人生ナメてる人の特徴5選

いろんな人たち
スポンサーリンク

人生をナメくさった奴、普通にいると思います。例えば妙に「どうにかなるさ」精神を持っていたり、思慮不足だったり……

今回はそういう人について見ていこうと思います。

本当に人生ナメてる?

「見ていこう」と言ったハナから出鼻を挫きますが、このページを見ながら思い浮かべた人、本当に人生ナメてますか?

単に楽観主義だったり、「なるようになるさ」精神の持ち主だったりして、実際にはいうほどナメてるわけではないというのが実態だったりします。

例えば私は「普通に暮らすなんて無理だから、せめて使える自分なりの強みを探す」と決意を固めたことがありましたが、その時に言われたのはこんな言葉。

「お前には何の長所もない。何もできない奴が普通にすら生きないとか人生ナメてるだろ」

実際は不治の病を抱えて(死ぬようなものじゃないよ!)普通に働くのが難しく、普通に生きられないからこそ、せめて自分のフルパワーを活かして、「それでもダメだったか」と苦笑しながら死のう……くらいの最後の最後の残された自由的な願望だったのですが、それすらもナメきった態度と思われてしまったようです。

あかつき
あかつき

ま、これはずいぶん悪意に満ちたパターンなのはお伝えしておきます。

この後「そんなのどうでもいいから今死ね」と続くんで、まあ、正直異常もいいところですよね。


ただ、ナメきってる相手に対しては大体みんなこんな感じの目で見てます。人のふり見て我がふり直せ、です。自分にもそういう思考や見方が備わっているというのはお忘れなく……

要はアレですね。「普通に生きられない奴が普通でない生き方を探すな」と。

こういうパターンもあり得ます。「人生ナメてる」と思った相手を、実は自分がナメきって過小評価していたというのでは、「お前人生ナメてるだろ」という言葉も正論とは言えません。

実際人生は厳しいものですが、厳しいからこそせめて自分の自由を守ろうとか、せめて自分の好きなように生きてしのうとしている人もいるわけですね。

それらを一括りにして「ナメてる」と評したのでは、何もできずに首を括るしかない人も出てきてしまいます。

スポンサーリンク

人生ナメてる人の特徴

さて、その上で人生ナメてる人の特徴、ちょっと見ていきましょう。

苦労知らず

苦労を知った上で人生ナメてるんだったら、そいつは大物です。今回はそういう例外は除外しておいて……

とりあえず、苦労知らずが多いのは間違い無いでしょうね。

いわゆる「何事も何とかなる」、です。ある意味では私が「すげぇ」と思ってる何とかなるさ精神に通じるところがありますが、こういう人たちの「なんとかなるさ」は基本的に人任せ・運任せなんですよね。

大体適当で何とかなったり、普通に生きて順風満帆だったり、大した障害がなかったり、あるいは障害があっても生んで何とかなってきたり……。

まあこういう人は幸運児なので実際何とかなったりしますが、運が尽きれば大怪我したりもします。

自分の力で何とかするようにしていく・何とかできるように自分を高めていく努力は必要でしょう。でなければ、万一の時に大怪我してしまいますよね。

依頼心が強い

要はアレですね。人任せ。

過保護なのか対人運がやたらいいのか、とにかく困った時に人に助けてもらえる。そんな状況に慣れきった人は、大概人生をナメてかかります。だって人が何とかしてくれるんですもの。

だから自分は何もしない。変わらないし、別に自分を貫く信念もない。ただ好き勝手に生きて、いざって時は人に助けてもらおう。

おおよそ心理はこんな感じでしょうか。

確かに人生ナメてますね。

あまり負債を押し付けまくると、人は離れていきます。だって一緒にいても得しないから。

人間なんて所詮損得の生き物で、損させつづけると離れていきます。彼らはそれを理解しておいたほうがいいのは、まず間違いありませんね。

本気を出せば何でもできると思っている

これもあるあるですね。「自分が本気を出せばどうにでもなる」という考え方。

人の可能性なんて限られていますし、何をやっても絶対にうまく行かない人もいます。不思議と。

ですがそんなのお構いなしに、「自分は本当はすごいんだ」「自分は本気を出していないだけ」と、まるで自分が主人公になったかのように思っている人が普通にいるのは間違いない。

自己啓発とかでもあるんですよね。「ひとりひとりが主人公」とか「人には無限の可能性が」とか。

それを間に受けてるのだか、天性の楽観主義者なのか、こういう人は根拠のない自信がすごいです。

実はナメてるわけではない

要は「人生ナメてる(ように見られる)人」とでも言いましょうか。

悟ってるところがある、とか。何だか自分の命にすら執着がない、とか。あるいは絶望しきってやけっぱちになってる、とか。

こういう人たちって、どういうわけか「人生ナメてる」って勘違いされがちなんですよね。冒頭で「本当に人生ナメてる?」とお題目でいろいろ言いましたが、こういう人たちもナメきってる扱いになりやすいのでその辺の警鐘も込み込みでした。

今回の「ナメてる人の特徴」からは大きく外れますが……今回見にきてくださっているであろうかたには重要度の高い認識かなと思いピックアップした次第です。

やっぱこういう人って価値判断が人と違いますからね。達観してて状況を分かりながらも自然に任せたり、あるいは諦観からあえて何もしなかったり、そもそも状況にも自分の人生にも興味がなかったり。

そういう特殊な人もいるというわけです、はい。

スポンサーリンク

なぜ人生ナメてる?

なぜかというと一概に何とも言えませんが、おおよそ以下の3つが多いのかなというのが私の感じるところですね。

・豪運に恵まれてきた苦労知らず
・苦労が多過ぎて一周回った
・諦めた

まず1つ目は言わずもがな。自分の人生がイージーモードすぎて、「人生こんなもんだろ」となってる人たち。死ぬまでイージーかどこかで痛い目見るかはその人の運次第。

一方で、苦労が多過ぎて逆に「まあこんなもんだろ」と余裕風吹かせる人もいますね。こういう人たちは、「お前ナメてるだろ」と非難してる人以上に酸いも甘いも噛み分けてます。というか基本人生の酸い部分ばかりを知り尽くしてますね。

だから苦労に対処するのは難しくない。なぜなら「どうにかなる」と知っているから。


最後の最後は……もう苦労が多すぎて、諦めて人生捨てちゃった人たちですね。彼らを非難するのは野暮というもの。せめて最後の最後くらいはいい夢を見させてあげましょう。
ワンチャン、どうにかなってしまうかもしれませんしね。

楽観主義の裏にも実は……?

人生ナメてるように見えてる人も、実は裏では大変な思いをしていることもあるかもしれません。

たとえば客観視の結果「たいしたことないな」としっかり理解していたり、あるいは「今頑張ってることがある」という人だったり、下手をすると心がすでに壊れていたり……。

いずれにせよ、辛くなさそうだから、ピンチに反応しないから、変なことを言っているからといって、必ずしも人生をナメているわけではないというのは覚えておいていただきたいのです。

例えば愚痴に関する話題ですが、愚痴を言わない人の中にはこんな人たちもいます。

スポンサーリンク

ナメてるかどうかも割と主観

最後に言いたいのは、これですね。意外と主観によるところが多いです。

「自分が思ったような反応しない=人生ナメてる」という解釈には陥って欲しくありません。だからこそ言いますが、楽観主義や焦らないことは、必ずしも人生をナメてるとは言えません。

そのことだけは頭に入れ……というかもはや人生ナメてるかどうかなんて知ったこっちゃないくらいの気持ちで、あなたはあなたの人生を歩んでください。

多分、ナメてるかどうかなんて「当人の勝手」で済む問題にイライラしていては、心が休まりません。

スポンサーリンク

コメント