今回はうちのサイトの中でも特に採算度外視の新規流入を見込めない、下手をすると人が離れかねない超危険ネタをぶち込みます。
有り体に言えば、特定タイプに固執することについて。
今回のネタで見限る人が多いであろうことは百も承知。ですが、類型についていろいろと語っている以上避けては通れないネタとも言えるでしょう。
というわけで、今回は意を決して、炎上覚悟の記事を書き上げていきます。
「自分はこのタイプだ」とアイデンティティにする人たちとは
まず初めに、自分のタイプに固執する人たちについて簡単にまとめてみましょう。
「自分のタイプはこうだ」と強く主張する人はもちろんこの類に含まれます。
他にも例を挙げるならば、無料診断の良し悪しを自分の診断結果ありきで語る人、「本物の◯◯とは」と得意げに自分のタイプを語る人、場合によっては昔の行いや最近の様子を心理機能に当てはめて語る人も黒寄りのグレーでしょう。
最後のは本当場合によりますけどねー。
ただ体感としては、半分くらいがその手合いです
とにかく、自分を「このタイプだ」と言い切ったり、「自分こそが真の◯◯だ」といった論調を展開する人はアウトです。
Xのフォロワーの人が上手い具合に表現していましたが、特定タイプ∩自分はあっても、特定タイプ=自分ではありません。
それを、特定タイプこそ自分を言い表していると思っているわけですね。
特定タイプに固執することの危険性
さて、何も今回、吊し上げが目的なのではありません。続いては、特定タイプに固執することの危険性について考えていきたいと思います。
と言っても話は単純で、「何のためのエニアグラムやMBTIかわからなくなるから」。これに尽きます。
自分がエニアグラムやMBTI、他にもソシオニクス、ビッグ5……なんでもいいですが、なぜそれらに手を出したのか考えてみましょう。
本当の自分を知るため、あるいは自分自身がどんな人間なのか言語化するため、自分自身という人間がどんな人間なのかを詳しく知るため……いろいろと理由はあるでしょう。
ですが一概に言えるのは、自分自身をより深く知りたいという欲求から類型を学ぶに至ったという経緯があるはずです。
今回は「私INFPだったww」とかやってるだけのライトユーザーに対して言うことはありません。
ある程度類型に触れて、特定タイプに強い憧れや衝撃を受けた人向けですね
ですが、あるタイプを「これこそ自分」と思い込み固執し始めると、どうなってしまうでしょうか?
自分の本質がわからなくなる
まずひとつめの弊害として、目が曇ります。
具体的には、自分の本質や本当の自分というものがわからなくなります。
特定タイプを「これこそが自分」と盲信することによって、特定タイプの概要や書かれている内容が全て自分のことのように思えてきます。
実際にそうかどうかにかかわらず、この状態が危険です。
自分の目が曇ることによって、特定タイプと自分の境界線が曖昧になってしまいます。
曖昧になった境界線はそのまま「そのタイプの特徴は全て自分の特徴」と考えてしまうようになりかねず、自分の本質からどんどん自己認識が遠ざかっていきます。
本質なんてものも曖昧なものですがねー。
ただ、自分とは違う存在を自分だと言い張ることはいいかと言うとあまりよくないです。つーかわろし
特定タイプに行動を寄せるようになる
個人的には、これが危険度激高です。
自分を「このタイプだ」と下手に確信・固執してしまうと、行動がすべて教科書に書かれている通りの特定タイプに寄っていきます。
例えば自分をINTJだと信じて疑わないISFJがいるとして、その人は本来持ち合わせている「ルールの遵守」「周囲と仲良く」といったような長所は一切使えません。
逆にINTJの説明にある通りにあえて人と打ち解けない態度をとってみたり、劣等であるNe(外向直観)で予見した最悪の未来や「もしかしたら」をNi(内向直観)で見た未来や本質と勘違いしてしまうでしょう。
要するに教科書通りの特定タイプを「自分だ」と強く思い込むことによって、そのタイプに行動を寄せてしまう。
結果として自分の本当の長所を殺し、そのタイプのわずかな長所と大きな欠陥だけを自分の中に残してしまうことになりかねません。
類型を学ぶ理由の多くは自分を知るため。憧れたり気に入ったタイプに自分を投影することは、本来の目的を忘れることと同義です。
頭が一色で凝り固まる
要するに、別タイプの可能性を考えられなくなります。
こうなるといよいよ危険で、別タイプの可能性を示唆するような内容のものを何でも拒絶することになります。
自分を特定タイプであると肯定してくれるものだけを認め、他の情報はシャットアウトするか非難する。そうなってくると、いよいよ危険信号です。
情報の有用性ではなく自分の気持ちで正誤を決めてしまうようになれば、当然偏りが生じます。
その偏りはやがて教科書からも逸脱し、中途半端な特定タイプ特徴への忠実さと強烈な憧れと自分が考えるそのタイプの特徴が入り混じった、歪な自己認識へと変わっていくでしょう。
この歪な自己認識を盲信し、自分を「このタイプなんだ」と強く自他に言い聞かせ、少しでも違う可能性を想起させるものを許せなくなってしまいます。
こうして自認が凝り固まり、本来の自分に戻れなくなっていく。こういう人も意外と多いです。
過激派になってくると、本物を見るとその存在を許せないと思ってしまうケースもあるみたいですね。
当人たちは気付いてないですが、行動からその本音が丸見えなんだよなぁ
適度な距離感が大事
個人的には特定タイプを自認すること、自分のタイプを調べることまでは否定する気はありません。むしろそうやって悩んで色々な可能性を考えた末に見える本質もあるはずです。
ただし、完全に入り込んでしまって抜け出せなくなってしまう状況がよろしくない。これだけの話です。
何事も適度な距離感を守れないとうまくいかなくなるとされていますが、類型にしても同じことが言えます。
自認を「暫定の自分のタイプ」とせず完全に確信に至り、あまつさえ「自認は決まっているから何があっても覆さない」という気持ちを持ってしまえば、たとえその自認が合っていても待っているのは狂信の類でしょう。
狂信すれば自分の本質からどんどん遠ざかり、知らないままに迷宮へと入り込んでしまい、そこが迷宮とも気づかないまま「ゴールにたどり着いた」と勘違いしてしまうでしょう。
自分でも余計なお世話だと思います。はっきり言えば当人がそれでいいなら本来は放置すべきですが……たまに見ていられない人がいるので、今回は注意喚起を行った次第です。
響かない人は、そのまま自認を名乗り続けてくださっても構いませんし、自分のタイプが不明な方はそのままいろいろと考えてみるのもアリです。
今回は余計な一言でしかありませんので、刺さった方だけ注意していただければと思います。
といったところで、今回はここまでですね。
色々な記事をアップしておりますので、もしよろしければいろいろと見てやっていただければと思います。
コメント
そもそも16タイプなんて動物の分類学で言うところの門くらい広いクソデカ分類階級ですからね
門レベルでいくと人間も魚もホヤも同じタイプですが(脊索動物門)、人間(脊索動物門)とサソリ(節足動物門)とカタツムリ(軟体動物門)はそれぞれ別のタイプです。
門という動物においては一番デカイ分類体系では人間とホヤは同じ脊索動物門というタイプの動物なのです。
まあエニアグラムも16タイプもそういう大きな分類群だからこんな感じで同じタイプ中でも多様性が非常にあるんですよね
なのでむしろちょっと懐疑的なのはタイプによって決まりきった心理機能の並びとかですかね。
それ通りにならない人のが多い気がする。
自分は特定のタイプになろうとかそのタイプであることにこだわりとかは無いとは思うし(自分では、ですが、人からだと見え隠れしてたりします?)
むしろ16タイプもエニアグラムもタイプ迷子気味なので(INTP?INFP?4w5?健全じゃない恐れがない5?極めて特殊な特殊な6???)
大丈夫かなと思いますが……大丈夫でしょうか。自信なくなってきた
なにか注意喚起しないといけないようなことがあったんでしょうか。
正直本職ただのヤバいアニオタなんでよくわかりませんが