はい、タイトルだけでは意味がわかりませんね。
実は友人たちと最近リモートで酒を飲み交わすことがありまして……今回は、その時に出た「ザ・弱者」とも言える人について思った所感について。
生まれつき権威者だったり力が強かったり見た目とコミュニケーションによほど恵まれたりしていない限り、誰でも「自分は弱い」「まともな扱いを受けられない」とショックを受けたことはあるでしょう。
世の中、誰が何だかんだ言っても完全な平等にはなり得ない。よほど多くに恵まれなければ、やはり劣った存在という屈辱を味わう事は避けられません。
ましてや大半の人の知らない人に対する態度は冷血なわけで……とりあえず「劣っている」と思われた結果、不当な扱いを受けたり嫌がらせやいじめに発展することも珍しいケースではありません。
で、そんな弱者や雑魚キャラとして散々な目に遭った人たちの話を聞いて、思ったわけです。
「弱さを嘆くのも愚痴るのも援助を求めるのも悪いとは思わないが、それを免罪符に人を使い捨てにするのは正直いかがなものなのか?」と。
【実話】とある使い捨て弱者の話
さて、では、飲みの席でどんな話があったのか。話の主人公をFさん、その友人をTさんと仮称して、順を追って話していきましょう。
このFさんという人、言ってしまえば自分も認める弱者です。ブラック企業で性根の腐ったクソジジイに理不尽に怒鳴り散らされれば初日の昼休憩に突如逃げ帰り、後日元同僚と顔を合わせると「俺はお前ほど強くないんだ!」と半泣きで半狂乱に陥るような感じの人ですね。
で、そんなFさんですが、プライベートの人間関係も相当自分本位に周囲を振り回してしまっていたようです。
特にTさんのことはとにかく八つ当たりのサンドバッグ扱いしているようで、毎回「うるさい!」と怒鳴られたり「この感情が何なのかわかんないわかんない!」とパニックを起こしたFさんの対処にタジタジになっているとかいないとか。
こういうの、「弱者マウンティング」とでもいうのでしょうか。とにかく事あるごとに
「自分は弱いから」
「自分は脆いから」
「一番かわいそうなのは自分だ」
とまあこんな考えを持ち出して開き直り、特に腐れ縁で結ばれたTさんを嬉々としてはけ口に使うような人だったわけです。
しかも、行動は話を聞く限り人任せ。Tさんと友人に事後処理を全部やらせて自分は何もしない……なんて事もあったみたいですし。
もっとも、これに関してははけ口として使い捨てられてやってるTさんにも問題はあると思います。「Fを守るのは自分しかいない」と語っていたようですし、体よくメンヘラに利用される性格と言われればそこまでです。
ですがいくら相手が甘すぎても、だからといってそこにつけ込んで粗雑に扱う事があっていいとは思えません。
正直、Fさんに対していろいろ思うところのある逸話です。
生産性、ある?
まあ個人的な好き嫌いの話は置いときましょう。少なくともそんなお気持ち表明したところで、私の気晴らし以外の何にもなりません。
とすれば、弱者という免罪符を掲げて生存戦略を打ち立てている人にとって少しでも実のある観点から見てみようではありませんか。
ぶっちゃけ一番聞きたいのは、「その行為に生産性ってあるんですか?」ということ。
確かにこういう人って、餌食になってくれるいい奴ホイホイ見たいな性格をしています。つらそうにしていたら何も知らない優しい人が必ず気にかけてくれるので、その人たちを使い捨ててはとっかえひっかえするのも可能といえば可能でしょう。
ですがこの方法って、いつかは必ず限界を迎えてしまうんですよね。
「私弱いから自分に責任取れないんですぅ~」とかやってると、そのうち周囲から「そういう奴だ」という扱いを受ける日が来ます。来てしまいます。
で、周りから白い目で見られると、少なくともそのグループからは常に「ヤバい人」扱いを受けてしまうことにも繋がりません。
正直言って、「被害者意識をネタにした『与えられる』だけの人間関係」って長く続かないんですよね。
要は、関係を結ぶ相手は全員その場の使い捨て。特定の組織内で悪評が広まれば新しい依存先を作る必要がありますし、一度相手から恨まれたら基本的に復縁なんて絶対不可能です。
被害者意識を持って生きるのって、思ってるより腹黒い生き方なんですよね。相手から利益を搾取するのが目的ならいざ知らず、ただ優しくしてほしいとか味方が欲しいだけなら、一度考え直した方がいいでしょう。
真の味方はチヤホヤしてくれる人の中にはいない
基本的に被害者意識が強い人が本当に欲しいものって、同情してくれた人のお金とか労力とかマンパワーじゃないんですよね。
つまり、根っからの腹黒ではない。腹黒な手段しか知らないのも、原因のひとつでしょう。
で、そんな方法がたまたま上手く行っちゃったものだから、そのうち「これは自分の権利なんだ」とか思うようになってどんどん要求も大きくなって、最後には自分に賛同する者しか味方だと認めず、いつまでも周囲には慰めと補償ばかりを求めるようになる……と。
言ってしまえば、別に悪い人じゃない。考え無しに同情しちゃった周囲にも図らずも落ち度があると言えるし、そもそもそうなるだけの過去を持ってつらい思いをしてきたという方がほとんどでしょう。
ですが、それを承知の上で言いましょう。
チヤホヤしてくれる人ばかりを探して不都合や見たくない現実に蓋をしても、マトモな助力者は基本的に現れません。
ほとんどの人はその場の雰囲気だけでホイホイ助けるべき相手を選んでいるだけ。そのうち疲れてくると、逆にこういった人は敵視されてしまいます。
本気で相手に同情してついてきている人も、やはり体力が尽きてなお振り回されるとついつい愛想を尽かしてしまいます。
結局、最後に残るのは腹黒い連中かお花畑か新参者だけ。おそらく、人と深い関係を築くのはほぼ無理です。どこかで相手を疲れさせます。
無理をするのも当然ダメ
と、ここまで色々と悪口みたいな事を書いてきましたが……当然、ため込みすぎはダメですよ。体に毒です。
自分のつらい過去やしんどいと思っていることは、ちゃんと吐き出すようにしましょう。「どんなにつらくても笑顔で我慢!」とか言ってる聖人気取りに騙されちゃダメですよ。
当然、吐き出した愚痴に対して周りが同情してくれてるなら、その同情は素直に受け取りましょう。おそらく、ほとんどは単なる優しさです。感謝感謝ですね。
ですが、それで「ああ、自分は慰められて当然の人間なんだ」と強く思ってしまうのは、事実関係を問わず黄色信号。同情してもらえるからという理由で何度も過去の話をするようになってくるといよいよアウトです。ドツボに嵌まります。
耐えられなくて弱みやつらさを吐き出すのは問題ありません。むしろそれで心が楽になるなら、積極的にすべきでしょう。
ですが、その話をしたところで人から優しくされるのが当たり前だと感じてしまえば、そこは地獄の入り口です。その考えを改めない限り際限なく相手に優しさを求めてしまい、結果として素敵な友人を無くす結果にもつながりかねません。
人の優しさは当たり前ではない!
当然、わかってる人がほとんどでしょうが……人の優しさというものは、いつでも受けられる“あって当然”のものではありません。
特に同情を求めるモードやつらいことがあった日なんかはついつい忘れてしまいがちですが……そういう時には特に意識したいことですね。
自分の嫌な気持ちを掘り返したくないからと「どうかしたの?」と駆け寄ってきた人に「わからないわからない!」と喚き散らしたのではどうにもなりません。
自分の思ったものと違う手助けをしてきた人に「見捨てやがった!」「こんなのいらない!」と恨みを募らせるのはお門違いです。
とりあえずパニックを起こして自分の気持ちがよくわからないなら、「ごめん」と断ってから考えがまとまるまで悩むのもいいでしょう。
自分の求めた救いでないならわざわざ受け取る必要はありませんが、「助けたいと思った」という相手の善意まで否定しては、優しい人も手を出せなくなってしまいます。
特にパニックを起こした時や助けようとしてくれた相手に憎しみが生じた時は、一度冷静になるまで答えを保留にするのも大事なこと。
つらい時や苦しい時ほど、感情ばかりに流されず冷静な判断をしましょう。落ち着いて周りを見て見れば、味方も優しい人もきちんと見えてくるはずです。
コメント