実際に生まれた時点で詰みが確定している人がいるのかどうかは置いておきましょう。
ただ世の中よくできているようで、やることなすことすべてがうまくいっている人がいる一方、あらゆる手を講じてもことごとくが裏目に出る人もいます。
で、今回取り上げるのは一挙手一投足のことごとくが裏目に出る、かといって何もしなくても勝手に周囲の環境がコンベア式に自分を不幸に陥れる、地獄の星に生まれてきた人たちです。
世の中たまに「不幸になるために生まれてきたのでは?」と思えてしまう人がいますが、それが今回の題材というわけですね。
すべてがうまくいかない。動いても座して待っても祈っても、結局すべてがマイナスにしかならない。
そんな人たちがせめてマシに人生を終えるにはどうすればいいのか、それを私流ではありますが考えていきたいと思います。
努力で打開できるかどうかは問題ではない
さて、まずは「報われるかどうかは当人の努力次第だ」という方、「結局何をしても無駄なのに生き方もクソもあるか」という方の双方に対して、本記事の前提からお話ししましょう。
ぶっちゃけてしまえば、努力でどうにかなるかどうかはどうでもいいです。
努力の結果逆境を必ず打開できるとしても、何をやっても絶対に失敗しかしないにしても、本記事でお伝えすることは変わりません。
本記事のコンセプトは、仮に一生不幸であることが確定したとして、少しでもマシな気持ちで最期を迎えるにはどうすればいいのかです。
要するに「努力すれば報われるのか」というのも、「本当に何をやっても変わらないのか」というのも、今回の題材とは少し趣旨が異なります。
本記事はあくまで「少しでもマシな生き方をするにはどうすればいいのか」を追求したものになっています。
努力は 魔法じゃ ねーんだぞ By春眠ねむむ
……私の言葉じゃないですからね?つーかそもそも努力ってなんだ?
こんな方に読んでほしい
というわけで、努力信者も「何をやっても何も変わらない」というニヒリストの人たちも、今回の趣旨とはちょっと合わないですね。
あくまで「努力ではどうにもならない(そんな気しかしない)、かといって座して絶望を待つのも嫌だ」と、そんな感じの方向けです。
すごく端的に、箇条書きで表しますが……だいたい当記事を読んでほしいのはこんな方です。
- 何をやってもうまくいかなかった(うまくいかない気がする)
- 人生詰んだけど、せめて少しでもいい思い出を持って最期を迎えたい
- お先真っ暗だが、何をどう努力すればいいのかわからない
- きっと自分の人生はダメになるけど、どこか諦めきれない
- 周囲を引き立てるために不幸になっているのが自分だ
- 人生を諦めているけど、何もしないのもつらい
- 何をやってもダメだが、不幸になっていくのが怖い
- とにかく不幸は嫌だ。幸せになりたい
最後のは意外かもしれませんが、一応無関係ではないはずです。
結局、不幸は避けられないから不幸です。
オカルトや根性論では「自分を本当に不幸にしているのは自分自身だ!」とは言いますが、それにしても避けて通れない不幸にばかりぶち当たる人は存在しています。
まあ自己啓発の類ではこういう自己責任論や人の身で語れる浅い理を逸脱した人は見下されるかスルーされるのが鉄板ですが……そこを何とかしようと浅知恵を絞るのが、今回の私の役割というわけです。
不幸な運命しか待っていない人の生き方
さて、それでは、ここから不幸な運命にある人の生き方を考えてみましょう。
正直「不幸になる運命なんてない!」「不幸にしているのは自分自身のマインドだ!」みたいな話をするのは簡単ですが……「ダメな人生は何をしてもダメ」というのが私の考えに近いです。
では何をしてもダメな人生を少しでもマシなものにするには、どうすればいいのでしょうか?
何をするのが自分の幸せなのか考えるべし
掴む権利があろうがなかろうが、まずは自分自身にとって何が幸せなのかを考えてみないことには始まりません。
この形というのが厄介で、「なんとなくお金がいっぱいあって、なんとなく周囲から認められていて……」みたいな条件ばかり多くてふわっとしたものでは、マシな人生を歩むことは難しくなります。
というわけで、幸せの数はある程度絞って考える方が良いでしょう。ひとつ、あるいはごく少数に絞れば絞るだけ、やることが明白化してきて好ましいです。
言うなれば、「これさえできれば自分は幸せだ」と思えるもの。物質面でもいいですが、特に自分である程度調整ができる行動面を見出せると、考えた後が楽ですね。
例えば「一人でも多くの人に自分の考えを広めていきたい」「悩んでいる人を一人でも多く解放したい」みたいな信念・信条がこれにあたります。
「医者になる」みたいな職業や形で選ぶのも悪いとは言いませんが……それよりも「自分がどうしたいか」で考えた方が間違いはないでしょう。
もっとも、暑苦しいものである必要はありません。「一ヶ月に一回焼肉を食べたい」「休みの日はガッツリ寝たい」「好きなあのアーティストのライブに極力全部行きたい」みたいなささやかなものでも全然OKです。
肝心なのは、幸せを具体化して的を絞ることと、幸せまでの具体的な筋道を立てやすくすること。これに限ります。
外面よりも中身で選ぶべし
先ほど「『医者になる』という幸せの形よりも、医者になってどうしたいかの方が大事」と言いましたが、医者という形がここで言う「外面」に相当します。
「医者になりさえすれば幸せ」という形を思い描いたとして……これを目指した場合、ざっと考えただけで3パターンの末路が想定されます。
- 医者になって幸せになった
- 医者になれず不幸を味わった
- 医者になったが大して幸せになれなかった
「医者にさえなれれば……」と思っているうちは1以外ありえないような気がするものですが、現状はそうではありません。
もしかしたら医者になれず諦めることになってしまうかもしれません。あるいは、医者になっても「こんなはずではなかった」と思ってしまうかもしれません。
というより、「医者」とか「経営者」といったような決まった形を求めてしまうと、高確率で「思ったものと違う」という気がしてしまいます。
そのため、「医者」という職業や肩書ではなく、「医者になってどうしたいか」を考える必要があるわけですね。
例えば「医者になれば高級取りになれるから医者になりたい」というのであれば、本質は「お金が欲しい」にあります。「周囲に褒められる」というのであれば、目的は医者ではなく認められることでしょう。
もっと言えば、お金が欲しいなら「何をするためにお金がいるのか」、認められたいなら「名声を得てどうしたいか」まで考えるといい……って筆者が言ってた
このように、「なりたい自分」ではなく「なぜなりたいか」。外面よりも中身を抽出して考えた方が柔軟に対応できますし、やる気をへし折られることも多少なりとも少なくなるはずです。
なれもしない幸せを追う価値はあるのか
さて、ここで疑問が生じると思います。「なれもしない幸せをわざわざ追いかけることに価値があるのか」。
正直、これへの回答は人によると思います。が、あくまで個人的な意見を述べるなら、一定の価値はあるのかなと。
というのも、幸せになれないからといって何もしないでいるには、さすがに人生は長すぎます。
絶望という苦しみを味わう期間が少しならばただ耐えるのも悪くないのですが、自分で終わらせでもしない限り絶望の時間は未知数です。
ひたすら苦しみが続くのであれば、その苦しみをわずかでも紛らわすために、やりたいこと・やるべきことを作っておくのは悪いことではないはずです。
実際、行動は痛み止めとして作用します。何かしらやることをやっているうちは、少なくとも何もしていない時よりは幾分痛みを忘れられるでしょう。
ただただ何もしないで絶望を味わい続けることは、せっかくある痛み止めを飲まず痛みに耐えるようなもの。
痛み止めを一切飲まずに乗り切るには、人生長すぎます。これも暇つぶしと思って、幸せとそれを増やすための方法を考えてみるのもいいのではないでしょうか?
それで現状が少しでも変わるならよし、変わらなくても受ける痛みは多少なりとも軽減されるはずです。
ほどほどを知るべし
例えば年収1億ないと不幸だとか全員に好かれてはじめて幸せと言えるとか……そういう高い理想を求めても、現実は追いついてくれません。
元より「一生不幸が確定付けられている」とすら思えてしまうほどの人生です。今この瞬間に大きな幸せが手に入るほど、恵まれたものでもないはずです。
ならば、設定する目標はほどほどにとどめるのが理想でしょう。
それこそ、「とりあえず月に2〜3万収入を増やせれば幸せ」とか「とりあえず今いる友達を大事にしたい」とか、そういう頑張れば手が届くレベルが理想と言えます。
「どうせ届かないのだから大きな幸せを夢見たい」「大きな幸せでなければ自分の人生は取り返せない」と色々思う気持ちもあるでしょうが……大きなものを求めても、現実を前にして落胆するだけです。
それよりも自分の精神衛生を考えて、頑張れば手が届く範囲の目標を定め、そこに向けて頑張ってください。
万一目標を達成した場合は、またそこから手が届きそうな目標を。不幸な人生を一気に巻き返す方法は運ばかりが必要で、求めても気持ちが不幸になるだけです。
幸せを追う方法を考えるべし
「何をするのが幸せなのか」という問いかけによって、最終目標は定まりました。その「幸せ」こそが最終目標。それを忘れないでください。
さて、そうやって最終目標が決まったところで、次はそれをどう達成するかというフェイズ。具体的には、「幸せな時間を極力増やしていくにはどうすればいいのか」を考えていくわけですね。
例えば「月一回の焼肉を楽しむ」という目標があれば、焼肉のお店をリサーチして予想金額を設定し、普段節約してその分を貯めるという方法があります。あるいは副業バイトで直接稼ぐのも手でしょう。
「自分の教えを広めたい」という啓蒙が幸せにつながるなら、安直な方法としてはブログやYouTube、SNSという手があります。
どっちもチート級のライバルが多すぎて全然人が集まらないので、他の手があるならそっちの方を勧めたいですけどねー
とにかく、「こうしているのが幸せ」という何らかの形がある以上、その時間を少しでも伸ばすように考えてみることが大事なのではないでしょうか。
とりあえず自分の得意を活かせる選択肢が一つ思い浮かべば完璧です。
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複数ルートを考案すべし
本当に幸せになる権利がないのであれば、制定した道はどこかで確実に断たれてしまいます。
というわけで、その幸せへのルート断絶を少しでも遅らせるための措置として、幸せになる方法を複数用意しておくこともまた大事と言えるでしょう。
要するに力業ということですね。今進んでいる道がダメになれば、引き返してまた別の道を進めばいい。その別の道を、あらかじめ考えておくべし、というわけです。
どうせダメになるなら考える必要がないようにも思えますが……人生はただただ絶望を黙って味わい続けるには長すぎます。
ただただずっと絶望し続けるよりは、動いた方がいい。それは先述した通りです。これは、その行動回数や行動時間を伸ばすための措置とお考えください。
選択肢は複数あればそれだけいいです。どうせ叶うことはないというのなら、複数の選択肢の中から一番できそうなものから選んでいけばいいでしょう。そう考えれば、手段はあってありすぎることはないはずです。
お金が欲しいのであれば、見込みがある中で一番給料が高い仕事を選べばいいし、選べる立場にないなら残業ですね。
え、どっちもやだ?そうなったらまた幸せが何なのか考え直した方がいいかもしんないですね
現状の幸せポイントを見つけるべし
人生どうにもならない時はどうにもなりません。どれだけ目標を掲げたり幸せの形を見出しても、そこに向けた努力が徒労にしかならないこともあります。
場合によっては、何をどうやっても幸せから遠ざかる一方……なんてこともあるでしょう。
正直、自分にないもの・足りないものを追い続けるのは根気と体力がいります。その上でどれだけ頑張っても目標が遠ざかってしまうのでは、いずれどこかで折れてしまってもおかしくないでしょう。
気持ちが折れないためには、ある程度ポジティブな心持ちでいることが必要不可欠。「このままじゃダメだ」と思うより「さあ、頑張ろう」と前向きにいられる方が、当然ながら心が折れにくくなります。
とはいえ、安直に「必ず幸せになれる」と自己暗示をかけるのでは、何もかもうまくいかない状況ではどこかで限界が来ます。
そこで大事なのが、現状の中で多少でもポジティブ要素を見出すことも大事なことです。
例えば朝日が美しいだとか綺麗な花が咲いているだとか、あるいは「幸せの形が見えてきた」というのもそうかもしれませんね。
何をやってもダメだからこそ、自身のメンタルケアは不可欠な要素になります。潰れてしまっては、不幸の苦痛を何もできないまま味わうことになってしまいますからね。
どんな小さなことでも「こんないいこともある」と思うことで、少しは活力が出てくるはずです。その活力が不幸を少しでも和らげてくれるカギとなるので、少しだけ意識してみましょう。
「あれがあればもっと幸せだけど、今でもこんないいことがある」くらいに思えるようになれば、ちょっとやそっとのことでは折れない気持ちができていくはずです。
なんか「幸せの40パーセントは行動や考え方によるもの」ってデータがありましたね。
……ここでも「足るを知る」かよ。こういうの大っ嫌いです
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自分のことに集中すべし
隣の芝生は青く見えますし、実際自分の枯れ果てた芝生よりマシだったとしても、比べることは不毛の一言に尽きます。
というのも、どれだけ他人と比べたところで自分の現状が変わることはないからです。
などと言ったところで、その気はなくともついつい比べてしまうから困るわけですが……そうは言っても、他者と自分の状況を比べないに越したことはありません。
正直、「他人と自分を比較するな」と言うだけなら簡単です。それでは面白くないしそもそもそれ自体が難しいので、こうしましょう。
他人と比べる暇がないくらいに、自分のやりたいこと・やるべきことに没頭すべし。
どうしても他人と比べて傷ついてしまうのは仕方ないです。ならば、その回数を極力減らすように立ち回っていきましょう。
集中すべきは他人との比較ではなく自分自身です。今何に楽しみを見出しているのか、自分が目指す幸せのために何をすべきかの二点に意識を向け、実際に活動していくことが大事になります。
不幸な星に生まれてしまったのなら、他人と比較してダメダメなのは仕方のないことです。
挙げればキリがないダメな部分に目を向けても虚しくなるだけです。それよりも今自分にできることに意識を向け、それに専念してください。
そうすることで多少は人と比べる頻度も減り、自分の不幸を誤魔化すことくらいはできるはずです。
退路は常に確保すべし
不幸な人生とは不思議なもので、考えなしに動いてしまえばあっという間に梯子を外され、進むことも戻ることもできずにただ落ちるだけという状況に放り出されてしまいます。
そのため、常に退路を頭の片隅に入れておくことを心がけるようにしましょう。
例えば「今の仕事を続けているうちは幸せになれない」と感じてしまったとしても、すぐに辞めずに働きながら転職活動をする道を模索するだとか……。
あるいはお金が欲しいと思ったのなら、すぐに会社を立ち上げたり株に挑戦するのではなく、しっかりと勉強して計画を練り、生活に必要なお金をしっかりと確保した上で余ったお金を活動費用に充てるだとか……。
本当、ダメな人生はどこまで行ってもダメです。本当に一生幸せになれないのであれば、目論見は必ず失敗します。
そのため、失敗した時のことを視野に入れておくのはほぼ必須条件と言っても過言ではありません。
チャンスがあれば飛びつきたい気持ちもわかりますが、そういうものは8割方罠だと思い、念入りに準備や退路の確保を行なった上で動くようにしましょう。
不幸な人生において必要な心掛けは「一気に巻き返すこと」ではなく、まず「これ以上の不幸を避けること」です。
貧すれば鈍する。つらい思いから抜け出したいあまりすぐにチャンスに飛びつきたくなるのは人間の性ですが、ダメな時ほど冷静に判断することが求められるのもまた事実です。
掴めないチャンスにとびかかっても逆にダメージを負うだけでしょう。目の前のチャンスにとびかかった時のリスクやデメリットはどんなものがあるか、よくよく考えるようにしてください。
実際に行動すべし
大事なことなのでまた言いますが、自分の幸せのために動くことは、不幸という苦痛を抑えるための痛み止めとして作用します。
行動の結果、幸せになれるのかなれないのかはとりあえず二の次です。
動くことで意識は目の前だけに向けられ、苦痛や絶望を味わう時間はほぼ間違いなく減ります。
成功や願望成就のためだけでなく、自分の心を守るために行動する。この意識は、一生の不幸を極力いなす上ではかなり重要なマインドとなります。
繰り返しになりますが、動いた結果本当に幸せになれるかどうかは二の次です。
不幸や苦痛に対する痛み止めを常飲するかのごとく、自分の幸せを一直線に見据え、その成就のために打てる手を片っ端から打ってみてください。
それでうまくいけば儲けもの。案の定ダメでも、何もしないよりはマシな気持ちで終われるはずです。
自分の幸せを諦めるべからず
諦めるということは、行動や幸せに向けての一切の思考・行動をやめてしまうことを意味します。それでは、現実の前に広がる絶望や苦しみから目を逸らすことすらできないでしょう。
先述の通り、思考や行動は痛みから我が身を守る鎮痛剤です。投与をやめてしまえば、痛みや苦しみから逃れる術はなくなってしまいます。
その痛みや苦しみに対処する意味でも、絶えず自分の幸せとは何かを考え、そのための方策を編み出し、行動し続けることが大事になるわけですね。
成就するかどうかは二の次です。諦めないことに意味があります。
諦めてしまえば、その先に待つのはダイレクトに襲いかかる絶望という名の特大ダメージの連続です。
ダメージを負い続ければやがて精神は病んでしまいますし、病んでしまってなお苦しみ続ければ、さらに病気は悪化していくでしょう。
それを食い止めるために、常に自分の幸せについて考え、意識し、そのための目標を立て、そこに専念する必要があるわけですね。
諦めたら、そこで苦しみ続けることがほぼ確定してしまいます。幸せを諦めないことは、自分の精神を少しでも安定させることにもつながります。
どうか諦めず、全てがダメになっても新しい方法を見出し、自分の足で幸せに向かっていくことを忘れないでください。
とはいえ休むことも大事
ここまで不幸な人生の歩き方について述べてみましたが、なんだかんだ言って動き続けることは疲れますし、何より病んだ心のまま動き続けるのはほぼ不可能です。
時には適度に休むことも、人生において必要な要素になります。
行動するのが辛い時に、無理して動くこともないでしょう。
一生ダメならば一生ダメなりに、ゆっくりまったり、休みながら動けばいいのです。というより、それしかないです。
せっかくならば、元気がある時はちょっと外に出たりためになることでも学びながら、また動く気になれる時期を待ちましょう。
幸せを考えて動くことが苦痛になってしまえば、それこそ本末転倒です。
焦らず急がず、ご自身のペースで不幸の打開に向けて動いてください。
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まとめ
というわけで、今回は一生何をやっても不幸にしかならないという前提で、人生をどのように渡ればいいかを考えてみました。
正直、「いつか打開できる」と心から信じている人とやることはさほど変わりませんね。というより、不幸な時にできることなどそれくらいしかないです。
いくら「一生不幸なまま」というどうしようもない人生であっても、幸福追求権を自ら放棄するのはちょっと違う。ありもしないチャンスだとしても、求めることが悪いこととまでは言えないはずですよ。
一生ダメなら一生ダメなりに、急がず焦らず、かといって自分の心のために諦めず、できる範囲のことをやっていくしかないです。
こういう運命にあると、不思議なことに「やれる」と思った手段や「これだけは幸せと呼べる」というものから奪われていきますが、それで腐ってしまえば、それこそ「お前を一生不幸にしてやる」と襲いかかってくる運命の思うつぼです。
正直、それでは面白くない。
せっかくならば「幸せになってはならない」という決まりを破り、最期の時まで自分の幸せを考えていきましょう。
不幸を嘆いても辛いだけです。
その辛さを和らげるためにも、自分の幸せの形は常に追求していきたいですね。
最後に
最後に宣伝になってしまいますが……私は手相鑑定士……つまり手相占いをプロとして行える資格持ちの人間です。
手相占いは、あなたが持つ特徴や強みを見つけるのが大の得意。
自身の特徴を知れば向いている生き方や少しでも楽な生き方、果ては適職や能力の活かし方など……人生をより良くするヒントを得ることができます。
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