「甘えるな!」「お前の努力不足だ!」とわめき散らす自己責任論者の本音を考察してみる

世の中

自己責任論。ここ数年で、何かと話題になってますよね。

端的に主張内容を解釈すると、「全部お前の自業自得」。弱者に対し、努力不足と一緒に唱えられることが多い理論。正直に言えば、私はこの手合いの論調は嫌いです。

ですが、単に「嫌い」で終わらせて不理解のまま話を終わらせるのも面白くない。

というわけで、今回は自己責任論者が何を思ってそんな主張を繰り返すのか、そこのところを推察していこうと思います。

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自己責任論のメリット

自己責任論者の真意を知るには、まず自己責任を唱える事のメリットを考えていかなければなりません。

というのも、何かしらのメリットがないと、どれだけ正しい主張や理にかなった言葉であっても唱えようとしないのが人間の性。
時として暴論として振り回される理屈であれば、なおのこと振り回すに足りる利点があるはずです。

当然、自己責任論を唱える人たちも、自己責任を唱えることにメリットや根拠があるから「自己責任だろ」と冷たく人を責め立てるわけで……まずそれを知らないことには、彼らの真意には近づけません。

さて、そんなわけで、いくつか私なりに「自己責任を唱えるメリット」「根拠」を以下にまとめて見ました。

自己責任論を唱えるメリット

  • 何も考えずに済んで楽だから
  • 何かの援助を受けてる人を理由なく否定できるから
  • 面倒な弱者救済をしなくて済むから
  • 弱い相手を否定する大義名分になるから

自己責任論を唱える根拠

  • 実際誰も助けてくれないから
  • 「自分の力で全部やってきた」という自負があるから
あかつき
あかつき

なんつーか、割と悪意マシマシな選出ですね……

これは筆者の立ち位置知れたわ……

個人の思想と推察に基づくものゆえ、若干の偏りには目をつむっていただけるとありがたいです。

ともあれ、私が思う「自己責任論の出所」はこんなところ。根拠に関しては、題目ごとに後述しましょう。

日本人は、少なからず強者に寄り添い弱者を見捨てる傾向があります。

というのも、その多くが自身を「弱者である」と感じており、そんな自分を助けてくれる強者の側を好む傾向がありますからね。

自分を不幸でかわいそうだと思っている余裕のない人に、弱者をいたわる心は育ちません。

「あんなやつより自分を助けろ!」「弱者なんて助けてメリットがあるのか」と、そんな思いが強いぶん、自己責任論も悪意的な使われ方をするパターンが多いのではないでしょうか?

メリットから解く自己責任論者の本音

さて、それではここからいよいよ本題ですね。いよいよ、私なりに自己責任論者の本題に入っていきましょう。

まずはもう一度、メリットをおさらいしてみましょうか。

  • 何も考えずに済んで楽だから
  • 何かの援助を受けてる人を理由なく否定できるから
  • 面倒な弱者救済をしなくて済むから
  • 弱い相手を否定する大義名分になるから

こんな感じですね。これらのメリットから、自己責任論が説かれる理由を考えてみましょう。

思考停止したい人のための魔法の言葉

自己責任論は、至ってシンプルな考え方です。「何があっても自分のせい」。
正直、「これといって相手を責める理由がないけどせっかくだから殴りたい/マウントを取りたい」という人にとっては、本当に神器とでも言いたくなるくらい便利な理屈です。

例えばどれだけ努力しても結果が出ないなら、それはもう本人の責任であり問題。
運悪く落下物が直撃して亡くなっても、その道を通った本人が全面的に悪い。
貧困家庭に生まれても、それを嘆く本人にこそ問題がある。
努力すればどんな絶望も吹き飛ぶので、不幸な奴は例外なくみんな努力していない。

とにかく何があったとしても「お前が悪い」と責めておけばOK。

大概の事は1%くらいは本人が原因になってる要因もありますし、もし何もなくても「不幸になりたいからお前は不幸なんだ」とか詭弁を用いれば、責め苦なんていくらでも出てきます。

物事は単純化してしまえば、あとはその原理だけに従って、理由付けをするだけでOK。

ある意味、「気合と根性があれば何でもできる」と同義です。どんな失敗や失態も、「根性が足りないせいだ」と言っておけばそれ以上原因究明に頭を使わなくて済みます。

自己責任論もいっしょで、「お前の責任じゃん(お前が自分でどうにかしろ)」と言っとけば、とりあえず頭を使わないまま相手にアドバイスした気になれるわけです。

厳しい事言っとけば、それだけ自分の方が上のように錯覚できますしね。

相手のつらさなんて知ったことではないという話

次の理由は、「何かの援助を受けてる人を理由なく否定できるから」ですね。ある意味、一番わかりやすい人たちですね。

要するにズルいと思ってる。だから援助を受けてたり同情される立場の人に対して、嫉妬心から全否定しようとするわけです。

「お前より私の方が何倍も辛い思いをしてきているんだ!なのに『助けてほしい』とは何様のつもりだ!」

と、当人たちの本音を書き出すなら、こんなところでしょうか。

人間普通は自分が一番かわいいし、結局自分だけをめちゃくちゃ贔屓してしまうものなんですよね。

だから他人の苦しみよりも自分の苦しみのほうが無条件で大きいと思いたくなるし、他人の苦しみを認められない人もいる。

そういう人たちは決まって相手の落ち度をなんとか掘り出し、どんな理不尽な不幸を目にしても「お前の苦しみは単なる嘘だ!」とか言いたくなるわけです。

極端な話、助けてもらうべき不幸な人は自分以外に必要ありません。

「お前の自業自得だからその苦しみは無効化される!」なんて破綻した理論ですが、自己責任論にしがみつく人の一部はそんなことを考えているのかもしれません。

あかつき
あかつき

想像してみてください。

給料日前、自販機になけなしの1000円吸い込まれて無駄になった時に、すぐ隣で詐欺に遭って100万円失った人が泣き叫んでると、なんかムカつくでしょう?

そのイライラを臆面もなく相手にぶつける能無しもいるということです

我が身だけを思う強者の理屈

「面倒な弱者救済をしなくて済むから」というのも、自己生人論をよしとする理由としては充分です。

国や社会といったコミュニティとは、少なからず強者が弱者を救うことで成り立っているところがあります。

強者同士の利益を出すためだけのコミュニティなんかもありますが、あれはあくまで会社のような利益団体の話。「みんなで助け合い」の公共のコミュニティにもなればそうもいきません。

ですが、弱者を救うのって、強者側からしたら面倒くさいんですよね。直接の利益にならないし、むしろ自分のリソースを弱者のために捨てるような行いでもありますから。

金持ちや権威者といった強者にとってみれば、弱者を救うのは利益にならない無駄。やりたがらない人も多いわけです。

ですが、「金にもならん事をしたくない」を堂々と宣言すれば、世間から叩かれて利益どころではなくなってしまいます。

そこで嬉々として持ち出されるのが、自己責任論。

自分のせいでそうなったんでしょ?なら、自分でどうにかしなさい

こう言えば、何だか正しいことを言ってるように見えますよね?

つまるところ、自己責任論とは「なんでお前らを守らなきゃいけないんだ」という強者の本音を隠す建前。そういう側面もあるということです。

弱者を一方的に殴る快感

「自己責任論は弱い相手を否定する大義名分になるから」。正直、これが一番卑劣な理由だと私は思っています。

そもそも、「自己責任」「自業自得」「自力でなんとかしろ」なんて人から説教される人の中に、怖い人とか権力者や金持ちはいません。

大抵は不遇や不幸の中で苦しむ弱者。

余裕も力もないような吹けば消える存在なので、どれだけ理不尽な言いがかりで責めようが罵倒しようが、反撃のリスクはほとんどありません。そんな元気ありませんし、権力を行使できるほど強い立場でもありませんしね。

要するに、あからさまな弱者はノーリスクで一方的に殴れる相手。善性を持たない人間にとっては、ストレス発散のための最高のサンドバッグなのです。

あかつき
あかつき

あー、まあこの手合いはストレス発散とか正義ヅラとか、あるいは強い相手への迎合ができたらなんでもいい奴らですからねぇ……。

マジで相手しても得しない連中です

基本的に、多くの人はその場の感情や空気に従い、その中で少しでも欲求と安全を満たそうとするだけの存在。強い思想や信念を持つこと自体が稀な存在です。

その中には軽々しく自己責任論を唱えて人を傷つけたり、安易に正義の味方を気取って日頃の鬱憤を晴らす人もいる。

こういう人たちは物事を深く考えておらず、単に「殴りやすい奴を殴っただけ」というパターンがほとんどです。

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