いじめは大抵の場所だと発生します。もはや人類の宿命であり命題と言っても過言ではないでしょう。
まあ散々いじめられっ子側の立場についてお話ししましたが、今回はいじめっ子の立場から、その心理状況と改心の可能性を考察していきたいと思います。
そもそもいじめの定義とは?
正直、いじめに定義もクソもあったものではない気もしますが……一応、いじめとはなんぞやというものを文部科学省のサイトから引用してみましょう。
本調査において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。
(※) なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
文部科学省「いじめの定義」
要するに、いじめの条件は以下の通りということですね。
- お互いがある程度接する機会のある人間関係である(クラスメイト、職場内の同僚・上司など)
- なんらかの行動に対して精神的な苦痛を受けている人がいる
- 悪意、あるいは害意がある(からかい目的、おふざけでの暴力など)
つまり被害者側が何らかの被害を受け、しかもそれによって「いじめられた」と感じれば、いじめというものが成立するわけですね。
この辺の文言からは、省庁の苦労がうかがい知れますね。
「精神的苦痛を受けた」だけでいじめが成立するなら、ブサメンが外出して周囲を不快にさせたとかいう事例もいじめになっちゃいますし。
……筆者生きてるだけでいじめっ子やん!
いじめる側の心理
ここでつづけていじめの手順や種類を語っても仕方ないので、いきなり本題に行きます。
正直、いじめる側の心理に大人も子供もありません。全部いっしょです。というわけで、ここでは大人・子供と下手に区分けせず、ひとまとめにして語っていきましょう。
ちなみに攻撃行動における心理は以下の記事をご参照ください。ぶっちゃけ、今回の答えはここでもわかります。
そもそも生い立ちが不運
まず言えるのが、「家庭や周辺環境に不安分子や不和があるのはいじめられっ子に限った話ではない」ということですね。
例えば親からは半ば嫌われているとか、ネグレクトやDVを受けている、あるいは担任に嫌われて理不尽な目にあっている……大人のいじめも、そういう過去を背負っている人は結構多いです。
自分ではどうしようもない状況で生きる以外に道がなく、慢性的に絶望感と無力感を背負っているタイプの人が非常に多いですね。
そんな人たちが気晴らしに選ぶ手段の一つが、生い立ち不遇な自分以下の人間を自ら作り出せるいじめという手段なのでしょう。
気晴らしにもなる。自分以下の非人間を作り出すことによって、「自分はあいつらより幾分マシだ」と言い聞かせ、それを糧に頑張れる。そういう人も少なくないと思われます。
もっとも、だからといって誰かをいじめることが許されるわけではありませんがね……
こういうタイプは、いじめ以外にも半グレになって社会的にさらに孤立するタイプも多いですね。
あるいは外面の良さだけは磨いて巧妙にいじめを隠すタイプもたまにいます
欲求不満
また、不運というほどではありませんが、ちょっと不満が溜まってイライラしているところにちょうど獲物を見つけてやっちゃう人もいますね。
むしろみんながみんな不幸ではないぶん、こっちの方が多いかも知れません。
ストレスを溜め込むと、みんなどうしても短絡的になってしまいます。ましてやもともとその素養がある人(共感性や良心が高くない人)は、よりいじめという手段を選びやすいでしょう。
「人の不幸は蜜の味」と言いますが、この人たちにとってはまさにその通り。
自分の力で人がダメージを負った事実を見て万能感を覚え、それによってのたうち回る人を見て「空見たことか」とスカッとします。
このタイプの人たちは「我こそ正義!」と大見得を切りたい正義病患者も多いですね
自己肯定感が低い
自己肯定感の低さ、つまり自分をダメな奴、価値のない奴と卑下する人も、時としていじめっ子と化すことがあります。
というのも、自己評価が低すぎる人が取れる手段が、原則以下の2つしかないからです。
- 自分を「ダメなやつだ」とみなして見限る
- もっとダメな奴を作る
ある意味、不幸な人とは別ベクトルで「自分以下」を作り出すわけですね。
自己肯定感が上がらない限り、この手の人たちは同じことを繰り返すでしょう。
嫉妬心
「なんでこんな奴が……」と、そんな気持ちもまた、いじめにつながる爆弾と言えるでしょう。
人間、なんだかんだ先入観を捨てきれません。「こいつは自分以下だ」と一度思えば、その通りでなければ満足しないでしょう。
つまり、自分以下だと思っていた相手が実は自分より上だったと知った時、その劣等感や不快感がいじめにつながる可能性も大いにあります。
筆者もたまたま里帰りしたら「会社を懲戒解雇になって鬱を患って帰ってきた」って噂が立ったことがありましたっけ……
対抗心
ほとんど嫉妬心に近い形で発生するいじめですね。
勝手にライバル視して勝手に勝てないと絶望し、勝手にいじめてくる。理不尽極まりないですが、人間心理にはそういう形もつきものです。
これに関してはもらい事故みたいなものですね。こちらをどう思うのかもいじめに発展するかどうかも相手次第なので、防ぐ手立てのなさという意味ではタチが悪いです。
楽しいから・なんとなく
これ言うと大抵の人は否定しますが……なんだかんだ言って、いじめは楽しいです。スカッとします。むしろ、これを認めずしていじめへの対処や原因追及は不可能に近いでしょう。
究極、理由なんてありません。どうでもいい後付けです。ひとは誰かをいじめたいからいじめる。だからこそ事後対策に力を入れなければならないわけですね。
今いじめ対策の話なんてしてないんだよなぁ
とにかく、なんとなく不快とか楽しそうとか、そういうくっだらない理由でもいじめは余裕で発生します。むしろ建前を取っ払えば、これが一番多いのではないでしょうか?
みんなと仲良くしたい
突然ですが、みんなとの絆をより深める手っ取り早い手段とは何でしょうか?
本当にこの難題にぶつかった時、多くの人が思い浮かぶ答えが、残念ながら「共通の敵を作る」と言うものです。
というわけで、どうでもいい人や自分にダメージがなく、かつ悪目立ちしている人を生贄にして、みんなと仲良くなろうと図る人も中にはいます。
こういうひとにとっていじめの対象はもはや誰でもよく、そのぶん悪質と言えるかも知れません。
いじめっ子の改心の確率
さて、それではいじめっ子の改心の確率ですが……まあ、絶望的でしょう。おおよそ、処世や保身のために改心したフリをして、こっちは会いたくないのにわざわざ押しかけて大々的に謝罪する……くらいのものしか期待できません。
というのも、いじめてる時の気持ちはゲームや、もっと汚い言葉を使えばギャンブルで大勝ちしているときに似ています。
実際、いじめっ子がいじめを行っているときは脳内でドーパミン(生成されると幸福感やポジティブな感情が芽生えてくる脳内物質)が生成される傾向にあるとか。
つまり、楽しくて楽しくてやめられないわけですね。むしろやめたいとすら思わないでしょう。
そんな相手が改心する確率なんて、それこそかなりの低確率。
異常に想像力が欠如していて苦しみを理解していなかったとか、そもそもいじめのためのお題目が冤罪でそこそこ賢い人しかその場にいなかったとか、あるいはケース1のようにいじめっ子側が不幸な場合、それもとびきり不幸で人格に欠落や壊れたところがあるような人物だったとか……
正直、そういう少数派とも言える状況でなければいじめは止まりません。
改心するとすれば全てが終わった後、それも処世のための改心しか期待できないでしょう。
ここで改心できるなら、ぶっちゃけそのいじめっ子には聖人の素養があります。そのレベルで難しいです。
残念ながら、期待するだけ無駄です。あきらめましょう。
ではどうすればよいのか
いじめられた過去は精算できない。いじめっ子を改心させるのも絶望的。
では、どうすればよいのか?
自分は自分の道を行く。もはやそれしかありません。というより、元から人生はそれしかありません。
いじめられた過去の精算は、いじめっ子なんて矮小な存在でなく話のわかる相手……それこそ大自然とか運とか神様とかに期待しましょう(奴らも普通に裏切るけど)。
ただ自分はどんな人生を歩みたいかを考え、その道をひたすらに行く。私の経験上、それしか幸せへの道はありません。
せっかくの人生です。いじめっ子ごときつまらない連中に気を取られていても面白いことはありません。
それよりも、いじめを帳消しにできるほどより良い人生を歩むこと。それが、いじめられた過去に対する1番の精算なのではないでしょうか?
それができたら苦労しないんじゃないです?
まあ本当にその通り……。そんな前向きな心構えができたら、人生苦労はほとんどありません。
正直、愚痴でも弱音でも文句でも吐いて、泣き叫ぶのも構いません。
肝心なのは、どれだけ不幸を嘆いてもつらさをみっともなく吐き出しても、最後には自分自身で前に進むこと。そう信じています。
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