人生は不平等極まる理不尽な世界です。
足蹴にしながら楽しそうにゲラゲラ笑う畜生がも死ぬまで幸せなことあれば、人の幸せを願う素晴らしい人が不幸のまま悲劇の中で死ぬこともあります。
私自身も、既にある程度の年齢を重ねています。正直言えば、人生最初の3割は既に極寒の何も実らない冬で確定している身。
理不尽な目にもあってきたつもりですし、人並みよりは苦労の多い人生を歩んできた……つもりです。
で、今回何をするのかというと、そんな汚物としての生を歩み、今さらになって上がり調子になるかならないかという微妙に立ち位置にいる私が、「不幸な人は一生不幸なのか」という題材について思うところを語っていこうと思った次第。
月並みな回答かもしれませんが、どうか見ていってください。
一生不幸でしかない人生は……ある
まず「そもそも一生不幸なままで終わるような人生があるのか」について考えていきましょう。
生まれてから死ぬまで不幸な人生氷河期の人は……残念ながらいます。
おそらく、世の中には掃いて捨てるほど、そういう根っからの不幸体質な人はいるでしょう。
何をやっても絶対に成果に繋がらない。誰にも理解もされない。ようやく仲間ができたと思えば、その人は裏切り者でしかない。
親も自分を嫌って暴力を振るうし学校でもいじめられ、挙げ句教師も加担する始末。
社会人になってからも良い環境を引き当てられず、ほうほうの体でようやく入社したブラック企業勤めがせいぜい。
そして苦しみに耐えきれず死を選ぶか、あるいは強靭なメンタルで自殺を選ばなくても、「いいからくたばれ」とばかりに事件や災害に巻き込まれて命を落とす……。
こんなマンガ顔負けの人生も、探せばあるでしょう。
というか、実際又聞きですがこの話は実話です。
この話の主人公とも呼べる人物は、寝不足の不注意から機材トラブルに巻き込まれて亡くなってましたね。
このように、どうにもならないほどの不幸の星に生まれた人、「前世で何をしたらそうなるんだ」と言いたくなるほど悲惨な生い立ちを持つ人も中にはいます。
誰が何を言おうと、これだけは事実です。
不幸になるべくしてこの世に生を受け、当たり前のように地獄を見て、案の定とばかりに非業の死を迎える人も確かに存在します。
ま、私たちが知らない世界もあるということです。
頭では理解できない、想像を絶する不幸な人もいるというわけで……
不幸な人に集まるのは悪人?
不幸な人は基本的にみんな弱っています。しかも、なんだか自分より劣って見えることもあります。
そんなこともあってか、何故かどうしようもない人々から標的に選ばれることも多いんですよね。
泣き面に蜂とはこのことか……自分がつらくてどうしようもないとき、突然の理不尽な出来事に呆然としているとき、あるいはなにか不運が起きたとき……
こういう時に限って、被害を受けた人に走り寄ってきて説教を垂れる連中がいるわけです。
正直、元気な人を攻撃するより意気消沈した人を追い打ちで殴る方が、反撃されるリスクは少ないですよね?
悪人はそういう力関係に敏感な人も多いので、案外付け狙われます。
ある意味、これも不幸な人がなかなかのし上がれない原因かもしれません。
しっかし、人の不幸に説教垂れる連中の、あのしつこさと数の多さ何なんですかね?
腐肉にたかるハエ?
で、不幸な人は死ぬまで不幸なの?
さて、では本題に入りましょう。
実際に不幸の星に生まれ、不幸を味わうために生き、不幸のまま生涯を閉じる人は確かにいます。
ですが同時に、不幸の先に幸福への大逆転が待ってる人もいますし、そこまででなくても何だかんだそこそこの人生にまで巻き返す人もいます。
結論言うと、今が不幸だからといって、それが一生続くのかどうかは死ぬでわからないということです。
例えば奴隷の身から何がどうなったのか成り上がった人もいて、意外とどうにかなる人はどうにかなります。
例えば黒人奴隷を例にしても、ハイエット・タブマン(人権活動家)、フレデリック・ダグラス(政治家)などなど、案外探せばいるものです。
他にも大器晩成の英雄や偉人なんて山ほどいますし、皆それぞれに前半生で派手に苦しんでます。
当然、今幸せであればあるほど幸せでいられる確率は上がりますが……それでも「不幸な奴は一生不幸のままいなければならない」という決まりもありません。
生まれてからずっと不幸でも、ワンチャンどうにかなるかもしれないし、ならないかもしれない。それが人生のタチが悪いところです。
大器晩成型の実態
あっさり結論を書きましたが……要するに大器晩成型かどうしようもない不幸型かは死ぬまでわからないということですね。
で、おおよそ「どうせ死ぬまで不幸なんだ」と嘆いてる人の中には大器晩成型の人もゴロゴロいるわけですが……やはりこの生き方、楽ではないです。
なんと言っても、前半生はとんでもなくつまらないですからね。
運も間も悪く、何をやってもパッとしない。
やもすれば気分でいじめや村八分の対象になったり、なんか変な奴に絡まれて不当に評判を落としたり、何かに挑戦しても大失敗して文無しの赤貧に身を落としたり……とにかく、何かをやろうとすると不運がつきまといます。
大器晩成型の人の前半生は、基本的に卓越した知識も才能も認められず、呪われたような日々を送ます。
いつかいきなり報われ始めるとはいえ、その「いつか」がわからない。もしかしたら来ないかもしれない。
大器晩成って、基本的に絶望と隣合わせの人生なんですよね。
そう考えると、一生不幸なんて思えるくらいの人生が、突然変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
自分を大器晩成型だと思う必要はありませんが、「もしかしたら」も当然ありますので、腐る必要はありません。
仮に全部ダメでも……
仮に何をしても一生不幸で、絶望にもがき苦しんで死ぬ以外にない場合……。
この場合でも、結局やることは変わりません。
むしろ何をやっても不幸になるわけなので、尚のこと好きに生きられるように全力を尽くすのが一番いいと思います。
どうしようもないつまらない人生であっても、それでもまだ景色や音を楽しむ、自分が「良い」と思った道を進む、束の間の休息で散策を楽しむくらいの自由はあります。
いかに神様が外道であなたからあらゆるものを奪い取ったとしても、自由まで完全に奪い取ることはできません。
ブラック企業やいじめの被害を受けて環境が駄目なら、即刻撤退する算段を整えましょう。
面白くないつまらない人生なら、好きなものを少しでも多く人生に取り入れましょう。
絶対に人生がいいものにならないのであれば、なおのこと少しでも楽しい人生になるように心がけてみてください。
楽しもうとして楽しめないのは苦痛ではありますが……おそらく悶々とするよりは、まあ多少は悔いのない人生を歩めますよ。
筆者の身の上話をしますが……
今やりたいことと人生の最終目標、万一の場合に自殺する場所をある程度決めて、住処も職も転々として生きてます。
まあ、こいつ馬鹿なんで真似る必要はないと思いますけどね
不幸なときこそ自由に生きたい!
本当は「生きよう!」なんて強く言いたいところですが……まあつらい人生、そう言われてもキツいばかりですよね。
なのであえて、「自由に生きたい」と、あくまで私個人の理想にとどめておきましょう。
ですが、実際来るかもわからない幸せを思い描きながら、ある程度筋道立てて生きたほうが後悔が少ないのは事実です。
神様からも見放された幸薄い人生。せっかくならば、自分の手で幸せを作り出す方向に舵を切っても、罰は当たらないのではないでしょうか?
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