世の中の風潮として、「趣味のない人はつまらない上に人間性も劣る」という傾向があるように感じます。
曰く、「無趣味な人は話題性にも人間力にも欠け、成長できないタイプ」とかうんとかかんとか……。
もっとも、趣味が心の広がりの元になると言われればそういった一面もありますが、だからといって「無趣味はいかん!」と周りがとやかく言うものなのか、というのが正直な思いです。
今回は、無趣味が本当に人々に悪影響を及ぼすのか、本当に悪いのか、なぜ悪いとされるのかを考えていこうと思います。
そもそも無趣味な人に迷惑被ってる奴っているの?

偶然周りに迷惑かけてるどうしょうもない奴が無主味だとか、人間性が劣るような輩に何が趣味か尋ねたところ「無い!」と答えられたとか、そういう「結果的に無趣味な奴に困らされた」という事例はあるでしょう。
ですが考えてみてください。「趣味がない」という状況そのものは、他人に悪影響を与えるものなのでしょうか?
「趣味の無い奴悪い奴!」なんて声高に唱える奴らにその辺問い詰めても、「非常識」とか「人間的に幼稚」とか、明らかに無趣味と関係ない特徴を無理矢理結びつけて語るばかりかと。
要するに、無趣味が与える悪影響って、どうやってもこじつけでしか発生しないんですよね。
仮にあったとしても、悪影響を与える奴がたまたま無趣味だったというだけの話であって。
その辺気に病む必要も全く無いですし、悪影響とかどうでもいいので気にしないようにしましょう。
人間、何かにつけて自分より劣ってる人間を作り出したい生き物です。あんなのは理屈も何もない、単なるマウンティングです。
自分で負い目を感じてない?
人に言われる以前に、そもそも自分自身で無趣味に負い目を感じたりもしていませんか?
人間、自分が悪いことをしていると思うと、何も悪くないことでも周りに悪く思われていないか心配するものです。
「無趣味な自分に回りが失望しているのではないか」
「やっぱり趣味の無いことは悪いことなんじゃ……」
「趣味がないのは自分だけ?」
とまあ、こうやっていろいろと気に病んであれこれ考えれば、それだけドツボにはまっていきます。
別に誰も迷惑してないし、仮に趣味がない=つまらないとして、じゃあつまらないから周りにとって害悪なのかというと、そうでもない。
漠然と「なんか印象悪そう」「悪いこと」と思ってしまう前に、何が悪いのか考えてみましょう。無趣味に限らず、とやかく言われるほど悪い理由が見つからないことは多いはずですよ。
趣味を極める人も馬鹿にされている
まあ大半が気のせいだとしても、やはり趣味がないことで下に見てくる人もいますね。
しかし考えてみてください。世の中においては、無趣味の人と同等かそれ以上に、趣味にあふれた生活をしている人も散々馬鹿にされています。
そう、所謂オタクというやつです。
オタクがどういう目で見られているかは、もう明白ですね。キモい、オタクというだけで不潔、何のために存在しているかわからないetc……
結局、趣味があっても、それらをとことん極めたところで、無趣味をバカにする奴らが送ってくるのは軽蔑の視線でしかありません。
人間は何かしら自分と違う要素を持った者は理由をつけて見下したくなる生き物です。
そう考えれば、無趣味に対する見下しも狭量な連中の一方的な言いがかりでしかないと言えますね。無趣味そのものが悪という声には、原則対応する必要はないと思いますよ。
趣味がない=悪いと言われる理由
実際に趣味が無いことは別段悪いことではないですが、あくまで印象だけはいいものではありませんよね。っても、所詮は中身のない印象だけの話ですが……
なぜ具体的には悪いことなど何もないのに否定的な目で見られるのか……その辺をちょっと考えてみたいと思います。
そもそも見下す相手が欲しいのが人間
そもそも、人は人を見下したい欲求が本能的に備わっています。そこに理由もへったくれもありません。
自分と違う人間は悪である。そう思うことによって、「自分は間違っていない」「もっと下がいる」と自分を安心させることができます。そこにとって付けたような理屈を並べて、大して害のない相手をたたいてスッキリしたい人たちもいるわけです。
結局それっぽい理屈を根拠に叩ければ何でもいいわけですから、当然無趣味な人もそういう輩のターゲットになり得ます。
器が小さい人間ほどその傾向が強くなるわけで、声を大にして無趣味を悪と言い放つほど変な人だと思っておけば、それだけで気持ちが楽になりますよ。
無気力無趣味な人からの警告
無趣味な人の中には、明白にやりたいことがいくつもありながらも、「時間がない」「気力がない」という理由で趣味を先送りにした結果、自分の存在する意味が分からなくなってしまった人たちもいます。
そういう人たちも、上記の見下す相手が欲しい人と別の理由から「絶対に趣味を作れ」と強く忠告してくるケースは多いです。
これに関しては善意だし間違った意見ではありません。実際、やりたいことがあっても気力不足で諦めていては、いつかは無気力に陥ってしまう可能性も無いとは言えないでしょう。
とはいえ、これに関しては単純に自己肯定感とか、自分で自分をどこまで認めているかの話になる気もします。
つまり、彼ら自身無趣味に対していい感情を持っていないからこそ無気力で無趣味な自分に悶々とする結末を迎えてしまうわけですね。
「無趣味でもいいじゃん」と開き直れば、少しは憂鬱な気持ちも消えていきますよ。
別に人に言える趣味が無くても、それこそ生きるのが少しでも楽しくなるならそれが正解。人生そんなもんでいいのではないでしょうか。
「無趣味はつまらん奴」という幻想
無趣味=つまらん奴というのも、私から言わせれば単なる幻想。要は控えめでおとなしい人を見て「真面目」と見るか「根暗で陰湿」と見るかの違いに等しいです。
結局、先入観と第1印象だけで結論が出ていて、後はその結論に沿った特徴を強引な理屈で結び付けているだけなわけですね。
よく第1印象でほとんどその人の評価が決まると言いますが、要するにほとんどの人は「第1印象と中身がどう違うのか」よりも「第1印象と実際の中身の印象は道理靴を立てれば合致するか」という考え方をしています。
ようは、第1印象ですでに答えを出しており、あとは「やっぱり見た目通りだった」と言えるように答え合わせをしているだけというわけです。
実際、これといった趣味が無くても楽しそうな人は楽しそうだし、そういう人の話は結構明るい話題が多いです。おそらくは趣味じゃなくて、見てる世界の話ですね。
あとは、単に馬が合うか合わないかの話もあるでしょう。
別にプライベートでよく知らん赤の他人に品定めされる筋合いもありませんし、そこで胸を痛める必要はないと思いますよ。
世間の風潮への迎合
そもそも世間の風潮として、「有能でどんな仕事もそつなくこなし、アウトドア系の趣味も充実していて友達も多い朗らかで誰にも優しくどこへ行っても最大限称賛される人こそ1流」という考え方が根強くあるように思います。
無論、そんな人世界のどこを探してもいないわけですが……それでも、やっぱりこの物差しに自分や人を当てはめて1流とそれ以外で選別してしまっている人も多いです。
そんな「完璧超人以外は人に非ず」という見方をしてしまうと、ごく1部の恵まれた強運の持ち主以外はみんなゴミ同然になってしまうのも致し方無し。
特に自分をそんな外部の身勝手な物差しに照らし合わせてしまっている人は、1回それをやめてみて、もう1度良し悪しを取り除いた等身大の自分を見直してみるべきでしょう。
完璧に囚われてしまえば、もっとも短所が見えやすい自分自身がダメ人間以外何者にもなれなくなるのは道理です。
ぶっちゃけ趣味って何?
さて、ここまで語ってみて、ちょっと1つ気になることが出てきました。
「結局、趣味って何を指すの?」
人の趣味をバカにする人も、趣味が見つからず自分をダメな奴だと嘆いてしまう人も、なんだか趣味を実りの多い崇高なものと捉えているのではないかと思えてきました。
結局、趣味という枠組みを設けて自分の行動を選別すること自体が無駄なのではないだろうかと、そんな風に感じます。趣味が無いというよりは、人様に言えるような崇高な趣味が無い。これが無趣味な人の答えなのではないかと。
個人的な所感になりますが、それこそどんなものでも、自分が楽しいと思えれば趣味で結構。
趣味がゲームでは恥ずかしいことですか?YouTubeでくだらない動画を見ることで、いったいどんな損失がありますか?
結局自分の時間の使い方は自分が決めるものです。ゲームやって楽しいならそれでよし。動画を見てゲラゲラ笑えるならそれもまた結構。
ぶっちゃけ、適当に入った店にクレーム入れるのが趣味の金持ち気取りのほうがよっぽど害悪だし、人間的に下劣です。
無趣味結構。くだらない趣味も結構。それが楽しいのなら立派に趣味と言えますし、それをつまらない奴と思う連中がいれば、単純に馬が合わないか相手が表面でしか物を語れない残念な人なだけです。
特に楽しいと思えることがないなら、とりあえず今やれることの中で「これやりたい!」と思えるものを探せば結構。無いなら寝て待つ。嫌なら周りの景色でも眺めながら散歩してみる。
趣味とは作るものではなく、偶然見つけてできるもの。
「体力的に無理」「時間がない」と諦めてしまうのは少々もったいないですが、それも今現在あなたの中での優先度が低いだけです。今は目の前の楽しめることを楽しめばいいでしょう。それが高じて趣味になっていくのです。
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