今この瞬間より未来に生きる
先述しましたが、このタイプにとって大事なものは未来。今この瞬間にはそこまで、というかほとんど興味がありません。
とにかく可能性、未来。このタイプが突き動かされるのはそれです。
例えば巨万の富を得たことで超有名な成功者が目の前にいるとします。ほとんどの人はその人に興味津々で、サインをもらいに行く人もいれば毛嫌いする人もいることでしょう。
ですがこのタイプはというと、その人そのものではなく可能性を見ています。
その人の人生がもし完成され、これ以上の発展を望めない場合……外向的直観タイプはまず興味を示しません。
結局このタイプにとって大事なのは、どこまで行っても未来の可能性。
たとえ素晴らしい存在が目の前にいても、例えば先述の成功者が人格的にも非常に優れた人であっても、このタイプが「可能性なし」と判断すれば、その人にほとんど興味を示さず、新たな可能性を探しに行くことでしょう。
また「今この瞬間に興味がない」ということは、自分の状態にも全く興味を示さないということにつながります。
要するにこのタイプ、結構テキトー。自分の成功に興味を示す人もあまりいませんし、むしろ「可能性の追求ができるなら手柄などどこぞの誰かにくれてやるわ」みたいな強者すら存在します。
彼らにとって、まだ見ぬものや今後の伸び代は自身を高揚させてくれる源のようなもの。それを抜きにして生きている心地は得られません。
自分のことや安全など二の次。このタイプにとっては、「次」こそが最も重要なファクターなのです。
変わらない日常は嫌
ここまで読んで察しのいい方は何となくお気づきでしょうが……このタイプにとって、変わらない安定した日常は基本的に地獄です。エニアグラムのタイプ9とかだったりしても、あまりいい顔はしないでしょう。
ユングは、このタイプと安住に関しては以下のように語っていますね。
tたとえいかに合理的で目的に適っていようと、また誰が見てもそこに安住した方がよいと思われる場所でも、かつては自由・解放と思っていたまさにその状況がある日ろうごくに見え出し、それに対する行動さえとるようになるのを、誰も止めることができない。
ちょっと違う意味合いっぽいですが……結局のところ彼らにとって変わり映えしない日常は牢獄同然ということですね。
すげぇなこの人たち……。
ちなみに筆者は、この心理機能を「外向的感覚と同じくらい成功に必要な機能」と認識しているようですね
もっとも、そんな日常を嫌う性格なため同じことの繰り返しが大嫌い。ようするに粘り腰に欠けるということです。
そのせいかくもあってか、可能性を感じなくなったら物事を即放棄。結果として真似事をした人間にすべての手柄をかっさらわれる事も少なくないのだとか。
とはいえ、この人たちにとって成功は二の次。そんなことより可能性を追いかける方が幸せそうなわけですが……。
劣等機能:内向的感覚
彼らの劣等機能は内向的感覚。要するに目の前の事実を見て自分がどう感じるかとか、快不快とか、そういう感じの機能です。
まずこのタイプ、目の前の事実をそのまま見ることがまずありません。「これがこの後どうなる」とか、「どのように変化していく」とか、見ているものと言えばそんなものばかりです。
そのため、今この瞬間を見ることは非常に苦手。あるいは「つまらない」とすら感じていることでしょう。
この人たちにとっては、感じていることよりもこの先の可能性の方がはるかに価値のあるものなのです。
また、体調管理も非常に苦手としていますね。
新たな可能性を見つけたら、まず飛び込まずにはいられません。そして、寝食を忘れてその興味事に没頭します。
そうやっていくうちにある時突然事切れたように眠るとか、急な体調不良で動けなくなるとか、そういうことを引き起こしてしまうのです。
しかも懲りない人たちなので、十分に体力が回復していないうちからまた可能性の探求に戻って行ってしまうことも……。
感覚の抑圧の末
彼らは基本的に自身と反対にある感覚機能(内向的感覚)を抑圧して生きています。
例えば先ほどの「体調管理をほとんどできない」というのも、自身の感じ方や今の状態を正確に把握する内向的感覚の欠如と言ってもいいでしょう。
彼らは可能性を見抜き、それらを花開かせるために寝食を忘れて行動します。そのため、私生活はとにかくメチャクチャになりがちですね。
ですがそれらが行き過ぎた場合、間違いなくよくない形で逆流・暴発してしまいます。
その多くは、いわゆる心気症というものだったり、あるいは「自分はダメかもしれない」という強い思い込みだったりします。
あるいは「いかにも似つかわしくない異性に入れ込むといった形をとる」とユングは語っています。
いずれも、よからぬ強迫観念や思い込みが生じさせる問題と言ってもいいでしょう。
今まで全く気にかけなかった反動でとにかく体調を気にしまくったり、唐突に「自分はこれでいいんだ」と言い聞かせるように不相応な相手と結ばれたり……分相応を無視したツケは意外と大きいのです。
所感・個人的に思う外向的直観型
兎にも角にも、可能性といった感じのタイプ。このタイプがいなければ新しい分野は発生せず、物事は停滞、すなわち緩やかな死を迎えるといってもいいのかもしれません。
そういった意味では、間違いなく革新の先手役。時代を切り拓き、文明を一歩先へと進ませるにはなくてはならない存在なのではないでしょうか。
「神話では嗅覚で表される」と言われているこの機能、外向的感覚と並んで敏腕の起業家にも結構いるのだとか。
外向的感覚が今この瞬間を観察した結果最適解を導き出すのであれば、こちらは二手先三手先の利益を嗅ぎ分ける人たちと言えるかもしれません。
その圧巻の行動力と先見性はやはりさすがといったところ。(頭の出来がそもそも違う気もしますが)見習いたいものですね。
飽き性ですが、ユング曰く「可能性のあるうちは面倒見が良い」とのこと。このタイプに目をつけられた場合、自信を持っていいかもしれませんね。何かしらの可能性を見出したということでしょうし。
あと、一見価値がないものの新しい使い方を見つけるのも得意そうですね。内向的感覚型が見ると「は?」と思わず二度見するような、それでいて理にかなった物の使い方ができそうな人たちです。
非常に意外性に富んだ人たちでもあり、そういった「他者と違った視点」「常識を度外視した視点」を必要とする分野でも活躍が見込めそうな人たちです。
一方で、その生活力のなさにも目が向きますね。このタイプ、基本的に可能性を見定める目と圧倒的行動力のゴリ押しで自身の生活力・管理能力のなさを補っていく人たちです。
直観型はどこかしら生活感というか実生活に関する能力を欠く一面がありますが、まさにこのタイプはズボラという一面でその性格が表出します。
忙しすぎて日々の小さな幸せを感じない人が多く、そんなことよりビッグな可能性に賭けてひた走る。そんな言葉がよく似合う人たちなのではないでしょうか。
まとめ
というわけで、今回は外向的直観型の人についてまとめてみました。
可能性の人。そう聞くと、非常に羨ましい人たちですね。その気になればおいしいところをまとめてかっさらっていける、外向的感覚と並んで成功に必要な心理機能と言えます。
一方でこちらは実生活が壊滅していますね。家庭的とは縁遠く、ビッグドリームのために手持ちのあらゆるものを犠牲にする側面も持ち合わせています。
もっとも、先述の通り革新の先手役にはうってつけの人たち。これからも新しい可能性を日々編み出していっていただきたいものです。
といったところで、今回はここまで。他にもいろいろな心理機能を解説していますので、そちらも併せてご覧いただければ幸いです!
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