才能や強みを「努力なしで使える」「自分で選べる」と思ってませんか?

自分の生き方
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今回はちょっと辛口になってしまうかもしれません。最初に謝っておきます。申し訳ありません。

ただ、ちょっと思ってしまうんですよね。「才能も強みも、自分の努力や工夫なしにすぐ使える物である」「自分の思った通りの強みでないと嫌」と考えている人たちが多すぎではないかと。

今回はそんな人向けに、才能とは何ぞや、強みとは何ぞやをを考えていきたいと思います。

あかつき
あかつき

Heyしゅんみん怒ってるー?

……まあ、実際そういう人が多いのは否定しませんけど

才能や強み=宝石ではなく余計な石のついた原石

ルビー、サファイア、エメラルド、あるいはダイヤモンドでも水晶でも何でもいいです。別にトルマリンでもガーネットでも翡翠でもペリドットでも、マジで何でも良いです。好きな物で構いません。

ああいう宝石類は基本、掘り出し、周囲の石や土を取り除き、そして磨いて輝きを与え、形を整え、それで初めて店に並ぶような、非常に手間のかかるものです。

才能や強みもこれと一緒で、まず見つけ、そしてその中から選び出し、さらに余計なものを削ぎ落として丹念に丹念に磨き上げ、そうやってようやく形になる物です。

ぶっちゃけ、見つけたらかといって一朝一夕で使える物でもないし、すぐ使えない=ないという物でもないです。

肝心なのは見つけること以上に、磨くこと。磨いて磨いて磨きまくって、ようやく市場に出回るどんなものよりも輝くものと言ってもいいでしょう。

当然見つけることも大事ですが、見つけた後が勝負と言ってもいいかもしれません。

見つけなければその辺の石と同じ。見つけたからといって磨かなければダメ。

真面目に才能を使おうとすれば、結構めんどくさくなります、人生って。

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磨いた石の方が原石より綺麗な可能性

ぶっちゃけ、あると思います。才能だけでは限界があります。努力だけでも限界があります。

でも、その辺の川原の石を磨いてみると、案外泥だらけ石だらけの宝石の原石より綺麗なことがままあるわけです。

当然、ちょっと磨けばすぐに宝石の方が綺麗になります。そういう意味では、川原の石を磨くのは無駄な努力に見えるかもしれません。

ですが、宝石を原石のまま眠らせるよりは、徹底的に磨き上げた石の方が綺麗に見えるのは事実です。

これを才能に例えると、要はちょっと磨けば光るものを、その辺の人たちにすら劣るもののまま放置しておくのはもったいない。

徹底的に磨き上げた無才の人の努力にすら劣る天才の才能。こうやって文章にするとなんだか虚しい気もしますが、それ以上にもったいない気がしてきませんか?

当然、自分にとってどうでも良いもの、取るに足らないものならそのままでもいいでしょう。ですが、自分が少しでも興味があるものなのに磨かないのはもったいない。少なくとも私はそう思ってしまいます。

当然、努力せずのんびり生きるのもひとつの道です。その方が無駄な労力をさかずにすみますし、好きなように遊べる時間も確保できます。

ですが、自分の才能を探しながらも、磨かないまま「ない」と嘆いている人は、是非とも「磨かなければ表出化しない」という点を覚えておいていただきたいところ。

本当、原石のままじゃわからないんですよ……。

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才能は自分で選べるものなのか?

私も複業で手相鑑定をやってるのですが……時々いらっしゃるのが、「自分には◯◯の才能がないのはおかしい」「こういう才能がなければ自分は死ぬしかない」とひどく切羽詰まった様子で来られる方達。

まあ幸にしてその多くは工夫次第でどうにかできそうなものを掲げていらっしゃいますが……ともあれ、こういう「自分は◯◯な才能を持ちたい!」系の話です。

あかつき
あかつき

エニアグラムやMBTIみたいな類型にもいますよね。特定タイプになりたい人。

いや無理だろ

正直あまり言いたくないですが、ない物はありません。これはどうあがいても事実です。

「人には無限の可能性がーー」とは言いますが、やはり人には限界があります。どうやっても無理なものは存在していますし、人生設計はそれを考慮に入れ、極力避けながら進めていくのが吉です。

これは就きたい職業がある」みたいな話なら手持ちの才能でやりくりする方法はいくらでもありますが、求める才能が具体的になればなるほど無理なものは増えていきます。

結局は、自分の才能をどういう分野で、どう使うかなんですよね。

大雑把な夢なら才能の使い方を工夫すれば何とかなりますし、とにかくいろんな条件や細かく定められた夢なら諦めなければならない部分もいくつか出てきます。

とは言え何度も言いますが、何の手入れもされてない宝石の原石よりは磨き上げられた石の方が遥かに綺麗に見える物。やってみる価値はあるかもしれませんね。

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結局は自分の手札をどう使うか

人生はカードゲームとは違います。どうしても手持ちのカードでデッキを組んで、手持ちのカードで戦うしかありません。

ですがやりようはあります。なぜなら、人生において無意味なカードは存在しないからです。

手持ちのカードを知り、どういうカードをどう使い、どのように勝利をするか。それを考え抜き、鍛え上げ、実行した時、そこで初めて一定以上の成果が生まれるのではないでしょうか?

自分の才能というカードを見つけ、使い方を熟知し、そして実際に使っていくことで、見えてくる道もあるはずです。

腐らず慢心せず、しっかりと等身大の自分を見据えながら、人生を生きていきたいものですね。

コメント

  1. Mil'kx より:

    特定のタイプになりたい人を例に出すのがわかりやすい例ですね。
    まあなりたいというかどうしてもINTPに見えるって言われてるだけであってINTPだからなんやねん。何もすごくないやろ。って思っています。

    努力していないもしくは努力が足りないのに才能がないからと決めつけて諦めてしまっている方って勿体ないですよね。
    これは勉強面にも言えることだと思っていて、私は物理が好きなのに数学と違ってあまりできるようにならずに悔し泣きをしたことがあります。しかし好きなので諦める気も全くないためやります。

    正直才能うんぬんとかどうでもいいんでとりあえず行動に移して経験するのが手っ取り早いし楽しいです。 やってもないのに出来ないよりはとりあえず今の状態で挑戦してみて実力がどのくらいなのかを知った上でどうするべきなのかを考える方が自分のためになると私は考えています。

    例えば私は運動音痴と言っていますが、才能が無ければプロになるのは厳しいし、私は運動面には興味が無い上に、人並にできなくても正直かまいません。しかし、私はバレーやテニスは『好き』なので少しでも出来るようになりたくて練習しているのが楽しかったです。

    • 春眠ねむむ しゅんみん より:

      Mil’kx様

      コメントいつもありがとうございます。

      まあ、しばしば遠巻きに見てきた身ですので(白目)
      ともあれ、本当にタイプに縛られるのは認知を歪ませ、良くない結果を生みますね。それがあっているかどうかにかかわらず。

      まあ間違いない。実際、やってみなきゃ光るものも光りません。何も全盲の人に非常階段を走って降りろと言っているわけでもなし、理論上やれるならやってみるのは結構大事なことですね。

      これは荀子(儒教を学んでると出てくる性悪説の人)の言葉ですが、「どんな駑馬や、それこそスッポンでも、諦めなければいつかは目的地にたどり着ける」と。要約ですが。

      とは言え、どうしてもやれない、やる気の起きないことは出てきます。そういうものを無理にやるほど人間暇でも時間があるでもありませんが、「やりたい」と思ったことはやってみるに越したことはありません。

      Mil’kxさんは良い趣味をお持ちになれたようですね。ぜひとも、それを大事にしてください。上達できるかどうかはともかく、楽しめるかどうかは本当に大事なことなので。

  2. 永遠の夢追い人 より:

    生まれながら、目が見えない人や、耳が聞こえない人もいるのですから、優先度で言えば、才能が一番です。

  3. 永遠の夢追い人 より:

    努力って、何ですか…?まず、分析しましょう。計画を建てて、情報を集めて、戦略を練りましょう。

    • 春眠ねむむ しゅんみん より:

      永遠の夢追い人様

      コメントありがとうございます。またしても内容をお読みいただけてないようで、正直残念な気持ちです。

      ともあれ、私も才能は大事だと思っています。ただ、今回は「才能は努力なしでも光るものだ」「才能は自分で選べる」という方に向けての記事になっております。タイトルだけで憶測される方には、ちょっと誤解を与える内容でしたでしょうか?

      私も目が見えるかどうか、耳が聞こえるかどうかを気合でどうにかできるとは考えておりません。ただ、その人たちにも何かしらの才能があり、それを病気を理由に伸ばさないのは些かもったいないかなと。

      ともあれ、今回の話の本質はそこではなく、「才能があるはずなのにできないのはおかしい」「この才能が自分にないのはおかしい」という方に送った内容です。そこだけはご理解の上コメントいただけた方が、批判もこちらにとってより適切なものになるかと思われます。
      とりあえず、批判する前に読むだけ読んでみませんか?私から言えるのは、それだけです。

  4. szフレニア より:

    そもそも才能ってそこまで特別なものではないのではと思うのです。
    たぶん、そういう人のいう才能というのはお金になるかどうかとか、他人から認められるレベルになるかどうかとかそういう観点で見ているように見えるのですが、それでは苦しいだけというか。
    誰に認められなくても楽しんでいるのなら才能があるでいいのでは?
    興味があるからやってみよう、じゃだめなのか?
    と私は考えます。
    自分自身創作をやっていて、いろいろ悩んだり苦しんだりしましたが、結局今もやっています。
    ネットにいると自分よりもすごい人達がたくさんいて、いじけてしまいそうな時もありますが、そういう人たちが公開してくれている情報で助かっていることもあります。
    結局自尊心の問題である気もするんですよね。どうなのでしょう。

    • 春眠ねむむ しゅんみん より:

      szフレニア様

      コメントありがとうございます!記事内で意図していた論点とは違いますが、コメントを読んで膝を打つ思いです。

      >誰に認められなくても楽しんでいるのなら才能があるでいいのでは?
      これはまさにその通りで、磨くのも才能ですが楽しむのも才能。そして記事内の言葉を引用するなら、「楽しくやっているうちによく磨かれた川原の石か宝石のどちらかになる」というのが個人的見解です。
      まあこれだけ読むと月とすっぽんみたいな気がしますが……どちらにしても人が見て「おお」となるものになるのは違いありません。

      とは言え、やはり「誰もが認めるかどうかは重要ではない」というのは、まさに趣味の分野ではその通りだと思います。個人的には、趣味を「金になるかならないか」「人に認められるかどうか」だけで選ぶのはナンセンスだと思っています。

      実際、自分よりも上手い「師」みたいな存在がいればより才能も磨かれますよね。今度その記事も書いてみようか……。

      まあともあれ、今回の記事は才能を「ない」と決めつけたり、あるいは「この才能があると言われたけど、そんなの嘘だ!」とやる前から嘯いたり、あるいは「自分にはこの才能がある!」と根拠もなく確信している方に向けた内容でした。
      よろしければ別の記事にて、その素敵なコメントを書き込んでいただけると幸いです!