「自分だけが不幸だ」と思ってしまうと幸せになれない。その理由について

世の中
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ぶっちゃけ、自分1人がつらいとか自分だけ犠牲になってるとか……これが事実なのか嘘なのかは実は関係ありません。

中には正直同情以外に何もしようがない人も中にはいますが、そうであっても「自分だけつらい」と思うだけで幸せになれる事はありません。

だって、誰も助けてくれませんからね。みんな自分のことで忙しいし、何よりそういう人ほど誰も助けてくれないのが世の中です。

恨んでも僻んでも……

ぶっちゃけましょう。人を僻もうが恨もうが、なんなら泣き叫んで祈ったところで、基本的に助けは現れません。みんな面倒くさがって離れますし、近づいてくる人と言えばヒーローごっこに来たメサイアコンプレックスか弱い者いじめを楽しみに来た人たちくらいでしょう。

つまり、他人に訴えるだけ無駄です。まともな助けは期待できません。

ましてや「お前だけズルいぞ」と言ったところで幸せを分け与えてくれる人なんていませんし、そもそも僻まれていい思いをする人はいません。

自分が一番つらいのかどうか。人のせいで不幸になったのかどうか。正直、不幸を抜け出す上でそんな事を考えるのは邪魔にしかなりません。誰も取ってくれない責任の所在なんて、明らかにしたところで虚しくなる一方です。

「自分が一番不幸だ」なんて、思ったところで相手なんてしてくれない。考えてみればそうですよね。他人がそんなことを言ったところで、「自分だって苦労してるんだ!」とムカつくのが人情です。

見知らぬ人がいじめによって失った10年より、上司のお小言でしょげて失った自分の1時間の方が遥かに大事。それが人の生の感情というものです。

たしかに軽くは同情してもらえるかもしれませんが、かといって自分のために尽くしてくれるかどうかは話は別ですよ。

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「自分が一番つらい」は意識すると本当に地獄

さて、ちょっと話がズレたので本筋に戻しましょう。

「自分が一番つらい」「自分だけが不幸の中にいる」。これが本当なのか間違った認識なのかはこの際どうでもいいです。それこそ、責任の所在を追求するのと同じこと。実際のところが判明したところで、結局ネガティブな気持ちになる以外の影響はありません。

それどころか、「自分だけが不幸なんだ!」と意識すればするほど、精神的にはドツボに嵌まっていきます。

他の人たちは笑っているのに自分1人だけは笑い方を忘れてしまった。みんな仲間と一緒に前に進んでいるのに、自分だけはロープで縛りつけられて前に進むことすら許されない。それどころか、何者かに後ろから引きずられてゴールから離れていっている。


他の人たちとの差はどんどん広がっているのに、誰もそんな自分を見向きもせず、自分たちだけが楽しそうに支え合いながら障害をクリアし、結果を出している。


自分だけはそんな幸せの一端も手にする資格も権利も無いし、当然結果も出ない。全員から見捨てられたゴミのような存在。この不幸を脱却することは決して許されない。死ぬまでズルズル落ち続けるだけなんだ……

こんなことを真正面から四六時中考えて、精神がマトモでいられるわけがありません。

たとえ事実であっても、自分にとってキツいだけで何の解決にもならない事実は見ない方が正解です。「自分だけがつらい」「自分1人が不幸」は、まさにそんな言葉の筆頭格。

自分の不幸を振り返っても傷は癒えません。今はゆっくり休みながら再起のための方策でも考えましょう。

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幸せになるには自分で動くしかない

ぶっちゃけ、人に慰めてもらうことと実際に不幸から脱却することは全くの別物です。

人からの慰めと行動。どちらも大事なことですが……行動に限っては、もはや自分がどうにかする他ありません。

正直、人から貰えるのって、物理的な得に結びつかない慰めや励ましの言葉くらいなんですよね。あるいは、どう動けばいいかのアドバイスか。

自分が幸せになるための行動を代理でやってくれる都合のいい人は、それこそ奇跡に近い存在です。まずいません。みんなあなたのために動くだけの価値を感じてないでしょうしね。

だからこそ、本当に不幸を脱却したかったら、まず何より自分で行動してみる。それが嫌なら、相手が「あなたのために動きたい」と思うだけの価値を相手に与える。

自分がどんな地獄を見たところで、結局他人は無償で動いてくれません。

第一歩は、まず自分から!これは不幸脱却に限らず、どんなことにも言えるのではないでしょうか?

休んで羽を伸ばすのも大事

嫌なこともこれまでの不幸な生い立ちも関係ない。とりあえずパーっと遊んで、自分の不幸な生い立ちとか嫌な事とか諸々忘れてはしゃいでみましょう。

当然、何の解決にもなりません。やがては自分自身の力で前を向いて自力で進んでいかなければなりません。

ですが、前に進むにはある程度以上の気力や前向きな気持ちが必要になります。

要するに、「動く前にそのためのポジティブ要素や気力を補充する方が結果的にプラスに繋がる」というわけですね。

とりあえず飲みに行く。とりあえず遊びに行く。とりあえず旅行に出かける。「無意味な出費だ」「時間の浪費」という批判もありますが……直接的に結果に響く行動だけが全てではありません。

自分が完璧なコンディションを保つために遊びも息抜きも大事にする。これが気力を維持する上で一番大事なポイント。

暗い顔で無気力に過ごすと気分も落ち込みますが、だからといって笑顔でとにかく頑張るだけが正解ではありません。

嘆いて気力を浪費するのは一番ヤバい

時に弱音を吐くのも愚痴るのも、全部投げ出すのも必要な事です。

ですが、「自分が一番不幸」「自分が不幸な中で他の人たちは……」「あいつだけズルい!」みたいに思うばかりではいい結果を招きません。

むしろ周囲への憎しみや報われない気持ちばかりが膨らみ、そういった気持ちを動機に行動しても結果は伴わないどころか、場合によっては人を巻き込んでさらなる不幸を招くかもしれません。

愚痴をこぼしても疲れて足を止めても、何なら自分の不運や不幸を嘆いても構いません。そういうのを封殺しててもしんどいですし。

ただ、「自分だけがつらいんだ」とだけは思わないでください。その瞬間、救いは完全に無くなってしまいます。

つらい時は大いに嘆いて悲しみ、休んで遊び惚け、それでも最後には前を向いてきちんと歩みを進める。脱却のチャンスは、そうやって自分で前に進む人にしか訪れません。

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