自分を無能だと思ってる奴が本当に無能なのか極めて疑問であるという話

世の中

あなたは、無能って何だと思いますか?

どうでもいい自分語りですが、私はどこへ行っても無能と言われ続けてきました。

何なら「死ね」なんて数えきれないほど言われてきたし、今でも私を知ってる人の8割から見ると無能で死んだほうがいい人間なんじゃないでしょうか。知らんけど。

ですがまあ、今となっては「気にするだけ時間の無駄」という考えの方が大きいですね。

有能だ無能だと口にしたところで、別に相手はこちらの能力のうち1部分を見て解釈したに過ぎないわけで。
仕事において有能無能はあれど、人生レベルで「無能すぎて死んだ方がいい人間」なんていると言われても眉唾です。

まあそんなことを思ってるからこそ、大抵の人から見て無能なのかもしれませんが……それはさておき、今回の本題に入りましょう。

「自分を無能と思ってる奴が本当に無能なのか?」について、私の思ったままを言いましょう。

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結局無能って、ひとつの尺度からの話ですよね

率直に言いましょう。先ほどは「知ったことか」とばかりの態度を表明しましたが、実際に私は無能です。どうしようもない無能です。

特に服従と迎合とわかりやすい結果が一番大事な組織の歯車、ただの兵卒としては、今すぐにでも自害した方が世のため人のためでしょう。

「今のうちに死んだほうが世のためだ」と言われたことも何度もありますよ。
覚えてる範囲で集計すれば、家族親族に6回、学校生活で先生に3回、同級生に4回、就活で2回、仕事してる内に3回、占いでも1回。計18回です。

ぶっちぎりで多い……かどうかはわかりませんが、他人から明確に「死ね」と言われた回数は世の人の中でもかなり多い方だと自負しています。

あかつき
あかつき

わーここまで言われてるんだからこれは本物だー(棒読み)

「なぜ死ぬべきなのか」という理由も大半は明らかで、その中の半分以上は「どこからどう見ても無能で馬鹿で救いの無い愚か者だから」みたいなことをやかましく喧伝していました。

まあ納得できるかどうかはこの際置いておきましょう。ともかく、人様にここまで言われる奴です。これはもう生きてちゃいけない奴と言っても過言じゃないですね。

ですがね……まあ、ここまで多くの人から存在を否定されてると、「自分は死ななきゃいけないんだ」なんて思い詰めるのも通り過ぎて、なんか色々見えてくるわけです。

そんな世界のゴミに成り果てて得た気づきのひとつが、「数ある能力のうちの1つ、あるいはいくつかの欠落だけを見て『無能』と決めつける人がほとんど」という事です。

人の視野は基本的にめっちゃ狭い

他者からの「無能」「使えない」と宣告を受けた時、それらを深刻に受け止める前にしっかりと把握しておくべきことがあります。

人はあくまでその人の視点や視座からしか物事を語れない。有能と褒めようが無能と見下そうが、人間みんなそんなもんです。

あなたにはあなたの物の見方があるように、相手にも相手の見方があります。私もそうです。

自分にも相手にも物事の優先順位があって、その優先順位に沿った評価しかできないのは世の常です。

例えば現場仕事の下っ端に多角的なものの見方をする広い視野なんてあっても評価のしようがありませんし、クリエイティブな職種で指示を完璧にこなす力を持ってても何の強みにもなりません。

結局みんな、その場やその人の価値観に応じた視野の狭い評価しかできません。
そんな一元的な物の見方で評価を査定されるんだから、極端な話お眼鏡にかなわなきゃ無能です。

たまたまそこにいたAさんが「お前は無能だ」と罵倒してきたとしても、Aさんを知らないBさんもCさんも同じことを言い出す確率は非常に低いでしょう。

「この世界中の誰から見ても生きる価値が無い」なんて人はこの世に存在しません。自分では価値の無いもの、今誰からも評価されていないつまらない才能が、あるいは他では非常に高く買われることもあります。

どうしようもない奴でもひょんな才能が知らない誰かに評価されて、気付けば第一線で活躍していた……なんてことがあるのがこの世の中です。

あかつき
あかつき

例えば会社で「ここでダメな奴はどこに行ってもダメだ!」と声を張り上げる人とか、実際はよその会社に所属したことが無かったりするもんなんですよね。何も知らないわけです。

あと、無能な人を見て狂ったように全否定する奴とかはむしろ「自分が無能を免れた」と喜んでる事も少なくない、と

馬鹿と鋏は使いよう

結局、人も物も使いようによって有能にも無能にもなります。それこそ、「馬鹿と鋏は使いよう」ですね。

自分の能力にしたってそうです。

自分の本領を知らず、持ってる武器も知らず、明らかに苦手な分野を極めようとして、結果誰からも評価されない。よくある無能が無能で終わるパターンです。

人によって程度は違いますが、得手不得手は必ず存在します。

無能の烙印を押される人の多くは、だいたいみんな不得手ばかりを強いられているんですよね。

苦手を躍起になって克服しようとしても、時間がかかって他の人との差が開くばかりです。

苦手は正面かかって克服するより上手く付き合う、最低限の努力で済ませられるよう上手く避ける事も、時として大事になりますよ。

「自分は無能」は気づきの一歩!

おおよそ周囲から無能呼ばわりされたり自分で気づいたりして、「自身は無能なんじゃないか?」と思い始めた時。

自分の無能さを悟ってしまった時が、実は多くの人にとって人生のターニングポイントなんじゃないかと思ってます。

自分が無能だと気付いたとき、自分のやり方と環境のどちらかを考え直す必要に駆られます。

あかつき
あかつき

中には「歯を食いしばって耐えろ!」とか「無能な上に根性もないのか!」と謎にキレる人もいるかもですが、無視しましょう。

多分、自分以下の人がいないと死んじゃう病気にでもかかってるんでしょう。誰かをいじめて楽しみたいだけでしょ、あいつら

自分のことを無能だと確信した事実は、立ち位置や振る舞いを直すためのヒントになります。

自分の得意な事は何か。苦手な事は何か。今の環境でそれらを活かすことができるのか。できないなら活かせる場所はどこか。

意識してよーく見てみれば、案外様々な気づきがあるでしょう。

私が考える無能は、「自分は無能だ」という気づきから目を逸らします。
自分以下の存在を見つけ、それらを徹底的に叩いて排除しようとすることで、「自分は無能ではない」と安心したがります。

自分の無能に気付いた人は、そんな怠惰とも言える現実逃避をしてません。色々見ようとしている時点で、無能とは言えないと私は思いますよ。

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