タイトルからしてひっでえ話ですよね。はい、わかっています。
ですがこの「死ね」って言葉、とりあえず嫌いな人間をなんとなく傷つけるためには本当に便利な言葉なんですよね。だからよく使っちゃう。
そんな感じで割とスナック感覚で他人の存在否定をする人もそれなりにいる一方で、言われた側はどうかというと……やっぱ傷つきますよね。
私も今でこそ言われ慣れてちょっとムスッとするくらいで済んでますが、子供のころは「そんなに生きてちゃいけない奴なのか……」と割と大真面目に考えていたものです。
ですがまあ、意識して真面目に受け取る言葉では断じて無いですね、はい。真剣に考えるのも精神に毒ですし、できることなら無視しとくのが正解ですよ。
言った側は正直気にしてない

正直に言いましょう。
死ねとか散々言っといて、しかも本当に死ななきゃキレ散らかして、散々粘着して何度でも自殺教唆・強要を繰り返すような奴も中にはいますが……そんな「相手を自殺に追い込むのが生き甲斐」みたいな振る舞いをしている奴でさえ、あなた自身の生死にはほぼ興味がありません。
残念ながらそんなもんです。
仮にそういう奴の要望通りにあなたが死んだところで、自殺教唆がバレなきゃあなた以外の誰かが新たに「マジで何をしても死んでほしい奴」に成り代わるだけ。バレたところで、平然と「そんなつもりはなかった」なんて泣き始めるだけです。
要するに、マジでどうでもいいんですよね。どれだけ粘着してこようが、どれだけ強い言葉で迫られようが。
彼らのやってることは、言ってしまえばストレス発散です。キモいだ何だとそれっぽい理由をつけて敵という名のサンドバッグを作って、あたかも困っているかのように振る舞うことで「自分は正しいことをしていますよ」と大義名分を捏造しているだけです。
もっとハッキリ言いましょう。十中八九、あなたは憂さ晴らしのサンドバッグにされてるだけだし、そんなしょーもない理由で命を奪われようとしている。これが事実であり真理です。
人を「やっつける」カタルシス
爆笑問題の太田光さんが「いじめは楽しい」と持論を展開して意見が真っ二つに割れた事がありましたが……わたしはあの意見に関してはた正しいと思います。
ですがあえて言葉を変えると、正確には「スカッとする」ですね。
確かに人の不幸は蜜の味と言います。他人が苦しんでる姿そのものが楽しくていじめを行う奴もいますが、そうでない奴もいる。
弱い者いじめを楽しむほかに、「他人を悪者に仕立て上げて正義の味方として悪者をやっつける」というヒーローごっこタイプのいじめも存在しますよね。
あれがなぜ起こるのかというと、「悪者をやっつけると気分がスッキリするから」だと私は思うんですよね。
相手は悪者です。だからやっつけました。桃太郎が鬼を退治したのと同じです。めでたしめでたし。要はこういう発想です。
話を戻しますが、「死ね」という言葉も原理はいじめと同じですよ。
「死ね」と言われて傷ついてるのが面白いから「死ね」と言う。悪者を自分で作って自分が倒してスッキリしたいから「死ね」と言う。
よほど本気でキレて粘着し続けない限り、人に「死ね」と言う奴はこの2タイプがほとんどじゃないでしょうか?
「あいつさえ死ねば」は言葉の麻薬
一見すると謎ですが、生きてちゃいけない相手がいると超絶安心できるんですよね。
何と言っても、何が起きても全部そいつのせいだから。
妻でも旦那でも我が子でも親でも、何なら友達でもクラスメートや同僚でも構いません。
自分がつらい思いをしているのは全部そいつが生きてるせいだ。
例えば自分が今疲れているのは全部あいつが生きているせい。
夜眠れないのもあいつのせい。
今死にたいのもあいつのせい。
体調を崩したのもあいつのせい。
気分が落ち込むのもあいつのせい。
宝くじが外れたのも、自販機で100円落としたのも、スーパーで買った卵を帰りに割ってしまったのも、ぜーんぶあいつが生きてるせいだ。あいつが死ねば解決する話だ。
冷静に考えるとバカバカしい発想ですが……特定個人のせいにするのって麻薬みたいな中毒性があるんですよね。
「あいつさえ死ねば全部解決して、幸せな生活が送れるんだ!」と、物事を単純化して、「1つの要因さえ取り除けばどうにかなる」と自分に言い聞かせる。気に入らない相手や目についた相手、身近な相手を「生きてちゃいけない奴」として「死ね」と罵倒する。
全部相手のせいだと思い込み、相手を傷つけ、自殺に1歩近づけることで、「自分は不幸の脱却に近づいている」と錯覚するわけです。
要するに、あなたは悲劇のヒロインごっこの悪役を無理矢理押し付けられてるだけです。
大真面目に付き合うにはバカバカしい言葉です

当然、「死ね」なんて言われる側は傷つきます。「気にすんな」と言われてもショックを受けるものは受けるでしょうし、簡単に受け流せるようなしょうもない言葉ではありません。
ですがそんな非常に重い言葉でも、ぶつける側の動機を深層心理まで深堀すれば、本気でしょーもないものがほとんどです。
自分が悲劇のヒロインを演じるための舞台装置。身勝手な自称正義を展開するための悪役ポジション。あるいは単に傷つけて面白がりたいから。
こうやって文字にしてみるといかに理不尽でくだらない理由で存在を否定されているかがわかりますよね。
正直傷つくのはしょうがないですが、大真面目に「自分は何かしてしまったのか?」「確かに生きていちゃいけない奴……」なんて考える必要はありません。
心の中で「うっせぇお前が死ね」くらい思いながら、本気で相手にしないよう心がけましょう。
ぶっちゃけね、「死ね」なんて言われたら傷つくよりムカつく方が健全だと思いますよ。何の権利があって人の生命活動を否定してるんですか。
「死ね」なんてのは相手の存在をまるっと否定できる魔法の言葉。逆を言えば、相手を人権ごと全否定する危険な言葉でもあります。
あんまりしつこく「死ね」「死ね」「お前さえ死ねば」と粘着されるようなら、法的措置も視野に入れましょう。あんまりに悪質すぎると脅迫罪に引っかかる可能性も出てきます。
まあ何にせよ、大真面目に「何が悪かったのか」とか考えるような言葉ではありませんね。ヒーローごっこにもヒロインごっこにも、わざわざ悪役として付き合ってやる義理なんてありません。
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