社会の競争に疲れたあなたへ。「百戦百勝は善の善なる者に非ず」です

世の中
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資本主義社会の中では、競争し、勝つことが常に求められています。というか、勝負して勝った側が負けた側を好きにするのは、古来からの動物の性なのかもしれませんね。

正直、否定はしませんよ。競争によって生み出されたものも確かに多いですし、より有能な者=勝てる者が主体的に世の中を作っていくのも理屈としては納得します。

ですがだからといって、なりふり構わず何でもかんでも競争を吹っ掛けて勝っていくような人生の果てに、本当に幸せなんて漠然としたものがあるんでしょうか?

競争して勝つのも確かに大事なんでしょうが、「そもそも戦う以前に大前提となる部分があるんじゃなかろうか?」とも思ってしまいます。

百戦百勝は……ほぼ死にそうな人

「他の人とは戦って勝つことが一番大事!」と、昨今ならそう声高に叫ぶ人がいても驚きませんね。それくらい競争は、今現在の社会では当たり前のものになっています。

ですが、競争が全力で肯定される裏で、戦い続けることに疲れ果ててる人も少なくありません。

競争に犠牲がついて回るのは、自然の摂理といえばそう。ですが、だからといって「勝てれば何でもいい」というわけでもありませんね。

戦えば、当然ですが傷つきますし疲れます。敗者だけでなく、勝者も少なくとも傷くらいは負うし、いくら勝とうが戦うだけでもエネルギーを消費します。

タダじゃないんですよね、勝つことって。

競争とは消耗戦です。24時間戦える人はそう多くはありませんし、世の中のすべてに対して根を詰めて戦い続けても、どこかで体力がゼロになって体を壊します。

我々は勝てば体力が全回復するような都合のいい体ではありませんし、戦うだけでなく休むことも必要不可欠です。

というわけで、個人的には「何でもかんでもとにかく戦え!戦え!」みたいな価値観には賛同しかねますね。とりあえず戦うばかりでは敵も増えますし、自分のリソースも削れていきます。

あかつき
あかつき

まあ、「フハハハハ!戦いこそ我が喜び!」って人がいるなら止めはしませんし、否定もしません。

ただ、世の中そういう人ばかりではありませんよね

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「競争が義務」って奴はヤバい戦闘狂

煽るみたいな見出しで失礼。

ただ、「寝る間も惜しんで戦うことが義務なんだ!我らは戦士なんだ!」「とにかく戦って勝つだけが人生だ」って人がいますよね。正直、賛同できない。

それこそ先ほども言いましたが、どこでも競争。何でも比べてナンバーワンしか見ない。こういうナンニデモ=競争理論ともいうべき思想は、周囲を荒廃させて自分まで疲れさせる考え方です。

「競争して勝たなければ、その分野での利権は取得できない」。ええ、おっしゃる通りです。実際、競争主義社会ではそれが普通です。私がこのことを嫌おうが、事実は事実です。

ですが、あくまで「競争しない分野では利権も自分の分け前も手に入らない」“だけ”なんですよね。

つまり、勝たなきゃ自分が得をしないだけ。仕事の一環としてならともかく、肩書を抜いた素の自分が、周囲と無理して戦わなければならない理由がないんですよね。

特定分野での利権がほしいならその分野でだけ戦うべきであって、目的もなく特に勝っても得しない分野で戦うのを「当然」とするのは、ちょっと無理があるんじゃないでしょうか?

とにかく勝つことだけが目標になれば、なりふり構わず四方八方に喧嘩を売ることになります。

例えば物作りの技術を極めたい人が、見た目やモテる話し方でリア充と勝負することに意味があるのか?

漠然と「楽してお金を稼ぎたい」と思っているだけの人が、そのための努力と痛みに耐えられるのか?

人生は競争よりも取捨選択です。必要ない競争を切り捨てることも、自分の人生をよくしていくために大事です。

多くの人にとって、人生の目標は勝つことではなくより幸せになる事です。

戦って勝つのではなく、まず戦うことが必要なのかどうかを考えて見てもいいかもしれませんね。

あかつき
あかつき

まあ弱者の利権だけを握って、あとは競争せずゆっくりこぢんまり生きるのも、それはそれでいいですけどね。

夜もぐっすり寝れますし、余計な恨みも買いません

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競争するなら目的を明確に持つべし!

とはいえ、私は戦うことそのものは否定しません。まあ戦わない事も否定しませんが。

ともあれ、競争はただでさえ消耗が大きく、戦闘狂でも戦い続ければいつかは疲れ果ててしまうものです。自分も相手も周りも疲れて、長期的に見ればロスも大きいです。

だからこそ、何を目的として誰と何の分野で戦うのかはしっかりと見極めなければなりません。

競争とは手段のひとつであって、間違っても「何かが変わるだろうしとにかく勝利」という雑な目標のためにやるものではありません。明確な目標あってのものでなければ、無駄に人を傷つける事にもなり得ます。

よくわかんないけどとりあえず争う。目的は無いけど勝てそうだから戦う。これでは自分も力を無駄に使いますし、相手の恨みも買うことになるでしょう。

戦って勝つだけが、必ずしも人生の最適解ではありません。むしろ、余計な争いを起こさない方が結果的に楽に結果を出せます。

もし誰かと争う場合には、もう一度自分の目的と照らし合わせ、「本当に目的のために戦うべきなのか」「どこまで戦うのが一番ダメージが少ないか」を考えてみましょう。

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相手を徹底侵略するのは基本悪手

さて、では次に「人と戦う以上、相手に甚大な被害を与えて徹底的に追い詰めた方がいい」みたいな考え方に関して。

これは多少ならメリットもあるような気がしますが……やはり最適解からは程遠いです。むしろ徹底的に争って、相手を叩き潰すことで生じるデメリットの方が多いような気がします。

「うるせえ!勝つのが全てじゃ!」「相手を潰すのが戦いだろ!」という方のために、まず端的に合う手を潰すことのデメリットを上げてみましょう。

  • 相手を潰すまで時間と体力を消耗し続ける
  • 相手から恨まれる
  • 孤立のもと

と、こんなところでしょうか。

長期化の代償は大きい

消耗に関してはさっきまで述べていた通り。競争はとにかく消耗します。戦えばそれだけ知恵も体力も絞りますし、時間が長くなればそれだけ消耗する数も減ります。

すでに余力の無い相手を死ぬまで追い詰めるとなると、それだけ余分なリソースを消費することになるわけです。

せっかくタイトルで孫子の言葉を引っ張ってたんです。ここでもちょっと引用してみましょう。

鈍兵挫鋭、屈力殫貨、則諸侯乘其弊而起

雖智者、不能善其後矣


兵が気力を失ってお金も尽きてしまえば、国力の疲弊に乗じて他国に攻められる。

素晴らしい知者であっても、そんな状態の事後処理はまず失敗してしまう。

競争の場に躍り出るということは、「隙を見せたら刺される」なんて物騒な世界に身を置くのと同じです。敵は1人ではありませんし、とことん相手を追い詰めて悪目立ちしても、それで周囲に攻撃されて跳ね返せないのでは意味がありません。

とりあえず目標を手にすれば、そこで戦いはおしまい。競争にしたってそれが理想ですね。

あかつき
あかつき

相手の領土と国力が欲しくて戦争したのに、田畑を踏み荒らして不毛の土地にして領民も皆殺し……これじゃ戦争の意味がありません。

競争も一緒。相手の持ち物や相手を屈服させるのが狙いなら、余計戦うのは最後の手段にすべきですね

相手に恨まられると面倒です

「恨まれても大丈夫なように相手をとことん潰すんだ!」「敗北者の恨みなんて怖くねえ!」……と、こう思うのは、人間ならある意味仕方ないかもしれません。

が、断言しましょう。人の恨みは怖いですよ。死ぬまでずっと嫌われて、場合によっては命すら狙われます。

確かに、敗北して何もかもを失った相手からの恨みはそこまで恐くないです。

ですが、潰した相手には相手の生活、相手が接してきた人たちとの人間関係があるわけです。

誰かを潰せば、大抵その人と仲のいい誰かからも嫌われる。ましてや自分が一方的に叩き潰した相手なら、余計相手に正当性があります。

とりあえず手近な相手を蹂躙して、息の根を止めてから次の獲物を探して回る……こういう生き方をしていれば、いつ包囲網が敷かれてもおかしくありません。

不戰而屈人之兵、善之善者也

戦わずに相手を屈服させるのは、最善の策である。

まあこれは「戦争すると消耗するから、傷つかずに終わるのが一番だ」という意味ではありますが……恨みを買わない意味でもこれは最善策ですね。多分、相手の心が折れれば滅多なことでは裏切りはしないでしょう。

「人に優しく」は、ある意味では自分が恨まれて刺されないための防衛策でもあります。敵だからといって、特に理由もなく追い打ちをかけるのは考え直した方がいいでしょうね。

あかつき
あかつき

追い詰められた人間の成れの果てが「無敵の人」ですね。

「どうせ死ぬしかないし、せっかくだから」と命を狙われる可能性も低くはないはず

社会的な悪は袋叩きの的

いくら競争を良しとされている社会といっても、やはり節度というものがあります。節度を越えた死体蹴りや追い打ちは、やはり見ていて気分のいいものではありませんね。

当然周囲からも反発されますし、道徳的にも問題があるので非難の声は少なくないでしょう。

ぶっちゃけましょう。極端に冷酷で、とにかく死ぬまで相手を追い詰めようとする奴は社会的にはです。

悪がどんな目に遭うのかは……まあ、ネットを見ればわかりますよね。

人はみんな、「悪には何をしても構わない」と思っているフシがあります。こういう人たちにとっては「弱さ」こそが悪なんでしょうが、世間一般ではまだまだ道徳は健在です。他人を叩く道具として道徳を持ち出すケースは多いですよ。

非道徳極まる行いは、相手に「私は悪者です退治してください」と言っているようなもの。いくら自分の敵だからと言って世間の敵ではありませんし、そこを履き違えて余計な追い打ちを与えないようにしましょう。

あかつき
あかつき

逆に追い詰めた相手と対等の関係として仲直りすることで、「人間性に優れた人」とアピールする手も……いや、忘れてください。

つーか相手をボコボコにしてなお正義の味方でいられる人もいるけれど、まあ疲れるという点に限っては万人に共通ですね

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無駄な争いに益は無し

いくら競争社会でみんな争って当然だと言っても、所かまわず争いを繰り広げても大概ロクな事にはなりません。

無駄な競争を避け、手を取り合える相手とは協調路線を取る。これも立派な戦略です。

戦って相手を打ち倒しても実利がほとんどなく、しかも周囲からも叩かれて大炎上……これでは、むしろ無意味を通り越して収支はマイナスですよね。

あくまで競争には目的をもって、相手を倒す事でなく目的の達成を最優先としましょう。

無論、「自分が幸せになる」という目標のために対して実利も名声も必要ないなら、誰かと競争したり比較する必要も無し。

「争いは最低限に」というのは、決して頭がお花畑の平和主義的な考え方ではありません。くれぐれも余計な恨みは買わず、無意味な消耗は避けて生きていきましょう。

あかつき
あかつき

争いの無い自由な空へ

翼はためかせ行きたい……

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