唐突ですが、運には波があります。運がいい時がずっと続く人生なんてまずありませんし、代わりに運の悪い時期も基本的に死ぬまでは続きません。
ですが、たまにいるんですよね。何をしても裏目、何もしなくても不幸が勝手にやってくる、生きてる事自体が罪とでも言うかのようなとんでもない人が。
ある程度の運の悪さならば特徴や考え方で区分けできますが……正直、度を越した不運は特徴なんて単純な話では割り切れません。
人知を超えた不幸体質に薬無し
申し訳ありません。打つ手がないです。
世の中、「何をやったらそこまで裏目ばかり引くんだ」と言いたくなるような人も中にはいます。
働きに出ればブラック企業でやめて再就職先も隠ぺい工作が行き届いたブラック企業、ようやくまともな就職先にありついたと思えば今度は1年足らずで会社が倒産……
あるいは学生時代から味方と言える味方がおらず、悪いことが起こればこの世すべての悪のように周りの全員からは犯人に仕立て上げられ、人付き合いのやり方を知らないまま社会に出てやっぱりみんなに嫌われる……
他にも持病を欲張りセットよろしくこれでもかと詰め込まれた体質の人、町中を歩いてるだけで意味不明な酔っぱらいから毎回のように因縁をつけられる人……
とにかく、世の中には我々の理解が及ばないレベルの不幸体質の人もいるものです。
ではこういう人が必ずしも暗くてネガティブで他責思考なのかというと、必ずしもそうではない。
中には傷だらけになりながら笑顔を振りまき他人の心配をする聖人君子みたいな人もいるのだから、「不幸な人の特徴」みたいな単一的な決めつけも意味をなしません。
つまり何が言いたいのかというと、不幸な人や状況は、ときに理解の範疇を超えたものもあるということです。
軽々しく決めつけて解決するものばかりではない、ということですね。
どうしょうもない不幸というのも、もしかしたらそういう呪われた人生を歩んでいるせいなのかもしれません。
本人のせいにしようと思えばできるけど……
「どうしょうもないレベルの不幸もある」とはいえ、本人にまったく非や責任がないわけではありません。
後出しであれこれ言えば対策はいくらでも出てくるでしょう。
ですが、基本的に人生に正解なし。どうすればよかったかなんてあとから色々知ってようやくわかるものだし、リアルタイムでエスパーよろしく一発で最適解を引き出せる人はまず存在しません。
後出しで「こうすればええやん😂」とか当たり前の顔してやりはじめる人って結構いますけど、あれって何なんでしょう?軍師になりたい系?多分無理だよ?
例えば田舎の集落で毒親育ちの小さい子に「逃げればいいじゃん」と簡単に言っても、都会につく前に野垂れ死ぬ可能性があります。
ブラック企業に務めてても、生活最低限の給料しかないなら仕事を辞めても次を見つける前に餓死する可能性だってあります。
そもそも、人の視野は極端に狭いものです。苦しんでいる当人も好き勝手言ってる外野も、所詮自分の視野の中での最適解しか語れないのを忘れてはなりません。
何をやっても駄目な気がして、先が見えないのが不幸。そう考えると、一概に自己責任で片付けるのも危険なのではないでしょうか。
結局どうするのが正解なのか?
結局不幸は不幸でしかないし、「思い込み」だの「甘え」だのと自己責任的な言葉を投げかけるのは、「そもそも誰も求めてない」というのが真面目な所管です。
当然、自分の心がけ次第な面もありますが……では開き直っていつでも笑顔で生きたとして、客観的に見て不幸である事実は変わりません。
では、そこを踏まえた上で、不幸な人に何かできることがあるのか……それについて、最後に考えてみましょう。
正直、不幸そのものをどうにかすることは基本的にできません。幸せも不幸も、基本的には外的要因が大きすぎます。
ですが、不幸による精神的なダメージをある程度コントロールすることならば、不可能ではありません。
不幸への対処において大事なこと……というより我々にできることは、むしろ不幸を不幸と感じにくくすることだけです。
よくある話ですが……例えば目的地まで1km歩かなければならないとして、「1kmもある」と思うのと「たった1km」と思うのでは感じる重さが違います。
どれほど不幸でも……いや、むしろ人よりはるかに不幸だからこそ、不幸に対して「この程度」と思えなければやっていけません。
気の持ちよう。なんともしょーもない答えですが、不幸だからこそしょーもないものを大事にしていきましょう。
小さな幸せでもあるだけマシか
例えばちょっとした散歩コースがあるとか、朝日がきれいとか今日は気温がちょうどいいとか……そういう超どうでもいいような幸せくらいは、誰しもが感じることができます。
不幸なときほど投げやりになってしまうもの。少しラッキーなことがあっても「この程度のこと」と幸せを投げ捨てたくなってしまいますが……むしろ駄目なときほどそういう小さな幸せを大事にしましょう。
そして可能ならば、自分の目で見つけるように工夫しましょう。
健全な精神がなければ、不幸を耐えることも打開することも難しいです。
心の健康を壊さないためにも、また少しでも人生を楽しいと思えるためにも、目の前にある小さな幸せは大事にしましょう。
「やりたい」を優先的に!
不幸な気持ちの大半は、「やりたいことができない」という気持ちから来るものです。
なにせ本心からやりたいことを理解して、やりたい放題やってる人はそうはいませんからね。
不幸な人生をわずかにでも彩りのあるものにしたければ、少しでも自分の思った道を進めるように考えるのは必須と言っていいです。
人に決めてもらった道や言われるままに選んだ道が望み通りのものではない。これが、人にとっては1番ストレスがかかるものになります。
いきなり転職する必要も、独立に向けて何かを始める必要もありません。
まずはこれから何をやってみたいか、そのために何を勉強すべきか……軽い気持ちで結構なので、そこから考えてみましょう。
夢とか目標なんて立派なものでなくてもいいです。
それこそ、いい年こいて「歌手をやりたい」と唐突に思いつき、カラオケで練習するなり作詞作曲をしてみるなり……そんなもんで十分ですね。
大事なのは自分の手で決め、自分の手で何かやってみること。結果はひとまずどうでもいいです
ゆったり気楽に、でも主体的に!
結局のところ、不幸を嘆くばかりでは何も変わらないどころか、自分の心が壊れてしまいます。
不幸な人が生きる上で何より一番大事なのは、自分の心を少しでも健康に保つことに他なりません。
ついつい「自分ほど不幸な人はこの世にいない」とか「みんな幸せな中で置いて行かれている」という気持ちが湧き出てしまいますが、少しでも早くそういったネガティブな気持ちは切り離すようにしていきましょう。
というのも、こういう気持ちは長期的にジワジワと自分の心を壊していきますからね。例え事実でも、いつまでもこの気持ちに浸っていては危険です。
ネガティブな感情は余裕のあるときにまたどうにかするとして、心を病むくらいなら今は無視してしまいましょう。
とにかく不幸でどうしようもないなら、今は少しでも笑える材料を探して、自分で自分の道を少しでも多く決められるようにしていきましょう。
当然、口で言うのは簡単です。が、少しでも前向きに「やってみよう」と思うだけでも、少しは見える世界が変わるかもしれませんよ。
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