自分以外みんな敵!信じられない!そういう考え方もしょうがないと思う

世の中

「自分以外が信用できない!すべて敵だ!」

何かと悪が栄えるのが世の中です。環境、状況、時世に振り回され、こんな考えに至ってしまう事も少なくないでしょう。

実際、「どいつもこいつも敵ばかりだ」と心を閉ざしてしまった経験のある方も多いように思われます。

正直、よろしい考え方ではない。わかってはいるけれど、そういう考えになってしまっても仕方ない。

かくいう私も、そういう考えに陥って本当に周囲を敵に回したこともありました。

ですが、結局何も良い事はありませんでしたね。

こっちが敵と認識しているうちは手伝っても助けてもほぼ全て仇で返され、私を嫌ってる奴から根も葉もない噂を流され、みんなそれを信じて孤立させられる毎日でした。

じゃあ、全部が敵としか思えないような人は、いったいどう過ごせばいいのか?

というか、こんな内容の記事を書いてる私自身がどう過ごしているのか?

今回は、私なりの「全員が敵に見えても意外とどうとでも過ごせる方法」を考えていきましょう。

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“例外”を作るのがベスト

私がどうして周囲を敵と断定するようになったかなんて、正直ここでわざわざ語っても仕方ありません。だって誰にも求められてないでしょうし。

どんな経歴を辿ったかは他所に書いてるので、「悲惨な過去がある奴しか信用ならん!」ってな方はこちらをどうぞ。

そんなわけで早速本題ですが……みんな敵という考えをどうにかする上で大事なのは、何よりもまずみんな敵だらけの世界で例外を作ることです。

一番理想的なのは、「基本的に全員私の敵だ!一部例外はいるけど……」みたいな。とにかく「敵じゃない人も中にはいる」と思うだけでも、何だか気持ちが軽くなります。

みんなが敵だと思えるような環境でも、意外と味方……とまではいかないものの、中立の立ち位置の人って多いんですよね。信じられないかもしれませんが。

「みんなから邪魔に思われてる」

「全員から消えてほしいと思われてる」

「どうせ誰からも見下されてる」

大抵の自己啓発ではこれらの感情を真っ向から否定していますが……私は無理にこういう感情を消さなくてもいいと思いますよ。

こういう「みんな害意を持っている」というネガティブな考え方が毒なのは事実ですが、実際そう思わなければやっていられない環境だったのでしょう。ならば、下手に意識してもキツくなっていくだけです。

真っ向からネガティブな感情を否定するより、むしろ「みんな敵で、私が消えたら喜ぶんだ」という感情を肯定しつつも、「いや、でも少しは消えたら泣く人もいるかも」なんて自問自答を繰り返してみてください。

世の中ではネガティブ感情を全否定して完全に消してしまうのが善とされてますが、そもそもネガティブな環境下で悲惨な目にあった人間には、そんな事ができるほど希望も暖かさへの期待も残っていません。

それよりも、自分の正直な気持ちを否定しないことから始める方が無理がありません。

あかつき
あかつき

地獄のような経験をした上でポジティブでいられる人は、大抵絶望の中にも救いがあるものです。

例えば、学校でいじめられても一部の友達や担任だけは味方だったとか、あるいは後で絶望を忘れられるほど素晴らしい経験をしたとか……

今は幸せになる思考よりも、不幸を少しでも感じないための仕組み作りが先です。

自分の考えを変に否定せず、可能な限り肯定する方法を取ったほうがストレスフリーで楽できますよ。

敵の人数と名前をリストアップしてみよう!

地獄を味わって間もない人は、ポジティブ作戦ではどうにもならない。考え方に現状が追いつかず、もっと辛くなるだけです。

ならばというわけではありませんが……そういう時は、いっそのことネガティブに突き抜けてみましょう。

みんなが敵だというのなら、とりあえずこれまで関わってきた相手と自分に敵対した罪状、余さずぜーんぶ書き連ねるのです。

この際、被害妄想でも何でも構いません。

とにかく「笑われた」「馬鹿にされた」「いじめられた」と、実際に自分が受けた被害を、名簿付きでととことんまで紙に書き殴っていきましょう。

例えば学校のクラス全員が敵だというなら、クラスメイトや教師の名前を全員罪状付きで、職場がみんな敵というなら上司も部下も同僚もみんな含めて全員から受けた被害を書き出していってください。

すると、結構な確率で出てくるんですよね。「別に味方じゃないけど、コイツから具体的に何かされたっけ?」みたいな奴らが。

当然、彼らがこの先味方になるとも限りません。話しかければむしろ腫れもの扱いされて敵になるかもしれません。

ですが、現状では何もされていない。敵視されてるわけでも、何かしら害を与えられたわけでもない。今はとりあえず、別に敵ではないとわかるだけで充分です。

あるいは、「性格的に嫌いだけど特に被害は受けてない」って人も出てくるかもしれませんね。この場合主に「自分が気に食わない」というだけで、相手から恨まれてるとも限りません。

はい。その人こそが中立。すなわち「全員敵」の中の例外です。

特に何かする必要はありません。ただ、「基本的には全員敵だけど、探せば一応例外はいる」と知るだけでいいのです。

全員の裏切り、全員からの攻撃におびえる必要はない。中には別に被害や損害を与えるつもりがない奴もいる。それを知るだけでも、気持ちは多少楽になるのではないでしょうか。

あかつき
あかつき

なんとも欺瞞というか、宗教詐欺っぽいやり方ですけどね……

でも、気の持ちようで少しは変わることって、あると思います

広い視点を持とう!

自分に損害を与えてきた奴ばかりで結局みんな敵だったという方も、中にはいらっしゃるかもしれません。
もし「どうやったって結局みんな敵だ」と思ってしまったときは、広い視点を持って俯瞰的に、極限まで視野を広げて物を見ることが大事になります。

熱しすぎてオーバーヒートした頭ではマトモなことは考え付きません。誰でもそうです。

まずはクールダウンです、クールダウン。

馬鹿らしいと思うかもしれませんが、大きな目線で物事を考えてみましょう。

「今は敵だらけだが、世界規模で見たら敵味方以前に知らない人ばっかりだ」

「きっと自分にはわかる人にはわかってくれる魅力がある。こいつら見る目なさすぎ」

ちょっと詐術的というかぶっちゃけ嘘くさい自己暗示ですが……そもそも考えてみてください。

世界中の全員から余すことなく自分を知ってもらう事は不可能です。
というか、有名人にでもならない限り日本規模、いや都道府県規模ですら、誰からも認知されていません。名前を聞いても「誰だそれ?」としかならない人がほとんどですよ。

つまり、「世界中のすべてが自分の敵なのか」という問いは、死んでも結論が出ないものです。

あかつき
あかつき

というか、世界規模とかスケールデカすぎですね。

こういうことを考え始めると、なんかいろんなことがどうでもよくなってきます

全部敵の環境で一番やっちゃダメなのは、「今見ているみんなが敵に見える」ということではなく、「どうせ世界中のみんなが敵だ」とこれから出会う全てを拒絶することです。

一度熱した頭を冷まし、どう足搔いてもみんな敵ならいっそ視野のスケールを大きくし、味方でも中立でもいいから探してみましょう。

意外とみんな、自分に対して興味がありません。なかなか現れない味方はともかく、こっちに興味を持たない中立の人くらいならば簡単に見つかりますよ。

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「自分の敵は自分」という考え方について

さて、ちょっと脱線。

「みんな敵だ!」なんて発狂してると、大抵現れるんですよね。「本当の敵はお前自身だ!」なんてドヤ顔かますお説教屋が。

ぶっちゃけ、これに関しては半分は正しいと思いますよ。

実際、劣等感だの失望感だの、自身の勝手な感情のせいで相手を敵として扱ってしまう事は少なくありません。
やもすれば、敵の8割が実は自分が敵視したのが先だった……みたいな話があっても驚きません。

ですが、そうは言っても苦しい時は苦しいものです。

「まずは考え方を変えろ」とか、こんなん言い出しても何の解決にもならないんですよね。

自分の考え方や物の見方を疑い始めるのは、基本的に自分の心が落ち着いてからです。

そんな事より、不格好なものでも何でも、まずは自分の心を受け入れましょう。肯定しましょう。

「自分より有能な奴みんな死ね」

「手助けのつもりか?マジで役に立たん」

と。こういう自分勝手な考え方も、別段否定することは無いと思いますよ。だって正直な感想だし。

元来、人の心は自己中で身勝手です。折り合いをつけるにしても自分の考えを改めるにしても、まずはそれを認めない事には始まりません。

確かに、自分は敵を多く作る原因でもあります。が、それこそが自分の本心、本音なのは間違いありません。

敵を作らないように振る舞うことは、自分の本音を否定して心を殺すことと同義。他人の幸せのために自分が不幸になるのは、間違っても推奨されるべきではありませんね。

もうね、いっそ認めちゃいましょう。自分の上を行く奴が憎い。役に立たない手助けをしてくるあいつがムカつく。役に立っても裏があるように思えてやっぱ腹立つ。

「憎たらしい人類全員が敵」と自分の本音を自覚して認めることも、逆怨みを逆怨みだと気づくために必要な要素になります。

それを忘れて、自分自身を捨てて道徳的な模範ばかりを求めれば、最後には反発心や自己嫌悪間に呑まれ、歪な人格へとなり果てます。

どれだけクズでもどうしようもない奴でも構いません。自分を認め、自分の気持ちを自覚し、それからその気持ちとの向き合い方を冷静に考えましょう。

先ほど「例外を作る」なんて偉そうに言いましたが、それは自分を認めた後にやることです。

焦らぬ者に福来たる

……かどうかはわかりませんが、とにかく焦って自ら敵対者を増やしたり、無差別に攻撃してしまっては、大抵ロクなことにはなりません。

良くても自爆、最悪の場合は面白半分ではなく本気の恨みがこもった攻撃に晒され、孤立と排除におびえる日々を過ごすことになるでしょう。

周囲を敵だと思ってしまった時ほど、じっくり腰を据えて自分の本音を認め、その上で「本当にそうか?」「例外はいないか?」とじっくり自分と向き合うべき時です。

人間、追い詰められたときほど無駄な敵を作りやすいのは事実。裏切りによる不意打ちダメージを減らすための防衛本能と言えるでしょう。

ですが、だからといって中立な人まで攻撃して周りを敵だらけにしても、問題の解決には至りません。

焦ったときほど、何人が、誰が、なぜ敵なのかをじっくり考え、事実と自分の本心を割り出してみましょう。

「みんな敵」の正体がわかれば、意外と冷静にいられます。そして、その冷静さが現状打破につながることも、決して少なくないのです。

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