「いい人をやめると楽になる」とはいうけれど……

世の中
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最近よく言われるようになりましたよね。「いい人なんてやめてしまえ」「いい人はどうでもいい人」などなど……。

実際、世の中には他人を使い捨てるような人が増えてきましたし、そういう人間が成功して幸せを掴む機会も多くなっています。

だからこそいい人なんてさっさとやめてしまいたいと思うも人も多いですが……正直、1度ついた癖を直すのは至難の業ですよね。

「いい人なんてやめたくてもやめられない!」と。今回はそんな人向けの内容。

正直言って、やめられないなら無理にやめることはないです。

どうせ正解なんてねーから!

方法以前の問題です。いい人なんてやめる理由は別にありません。続けたきゃ続けていいです。

正直、何が正解とかありません。強いて言うなら、自分が思ったものがこの世の正解です

とすれば、いい人をやめたいのならばやめればいい。どうしてもやめられないなら、いい人であり続ければいいだけです。

いい人をやめられない理由が恐怖心でもよし、困ってる人をほっとけないお人好しな性分のせいでもよし。

どっちにしろ、お人好しをやってて人から責められる理由はありません。

とはいえ、お人好しも自分が実害を被っているのなら、いくらか意識を変える必要が出てくるかもしれません。

この場合も、変えるべきは「自分がいい人である」という点でなく、「人から利用されてつらい」という点。

お人好しが悪いのではなく、お人好しであるせいでダメージを受けているのが悪いのです。そこを間違えないようにしましょう。

あかつき
あかつき

人のよさを馬鹿にするのは人としての腐敗の始まりです。

人の好意に甘えるだけ甘えて、必要なくなった途端に否定を始めるのを肯定できますからね

悪を助ける必要は無し

さて、ここからは私自身の思いも述べながら、お人好しのまま実害を減らす方法を考えていきましょう。

お人好しを続けたまま、しんどさや実際に受ける被害を減らす方法の中で、1つ確実なものがあります。

それは、悪人を助けないこと。極端な話ですが、恩を仇で返すような人間を助けなければ自分が受けるダメージも少なくなります。

相手がどんな人間であれ、助けないのは抵抗があるかもしれません。ですが、助けてもロクなことをしない相手というのは確かに存在します。

恩を仇で返す、人の助けに恩を感じない人が本当に人類悪の類であるかどうかは、この際置いておきましょう。

ですが、少なくともあなた自身から受けた恩を何とも思わない時点で、あなた自身にとっては間違いなく悪です。

人の優しさに付け込もうとする人に対しては、もう心を鬼にしましょう。そして、どうしても心苦しい場合はこう思いましょう。

「人として正しくない相手を救ったところで、むしろ周りに被害を与えるかもしれない」、と。

あかつき
あかつき

これは損得の話ではなく、悪党が人の助けを得た結果、つけ上がるとどうなるかという話です。

そういうことにしときましょう

悪を助けると被害甚大?

正直、あなたの恩を仇で返す行いはよろしいものではないとは言え、人の恩を踏み倒す輩が本当に悪なのかはわかりません。

ですが世の中には、善悪よりも「善行と悪行のどちらが得するか」という損得を優先する人が大勢います。

こういったタイプの人が悪事を働かない理由は単に「悪事のせいで悪い評判が立つと損だから」以外のなんでもなく、恩義を踏み倒した方が得と判断すれば遠慮なく踏み倒します。

そこで、恩を踏み倒す、あるいは仇で返す方が得だと彼らに思わせてしまえば……今後、そういった損得で動く人たちの被害者は増える一方でしょう。

大丈夫、ちょっと困ったことがある程度では致命的な問題に発展することは少ないです。
あなたの助けに感謝も恩も感じない、あるいは喜んで使い捨てにするような奴は、今後被害者を増やさないためにも見捨てて構いません。

みんな人の善行も悪行もあんま見てない

お人好しがやめられない人の中には、「いい人をやめたらみんなから嫌われるんじゃないか?」と気にしている人もいますが……正直、これも杞憂と言っていいでしょう。

だいたい、みんな自分のことで手一杯な人ばっかです。よほど悪意を持った目で人を見ない限り、ちょっとやそっといい人をやめたくらいではどうでもいい。

というか「いい人をやめたお前に生きる価値がない」とか言ってる奴にこそ迎合する必要はありません。

これはあくまで私の主観ですが……生来のお人好しでもない限り、人助けで疲れきってまで奴隷としての中途半端な人権を認めてもらうより、いっそ見捨てられて一人でのんびりやった方が遥かに楽です。

巷ではよく「根拠のない自信を持て」とか「いい人をやめれば楽になるぞ!」とか言われてますが、そこまでやる必要はありません。

ただ、「いい人でいるなら人権を認めてやる」なんて上から目線の連中なんてこっちから切って捨てる。それだけでいいです。

まあ騙されたと思って、まずは無茶な要求にとりあえず「NO」を突きつけるところから始めてみましょう。
もし断られてキレ始める奴がいたら、そいつこそあなたが「いい人」でいることを阻害する敵です。

あかつき
あかつき

まあ、みんなわかってることだと思いますけどね。

その方がいいとわかってるのにやめられない。いい人とか、その最たる例でしょう。

でも、やめてみなきゃ先に進めない。本当に人生ってやつは難儀なものです

でも悪人を憎んじゃダメ

さて、ここまであなたの善行を平気な顔で搾取する連中を悪だなんだと罵ってきましたが……1つだけ覚えておいていただきたいことがあります。

思うだけなら「しね」でも「バカ」でも問題無し。その人を助けるか助けないかは本人の自由。ですが、悪を憎んでこちらから相手に攻撃を加えるのはナシです。

そもそも、憎むのは精神衛生的によろしくない。ここは「かわいそうな人だ」と哀れむくらいが理想です。

道徳的な観点を抜きにしても、何の被害も受けてないうちから相手を攻撃するのは悪とされる行いです。
実際に相手がどれだけ下劣でヤバい性格をした人間でも、だからと言って危害を一方的に加えていい理由にはなりません。

悪即斬なんて嬉々としてやったあかつきには、それをみた周囲から白い目で見られるのは避けられません。下手をするとこちらが排除されたり法律によってこちらが裁かれることもあるでしょう。


個人的な理想を言うなら、「罪を憎んで人を憎まず」。悪人でも改心するならそれでよし、というのが好ましい。

ですが、そこまでは求めません。求めませんが、せめて「それは悪いことだから」という理由で一方的に攻撃していい理由にはしないでください。

あかつき
あかつき

そもそも、人間ひとりの視点だけで判断した善悪なんて主観だらけのめちゃくちゃなものです。

筆者のヤローはそれをわかって悪がどうとか言ってるから、真似しちゃダメですね、はい

罪があるなら勝手に裁かれる

また、いい人をやめられない人の中にはこんな人もいますね。

「自分は悪い奴なんだ。だからいい人でいないといけない。許されちゃいけないんだ」と。

正直、これに関してはもっと気楽に生きられればいいのに……と思えてしまいます。


大体、何か集団の中で悪いことをしてしまったらその集団から罰せられます。
しかもタチが悪いことに、集団によって善悪の基準もバラバラ。

多分本人たちもわかってて罪の意識から抜け出せないんだと思いますが……自分から罪を背負う必要はまったくありません。

極端に無責任なことを口走りますが……例えば生きてることが罪だというならば、そう思った人が殺しに来れば良いだけの話。他の罪状にしたって同じことです。

逆を言えば、誰も罰しないならその程度の罪ということ。自分の行動に悪意を持ってないなら裁かれない限り無視で構いませんし、悪意で誰かを貶めてしまったのなら、自罰でなくその被害者の得になるように動いて罪を償ったほうがよっぽどいいです。

世の中に「苦しまなければならない人」「生まれてきてはいけなかった人」がいるのならば、それは自分でなく神様か何かが決めるような次元の話です。

気にせずやっていきましょう。

あかつき
あかつき

すっげーキツいこと言うかもですが、被害者が何とも思わない場所で苦しむような自罰行為って、自己責任なんですよね。

それより、被害者も自分もハッピーになるような償い方を考えましょう。そのほうがお互い気持ち良くなります

いい人がやめられないなら

まとめると、私が言いたいのは以下の通りです。

いい人がやめられないなら、いい人をやる相手に条件をつけよう!


誰が何と言おうと、お人好しは美徳です。それによって助けられた人も、何人もいることでしょう。

ですが、助けられるのが当たり前になって「徳を積ませてやっている」みたいな上から目線になった人間を、もはや助ける必要なし。
ツケ上がって、他の人にも偉そうな態度を取るかもしれませんしね。

「自分を大切に」とか「自己肯定感を高めよう」とか、そういうのは一旦脇に置いときましょう。

それよか、今はお人好しを誰に発動させるべきで、誰に発動させないべきかの基準を自分なりに設けることです。

自分から長所を自分からわざわざ捨てることはありません。それよりも、本当の意味であなたのお人好しスキルを必要としている人に的を絞って、その力を活用してください。

それが、本当にみんなで幸せになるための大事な心構えです。

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