【ユング心理学】内向的感情型とは

ユング心理学
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今回はユング心理学より、内向的感情型について軽くまとめてみようと思います。

ガチ記事と異なり、こちらは比較的さっくりを目標にやっていければと考えています。

私なりのガチ考察が見たいという方は以下のページをご覧ください。

内向的感情型のあり方

ユング曰く「静かな水は深い」「主観的な感情に左右されている」。

前者の意味は、彼らの難解さを表しています。ユングは彼らを指して「近寄りがたく不可解」と評しています。

後者は、もうわかりやすいですね。基本的にこのタイプは自分の感情や思いに従って生きています。これを「思慮が浅い」と結論付けるのは早計ですが……とりあえず考えた結果<感じた通りといった価値観です。

要するに、自分の感情に非常に正直な人たちですね。客体(主に客観的事実)は二の次、自分の信念や価値観、そして素晴らしいと思ったものに従って行動します。

基本的に動機や感情はシークレットですが、確かに存在します。そしてそれらに従い、それらに忠実に生きているのが内向的感情型の人たちです。

あかつき
あかつき

基本的にお気持ち表明することは少ないですね。でもたまにめっちゃする人もいるし、たまにしてくることも……。そこが怖いんですよね

なんだか口やかましくお気持ち表明して考えることを否定してくるような連中ばかりに見えますが、そんなことをするのはごく一部に限られます。多くは自分の価値観を内に秘め、静かに燃える炎のように淡々と体現します。

ひどい人になると「自分が好きではない人などどうなろうが知ったこっちゃない」と本気で思っていますが、まともな人でも周囲からは「どうせ周囲はどうでもいいんだろ」と思われる悲しい宿命を背負った人たちでもありますね。

ごちゃごちゃと語ってしまいましたが、要するに以下のような人たちです。

・自分の気持ちに正直
・でもその気持ちは見えづらい
・第一印象は淡々としている

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理解されるには一苦労

何を隠そうこの内向的感情、人から理解されるには多大な苦労を要します。そもそも自分が外界にアピールする手段を持たない上、その価値観は結構複雑だったり難解だったりするからです。

要するに、このタイプは間違っても馬鹿ではありません。自分の価値観や信念に基づいて、物事のいい悪い、何が正しいかなどをはかっているのです。

ですがそんなことなど周囲はつゆ知らず。当人たちが淡々としてちょっととっつきづらいオーラを出しているのもあって、いくら接しようとしてもなかなかその思いが伝わりません。

ユングはその理解の難しさを、以下のように表現しています。

その豊かさを近似的外面的に描写したり伝えるだけでも、非凡な言語的ないし芸術て表現能力が必要となる。

この辺内向的思考も似たようなものですが、内向的思考型と比べてさらに難易度は上がるでしょう。

というのも、内向的感情型が従っているのはその場で感じたことや自分なりの信念。

これを言語化するのは結構難しく、「ただ自分はいいと思ったからやった」「悪いと思ったからやらなかった」と、結構曖昧にしか把握できていないのです。

彼らの中には高度な道徳的・人道的規範があることがほとんどですが、それらを伝える手段を持たないことで、周囲の理解をなかなか得づらいのは否定できません。

あかつき
あかつき

ちなみに理解者にしっかり恵まれると、道徳倫理のいい模範ないし規範となる傾向があるとか。

……私はそもそも道徳に価値など感じませんが

信念もピンキリ

そんなこんなで感情由来の信念・理念を持つ彼らですが、当然それらは感情によって左右されます。

要するに、ピンキリです。その感情が個人的な道徳・倫理に基づくものならば良い方向に、無意味なこだわりや自分以外はどうなってもいいという思想ならば悪い方向に転がることが多いですね。

例えば先ほどもお話ししたように、このタイプは既存のものをさらに磨き上げた素晴らしい道徳規範を作り出すこともあります。実際、高潔な人格者も他の機能と比べて比較的多いです。

ですがこれが「自分が正しいと思ったもの以外は全て悪だ」という過激思想の道に向かったならば……外向的思考以上に、それも意図的に落伍者を増やす危険人物へとなり果ててします。

結果として何が待っているかというと、察しのいい方ならばなんとなく察せるでしょう。周囲が犠牲になるか、当人が痛いしっぺ返しを喰らうかのどちらかです。

どちらにしろいい結果を迎えないので、信念もいいことばかりではありませんね。

このように、彼らが持つ価値観や信念はピンキリ。これが極限まで強まると「自分と親しい人以外は滅んでしまって構わない」という思想のもとに行動するようになってしまいます。

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劣等機能:外向的思考

基本的に心優しい人が多い内向的感情型。その裏にあるのは外向的思考です。

基本的にはこれらは、ちょっと淡白な反応として表出しています。外界には思考ありきで接する傾向があるのです。

しかしその思考は粗く稚拙なものが多いため、外向的思考型ほど器用に明るい性格を維持したまま規範を持ち出せません。

そして何より、情報の取捨選択にやや難があります。うまく有益な情報とそうでない情報を区別できないのです。

そのため山のように転がる情報や資料に圧倒されたり、何が何だかわからなくなることがしばしばあります。

また、この「何が何だかわからない」は自分の信念にもかかってきます。

自分の信念をうまく言語化できないのも、そもそも漠然としか掴めないのも、全てはこの外向的思考が未熟であるからです。

さらに言えば、自分の感情を抱かせた相手や出来事に関しても、うまく言語化できません。

このタイプの判断機能は生きてはいますが、情報収集と自己表現において難を抱えてしまうのです。

思考を抑圧しすぎると

感情的判断を考えて出した答えよりも優先する。これ自体はこのタイプのよくある行動です。

ですが同時に思考機能そのものを「野暮」と無価値に思う人も一定数おり、そういった人たちは大抵思考機能を抑圧して生きています。

それらがひどくなれば、「自分の信念こそが正しい」という確信を生み、さらには個人的な好き嫌いから生じた残忍さが顔を出し、気に食わない相手を積極的に攻撃する人も現れます。

ではこの抑圧がすぎた結果どういった事態を招くのかというと、思考機能の暴発です。

暴発した外向的思考は他人の考えや行動に注意を払うようになり、主に裏切り者や敵対者の炙り出し、そして自分に対して何かしらの謀を抱いている者がいるという確信にもつながることがあります。

こうなってしまえば、敵対者と思しき存在に対して猜疑心が生まれ、相手を蹴落とすための手札を手に入れようとしたり盗み聞きしたりして、なんとしても蹴落とされまいと躍起になることでしょう。

美徳も美学も他者を蹴落とすための建前に成り下がり、どんな卑劣な手段を用いてでも相手を潰すようになります。

所感・個人的に思う内向的感情型

思いの力は強し、とは言いますが、それを体現したようなタイプですね。

自分の思いを曖昧ながら確かに持ち、言語化に苦しみながらも、確かにある思いを滔々と口にする。ある意味、成長系の主人公を彷彿とさせます。

このタイプの一番の特徴は、やはり個人的な思いや感情でしょう。

これは単なる好き嫌いやお気持ちだけでなく、信念や価値観も含まれます。

それらの思いや感情が非常に強いタイプであり、繊細ながらも打たれ強く、少しずつでも理解を得ようと、あるいは昨日の自分よりも理想に近づこうともがき続ける。体感として、そんな人が多かったように思います。

自分の理想とするところや思いには忠実で、理想を持ったならば泣き言を言いながらでも着実に進もうとするその姿勢には脱帽です。

とはいえ、外面からはその様子は分かりませんね。本当に淡々としていますし、このタイプに「あんまり好きじゃない」と思われたら、結構冷たくあしらわれます。

やはり好き嫌いの激しさは否定できないでしょう。

とはいえ、基本的に相手に対しては中立的・そしてちょっとは好意的に接しようとする。そんな感じの人が多いような印象もあります。

一方で、不健全に陥ると一気に猜疑心が爆発するのも内向的感情型あるあるですね。自分の感情により固執し、それに反する者は全て敵と見做し、先んじて相手を蹂躙しようとする。そんな人も見たことがあります。

あと、お気持ち表明を始めて場を引っ掻き回すのも、大抵は不健全な内向的感情型ですね。

どうあれ、自分に正直なタイプ。それだけに自分を見失わず、どこまでも自分と仲間のために尽くせる人たちです。

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まとめ

というわけで、今回は内向的感情型についてまとめてみました。

正直、その信念と独自の道徳観念は凄まじいですね。まあその姿勢も長短ありますが……個人的にはかくありたいものです。

巷では「不要」「お気持ちだけの機能」とする声もありますが、実態を見ればそうでもありません。美学なければ形式も決まりませんし、その道徳心から本当に人望を手にするのも、こういう人たちです。

マスコットとしての使い道も、人を引っ張っていくタイプの人になれる可能性も十分あります。無能と断定するのは、さすがにあんまりなのではないでしょうか?

といったところで、今回はここまでですね。他にもいろんな心理機能の説明をしておりますので、よろしければそちらも併せてご覧いただければと。

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