「好きに生きる」と言えば、あなたはどんなことを思い浮かべるでしょうか?
最近だともっぱら情報商材を売りつけるための宣伝文句が取り沙汰されたり、そうでなくても「人の迷惑を顧みずやりたいことだけをやる」という感じだったり、あまりいいイメージを持っていない人も多いかと思われます。
あるいは、「好きなことだけをしたい」「もっと自由になりたい」と、そのフレーズに一種の理想、または幻想を抱くケースもあるかもしれません。
さて、そんなわけで……今回はまず、当ブログにおいて「好きに生きる」とは何を指すのかを明白にしておこうかと思います。
好きに生きる=ただの買い物に等しい
さて、まず多くの人が考えているであろう考え方。
「好きに生きる=人のことを全く意に介さず好き勝手無責任に振る舞う」
この見解ですが……ぶっちゃけてしまうと私の解釈も半分正解です。
職業や肩書、序列、門地、面子、ひいては人さまへの迷惑や動いた結果の未来など……
大概何かしら行動をするうえで気にしてしまいがちなこれらの要素、私個人としてはあまりにも気にしすぎてしまえばどうにもならないというスタンスです。
人の迷惑を考えすぎたら、究極この世から消滅するしかないですね。生きてりゃ何しても迷惑なんですよ
日本人的には大変に身勝手な生き方だとは思いますが、何かしら行動したり意思決定をする以上、気にするべきは必要最低限度のみ。それ以上を考えてしまうと、逆に足かせになります。
何かしら行動をする上で人さまの迷惑にならないものなどありませんし、リスクもどこかでついて回ります。
超極端な話をすると、スーパーで買い物をするにしても、自分が何かを買ったせいで他の人がそれを買えない可能性もあるわけですし、そこで使ったお金のせいで本当に欲しいものが手に入らない可能性もあるのです。
要するに、買い物ひとつを取っても他人に迷惑はかかりますし、何らかのリスクを背負わなければならないわけですね。
なんだか語弊のある言い方になるかもしれませんが……好き勝手やって生きるのも買い物するのも元をただせば同じこと。
単純に程度が違うというだけで、そこに他者の迷惑と責任が付きまとうのは結局同じこと。だからこそ、深く考えても仕方がないと思います。
その人生、誰が責任を取りますか?
私がこんな考え方をしている理由として、「人生って誰が責任を負ってくれるの?」という気持ちがあります。
例えば「嫌な仕事をすぐ辞めて今日から自由に生きろ」と言ってる輩、あるいは「今の仕事がつらくても、いつか必ず日の目を見るから鬱になってでも耐えろ!」と言ってる連中。
どちらもあなたの人生に責任なんて負いません。
例え仕事を辞めたせいでホームレスに落ちぶれても、いやな仕事を続けた結果鬱になって再起不能に陥っても、あなたの一挙手一投足の原動力になった人間は、責任を求められると鬱陶しそうにそっぽを向くでしょうね。
かくいう私自身も、あなたの人生に一切の責任は負えません。私も他の誰かも、みんな責任を負えない他人の人生に対してとやかく言ってます。
結局誰に従おうが、自分でどう生きようが自己責任。
限界を迎えて倒れるまで我慢して嫌な仕事をやり遂げても会社は利用価値がなければ捨てますし、好き勝手やった結果野垂れ死んでも周りは指差して笑うだけ。
誰かに人生の舵取りを任せたところで、その結果はすべて自分に降りかかってきます。
そう考えると、判断軸を他の人に委ねてしまうのも馬鹿らしくありませんか?
好きに生きる=自分の人生を生きる
前置きが長くなりましたが……見出しの通りですね。
ベタな結論ですが、私が言う「好きに生きる」とは、すなわち「自分で考え、自分で決める」。これに限ります。
「〇〇が言ってたから」「××に命令されたから」「こうするのが常識だから」。そんな言葉を並べ立てても、大半の人はそんな事情は完全無視。
どれだけ他人から急かされたり強制されたとしても、決断したのが自分自身ならば自己責任という形に落ち着いてしまうでしょう。
だからこそ、物事の判断だけは自分なりの軸で行うべきだと私は考えています。
職業とか肩書とか、あるいはライフスタイルとか……そんなものはどうでもいいです。
それこそ、どこかの会社に勤めていても独立して自営業を営んでいても「好きに生きる」という命題の前ではどうでもいいのです。
肝心なのは、「自分なりに様々な観点から考えて物事を決めたかどうか」「自分の人生設計は自分の幸福や気持ちを考慮して立てられたものなのか」。これだけです。
他人の利益のために操り人形と化す人生なんて、それこそ自分のためにはなりません。
企業に勤める以上は仕方なくそうせざるを得ない場面も出てくるでしょうが、それは果たして自分の人生全体に悪影響を及ぼしてでも従うべきなのでしょうか?
人の判断はあくまで「その人の利益」
念頭に置くべきは、これですね。
どう生きるにしても、私含め他人は、好き勝手にあなたの人生に対して意見を言うでしょう。
それはなぜかというと、(残酷な言い方になりますが)あなたの人生がたとえめちゃくちゃになろうが別段困らないからなのです。
まーたぶっちゃけやがりましたね、こいつ。
天使の顔して聞こえのいいこと言っときゃ、そこそこ周りに評価されるのに……
究極、自分が放った一言があなたにどんな影響を与えようが関係ないんですよね。それどころか、使いようによってはあなたを言葉巧みに利用して身ぐるみを引っぺがすことすら考えかねません。
例えば今の私だと、「好きに生きる」というテーマをもとに会社勤めのバカらしさを延々と語り、「自由な生き方」を掲げて、副業のための情報商材を売りつけることだってできます。
というか、実際そうやっているブログや動画が出回って少し前に問題になってましたしね。
この際めちゃくちゃなことを言いますが、人から見たあなたの人生なんて安いものです。顔も見たことないなら無価値です。どうなろうが知ったことではありません。
親族や友人ならば多少はあなたのことを考えてくれるでしょうが、それだって我が身可愛さとは比べるべくもありません。
というか、いくらその人のためを思っていても、どこかで自分にとっての都合のよさや利益が提案や言葉に入り込むものです。
それをしない人間は、よほどの聖人君子かあなたの勘違いでしょう。
だからこそ、人や常識の概念に人生の決定権を委ねるべきではないのです。
とはいえ……
さて、そんなわけで自分の人生を自分で決めるとは言ったものの、実際そうやって生きたり生きようとした結果、職にあぶれたり好き勝手搾取されて抜け殻のようになった人も大勢います。
好きに生きるとは言っても、やはり自分で決めるにはリスクがあります。
例えば多数派や体制に逆らう羽目になったり、やっぱり都合のいい言葉に流されてしまったり……。
てなわけで、そうはならないためにも最低限のリスク管理や状況判断はしましょう……と、これもどこかで聞いた話ですね。
というわけでちょっと切り口を変えてみますが、リスク管理と言っても、リスクを恐れてやりたいことを諦めるのはその類ではありません。
例えば今の仕事が嫌いならば、いきなり辞めるのではなく、仕事の合間にやってみたいことや転職活動に手を出してみて基盤を作る。
自分が多数派の意向と違って一切尊重されないなら、その場から立ち去るために新たな居場所を探す。
このような感じで、何かしら致命的な悪影響が出ないようにやってみるのが大事になります。
悲しいですが、人生どうなろうと考えることと動くことをやめれば好転の望みはほぼありません。
最低限失敗してもかろうじて何とかなるくらいのリスクヘッジを行ったうえで、好きなように、やりたいようにやる。
これが、私の思う「好きに生きる」の究極系です。
逃げる、逆転と考えている方が真っ先に思い浮かぶ手段は、まあ転職がメインでしょうね。
というわけで、とっくに転職も視野に入れられている方、したいけど今ひとつ勇気が湧かないという方に対して、いくつか使えそうな転職サービス、転職サイトを見つくろってきました。
まあ使う使わないは自由ですが……こういう場所でスタッフの人に相談するだけでも無能脱却の糸口が見つかるかもしれませんよ。
今の環境から抜け出したい人向け
どう生きればいいかわからない人向け
※サービス名記載NGの広告が多いため、サービス名、社名は記載いたしませんのでご了承ください
やりたいことやった者勝ち
青春のみならず、人生において幸せに生きている人は、大概やりたいことをやっています。
それが起きてから寝るまでずっとなのか仕事や作業の合間なのかは人によりますが……私が今まで見た幸せそうな人の中で、やりたいことを全くやれていない人はいませんでした。
その結果、たどり着いた幸せへの近道が「好きに生きる」ことです。
補足ですが、ここで言う「やりたいこと」は使命とかじゃありませんよ。
趣味とか「休日は寝て過ごす」とか、あるいは「今日焼肉食べたい」みたいなしょーもない願いも含まれます
自分で決めたことなら、失敗してもある程度の失敗は仕方ないと思えますし、挫折して諦めても後悔することは少ないです。
もっとも、あれもこれもと望みすぎると、大概虻蜂取らずで全部諦めることになりますが……1個か2個やりたいことがあり、それに向けてどうするかを基準に自分で物事を判断すると、つまらない人生も格段にマシになるのではないでしょうか。
別に何かをきわめて大金持ちになるとか世界征服みたいなものでなくても構いません。
「寝て過ごす」とか「焼肉!」とか「ケーキ!」みたいな小さなことでも構いません。
何かひとつ、「これをするために生きるし、そのために身の振り方も考える」というものを見つけてみてはどうでしょう?
それで人生が楽しくなるなら、儲けものではないでしょうか。
と、私が考えている「好きに生きる」というのはこんな感じでしょうか。もしよければ、参考にしていただければと。
最後に……
最後に宣伝になってしまいますが……私は手相鑑定士……つまり手相占いをプロとして行える資格持ちの人間です。
手相占いは、あなたが持つ特徴や強みを見つけるのが大の得意。
自身の特徴を知れば向いている生き方や少しでも楽な生き方、果ては適職や能力の活かし方など……人生をより良くするヒントを得ることができます。
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