【実録】鉄壁レベルで心のガードが硬い人だった頃とゆるんだ理由

世の中
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たまには自分語りでもしてみましょう。

人生論を読んでくださった方ならばなんとなーく察してる方も多いかと思いますが(というかこれとかこれとか読んでたらだいたいわかる)……このサイトを開設する数年前まで心のガードがガッチガチでした。

売った恩を買う人が現れても怖いからお代は拒否。

不幸そうな人に手を差し伸べる以外のつながり方を知らず、手を差し伸べるにしてもその人が救われると、その瞬間人間関係を切って捨てる。つながりたくないから。

全員敵だ」などとうそぶきながら、(今思っても誰も差し伸べてくれなかったけど)差し伸べられた手を切り落とす勢いで周囲を警戒。

こんなのが当たり前でした。

今回は実録もとい自分語りではありますが、心を閉ざしていたころの私とどう変わっていったのかを、簡潔ながらまとめていければなと。

前話が長くなりましたが……とりあえず、見ていってください。

心を閉ざした日々のこと

私が心を閉ざした理由は、主に2つ。

・周囲からのいじめ
・どうしようもない家族親族

要するに機能不全家庭といじめというダブルコンボですね。よくある話ではありますが、子供時代からずっと心を閉ざすには十分すぎる理由でしょう。

このあたりの生い立ちは(要望があれば)後々語っていくとして……まずは心を閉ざした頃の私の態度を、簡単にお話ししていきましょう。

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迫るものはすべて敵

何と言っても、心を閉ざした人の王道はこれでしょう。目の前の人がすべて敵に見える。

私も当然そうでした。故郷に居場所はないし新天地では人間関係などゼロだったので、味方はほぼほぼいなかったと思います。ですが問題は、中立的な立場の人も敵とみなしてしまっている点です。

よく「虐待を受けて捨てられた野良犬は凶暴化する」といいますが、人間でもそれは起こりうるわけです。

虐待といじめの両方を受けた人は、完全な人間不信に陥ります。目に見えるものも見えないものもすべてが敵です。当然ですね。本当に敵に囲まれて生きてきたわけですから。

ですが、これを周囲の人がわかってくれるのかというと、そんなはずもない。むしろそんな事情を察する人はごく少数。大抵はどうでもいいでしょうね。

ここで問題となるのは、相手目線。特に興味もないどうでもいい相手から突然敵対されてしまったら、周囲の人はどう思うでしょうか?

まず、いい顔はしませんよね。「なんだこいつは」という困惑から始まり、最終的には敵視し返したり、「触らぬ神に何とやら」と完全に忌避したりするようになってしまいます。

こうやって敵を新たに作り、自分が思っている通りの敵だらけの環境を自らが作っていってしまうのです。

昔の私は、無自覚にこれをやってしまっていたわけですね。

あかつき
あかつき

突然罵倒されたり噛みつかれたりすると、嫌でもその人のことが嫌いになります。

……なんでそこで私を見るんですか?

絶望感に浸っていた

「みんな敵」「救いなどない」。一種のニヒリズムです。こんな思考に、心を閉ざした人は陥ってしまいます。

私も、「どうせ今よりもっとダメになる」「無様にのたうち回って自殺する以外の結末は存在しない」「運も何物もすべて、自分の敵に回る」と、こんな感じに本気で考えていました。

もっとも、今思い返してもなぜそうならなかったのかが不思議でなりませんが……とにかくそんな感じの絶望感に打ちひしがれ、人生に何一つ希望が見出せませんでした。

あるいは完全なる無になる人もいるかもしれませんが……辛うじて人の心を保っていた私は、極度のネガティブ思考に陥ってしまいました。

まあ実際奇跡でも起こらない限りどうにもならない状態ではありましたが、ともあれ、そんな思考回路では起死回生の一手を打つ余力すら残っていませんよね。

すべてが封じられた気がして、あらゆる選択肢が破滅に向かうための布石のような気がして、幸福どころか人並みの生活でさえ遠い遠い雲の上の存在のような気がして……おおよそ、まともな精神状態ではなかったように思えます。

全てを拒む

寄ってくるものをすべて拒絶し壁を作っていたために、当然ながら人間関係は希薄になりました。

人間関係だけではありません。チャンスも、楽しいことも、自分の心を溶かすのに大事なことも、すべてを拒絶してあらゆるものを避け続ける。そんな生き方をしていたために、当然ながら面白い話や重要な話のひとつも舞い込んでくることはありません。

人生、すべてが灰色です。色づくことも、白や黒でさえ存在しません。すべてが希薄。あらゆることが遠い。

離人感というやつでしょうか。あらゆることが楽しいと感じられず、趣味すらも億劫になり、ただ寝て過ごしたりちょっと散歩してみたり(これも面白くない)する人生をひたすら歩んできました。

それもこれも、あらゆるものを拒み続けた代償でしょうか。

とにかく、すべてが無意味に感じていた。そんな時期です。

とにかく不動

うつ病によって動けないのとはちょっと違います。積極的不動です。

とにかく動きません。動きたくもありませんでした。全部無意味だから。

当然です。どうせあらゆることが封じられ、すべてがダメになり、無様に首を吊って死ぬのが運命だと思っているわけなので。

そんな感じの価値観だからこそ、自分が動くことを無駄だと感じてしまったわけですね。

趣味も無意味。現状打開も無駄。セルフケアすらもいずれダメになる人間には不要。そんなこんなで、何もせずに過ごしていました。これで引きこもりの無職でないのだから不思議です。

鬱ではなく無

鬱などではありません。そしておそらくうつ病でもないでしょう。ただただ、無。心はからっぽで、何もありません。

破滅の未来のビジョンも、ただの他人事。映画でも見ているかのような感覚です。そこに感慨などありませんし、思うところも嘆きもありません。ただ、受け入れる。

ある意味、これが明鏡止水なのかもしれませんね。心を自然の成り行きに任せ、ただただすべてが他人事。どうでもいい。そんな感じに生きていました。

繰り返しになりますが、鬱ではありません。無です。心に描く風景も心境も、何もありません。

人は寄せ付けない

鉄板であり王道ですね。人を寄せ付けたいと思わず、ただただ人を避け、拒絶し、あらゆる親睦・親交を自分には無縁と否定して生き続けました。

生まれ持った気質などではありません。最初に述べた通り、敵視からくる完全拒絶です。

「他人ならいざ知らず、自分が他者との熱い友情など馬鹿馬鹿しい」「一生人から疎まれながら生きていくに違いない」。

自意識過剰ですね。実際、この傾向は心を閉ざした人ならあると思います。

そもそも心を閉ざす要因は、人か元来の人格にあります。要するに単純計算でも半々の確率で人が原因です。実際はもっと多いですね。

人目を気にして細々と生き、あらゆる人から逃げ、孤独を求め、誰も入ってこない安住の地を探す。

私の場合は、誰もいない山奥で過ごして、たまに人里に最低限の買い物に下りるだけでいいと考えていました。以前もブログを書いていましたが、それを始めたのはまさに最低限の買い物のためのお金を稼ぐため以外の何でもありません。

とにかく人はすべて敵。自分は人といてはならない。そんな思いを掲げ、ただ安住の地を求め続けた日がちょっと懐かしいです。

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心のガードが緩んだ要因も「人」

私の場合心を閉ざしたのも人が要因ですが、同じく心を開く要因となったのも人でした。

実際、今でも人が心を開くカギになると考えています。

ある意味、当然と言えるかもしれません。なぜなら、得てして心を閉ざす対象が人だからです。

まあ私の場合はあらゆる物事に対して心を閉ざしたわけですが……それにしても、閉ざした心を開くのは人にしかできないと考えています。

食事に誘ってくれた友人

心を開く要因となったのは、まずは友人です。

流されるままにlineを交換した学生時代の友人たちから、唐突にメッセージが届きました。

「今度飯でも食べに行こう」

正直気乗りはしませんでしたが、流されるままに生きていた私は適当にこれを了承。そのまま友人たちと食事に行くことになりました。

まあ結論から言うといじられまくって結構アレな食事会でしたが……私に珍しく人間関係が構築された瞬間です。当時はうれしいとはあまり思いませんでしたが、ちょっと新鮮でした。

これだけなら新鮮以上の意味はないのですが、彼らはそれ以降も何度も食事に誘ってくれたんですよね。

正直言ってこれ自体はそこまで大きな進展にはなりませんでしたが、0→1が何かをする上でもっとも難易度が高いです。

そういう意味では、私史上において偉大な人たちと言ってもいいのではないでしょうか。

しばらく実家に帰っていないので関係はすっかり疎遠になってしまいましたが、大事な友人たちです。

彼女の存在

なんと言っても、大きな進展につながる過程において、彼女の存在を忘れてはなりません。

はっきり言って、彼女はちょっと、かなり変な人です。金銭感覚はちょっとガバガバだわ、人前でスキンシップを求めるわ、正論パンチを派手にかますわ……。

ですが、私に対しては心を開くよう献身的に支えてくれましたし、色々なことを私にしてくれました。

プレゼントを買ってくるのは当たり前、色々なところに連れていってくれたり、私の悩みを引き出して聞いてくれたり、積極的に愛情表現してくれたり……。

結局のところ、最後まで敵に回ることはなかったです。そのことが私の心の拠り所になり、支えになってくれました。

私の人生最大の功労者といえば、今現時点では彼女をおいて他にないでしょう。

故あってあと少しで関係は円満解消されますが、彼女との思い出は私の中で一生の宝物になるでしょう。

彼女は私の財布を見事に空っぽにしてみせましたが、お金以上の価値あるものをくれたと思っています。

願わくば、このまま幸せになってほしいところですね……。4年弱本当にありがとう!

心を溶かすのに必要な要素

さて、自分語りだけでは何でしょう。最後に、心を溶かすのに必要な要素について、2つのエピソードから見える範囲で考えてみましょう。

交友関係は必須

何に対して心を閉ざしているのか?人に対してです。とすれば、人間関係は心を溶かす上で必須です。

もし心を閉ざした方がお読みになっているのでしたら、まずは人と関わってみましょう。心を閉ざした人が気になるという方は、まず邪魔にならない範囲から外堀を埋めていきましょう。

いい人と出会うことによって、自然と打ち解け、心は開かれていきます。

そのためにも、まずは邪魔にならない範囲の交流からスタートですね。

いい人に出会うのは運……

結局のところ、いい人と出会えるかどうかは運になります。最悪かもしれませんが、これが事実です。

ですが、悲観することはありません。聞きかじった話によると人は一生のうち平均約3万人の人と何かしら接点を持つというではありませんか。

3万人もいれば、完璧とまでは言わずとも何かしら「この人は」と思わせてくれる人は出てきます。

そういう人と関わりを持てるように、いろんな人と関わっていけばいいのです。

億劫かもしれませんが、「心を開きたい」と思えば色々と当たってみるのもまた大切なことです。

焦らない

これは心を開きたい人開かせたい人両方に言えることですが、焦ってもいいことはありません。

まず心を開きたい方。焦りすぎても特に効果がないどころか、人の嫌な部分ばかりが見えてしまうかもしれません。焦らずじっくり、少しずつ周囲の人たちと関わるようにしてください。

意外とみんな敵に見えて敵ではないです。ネットでひょっこり集まりに参加するだけでいいので、やってみてはいかがでしょうか?私はそれで彼女をゲットしました。

心を開かせたい方も同様です。焦りすぎて一気に距離を詰めてしまっては、せっかく途中までうまくいっても相手は逃げてしまいます。

しっかり相手のペースに合わせ、ゆっくりじっくりと外堀から埋めていくようにしましょう。

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まとめ

というわけで、今回は自分語りメインでやってきました。

正直、こうやって記してみるとアレですね。虐待されて保護された犬か何か。

正直何の役に立つのかは不明ですが、何かしらの役に立てればいいなと思っております。

長々と後語りしてもアレなので、今回はこれで締めさせていただきます。

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