今回はタイプ3の幼少期、ないし子供時代の考察ですね。
タイプ8あたりと同じくサイコパス呼ばわりされることもあるタイプですが、子供時代にどのような形で、彼らの承認欲求や成功への渇望が生み出されていったのでしょうか?
今回はそんな感じで、タイプ3が幼少期どのように過ごしていったのかを考えていきたいと思います。
タイプ3の幼少期
ひとまずタイプ3の幼少期について、文献から情報を拾ってみましょう。
幼い子供として、タイプ3は養育者像に結びついた。その人物は、発達の初期段階で子供を鏡のように映し、子供の世話をし、愛情と個人としての価値感覚を与えた。幼いタイプ3は、他者が示す感情の状態に敏感に順応したり反応したりして、養育者像が示す反応や半ば無意識の期待に合わせることを学んだ。
ー中略ー
人間形成期において、タイプ3は養育者像の欲求と希望に合わせることを学ぶ。養育者像の期待はそれとしてはっきりと表される必要はない。子供には素晴らしい直観が天与のものとして備わっているお陰で、幼いタイプ3は、どう言うことが養育者を喜ばせるか、どんな行為が自分を受け入れる表情や微笑みを生み出すか、を学び取る。
性格のタイプ P127
【タイプ3】の子どもは、才能があり目立つ自分になると、多くの人に愛されると心の奥深くで考えています。また、どちらかと言うと父親より母親の方に意識が向けられていますが、その差はあまりなく、優しい母親に愛されていると実感できているならば、精神的に安定します。従って、親たちが自分の中にある潜在的な能力を見いだして、それをひき上げてくれることを求めています。
ー中略ー
また、自分自身の感情に手を焼きますが、自分ではいかんともしがたく、気分転換を図るために手を尽くしてくれる親、自分を力強く支えてくれる家族を求めています。
究極のエニアグラム P230
はい、完全に別のことを言ってますね。片方は自分の世話をしてくれる人に愛されたいと願う子供。もう片方は多くの人に愛されるために、親には能力開花をして欲しいと願う子供。
共通点と相違点
一貫して言えるのは、「愛されたい」という欲求を強く持っており、それがタイプ3という性格を形成しているということですね。
ゆーて何もかもが違いますね。まず、愛情を求める相手が違う。おまけに親に求めることも、性格形成の理由も違う。
竜頭さん、本当独自路線突っ走ってますね……
一応共通点と相違点を導き出すなら、こんな感じになるでしょうか。
共通点
人から愛されたい気持ち
父親像より母親像に気持ちが向きやすい
相違点
誰から愛されたいのか
親に求めるもの
どちらも人から愛されたい気持ちと、母親に愛情が向きやすい点が一致しています。
あとは大体全部違いますね。特に「誰から愛されたいのか」の違いはかなり大きいでしょう。性格のタイプでは母親的存在、究極のエニアグラムでは大勢の人たちです。
結局どっちが正しいのか
どっちが正しいと言うものはありません。おそらく今回の書かれている内容の違いは、時系列や着眼点の違いによるものでしょう。
ただ今回の趣旨に限って言うならば性格のタイプ側、つまり母親的愛情を求めているという方がしっくりきます。
タイプ3は多くの人に愛されたいと思う気持ちは確かにあると思いますが、それの発祥はやはり「母親的な存在に愛されたい」という気持ちからくるものだと思うのです。
まず最初に母親、そこから近所に広がって、最終的には多くの人に認められる存在になりたいと願う。大体こんな感じでしょうか。
究極のエニアグラムで語られてる子供時代って、ある程度性格が形成された後の話だと思うんですよね。
私的には、「正しいことを言ってるんだけど、性格形成された後の話をしている」という感じでしょうか。なんなら、そのつもりで書かれているような気がしてます
感情センターは「愛されたい」「認められたい」という気持ちを強く持ったタイプです。そしてタイプ3は多くの人に認められたい、誰にも誇れる存在になりたいと願っています。
ただ、それが幼少期、特に性格形成期にいきなり「みんなから愛されたい」と願うのはさすがにちょっと不自然です。
究極のエニアグラムで「母親側に意識が向けられる」と語られているのも、おそらく母親からの愛情を欲していたときの名残のようなものでしょう。
……マザコン?
正直書こうかどうか迷ったお題目ですが、私の中の悪魔が「やれ」と命令するのでやります。
特に性格のタイプの引用を見て、思う人は思ったでしょう。「これ、マザコンじゃね?」と。
養育者像とはすなわち母親的存在であり、当然実の母親がその中に当てはまることは多くあります。
養育者=実の母親と考えると、「母親のニーズを敏感に汲み取りその通りに行動する」「母親に全力で好かれようとする」とも取れます。
結論から言えば、タイプ3は全員がマザコンではありません。ただ母親のことが好きな人も多いので、その傾向はやや高いと言えるかもしれませんね。
母親的存在=母親とは限らない
さて、母親的存在と表現しましたが、これって別に母親のこととは限らないんですよね。
例えばお世話してくれた人が父親ならば父親に懐くでしょうし、近所の人たちが甲斐甲斐しくお世話してくれた記憶が強ければ、タイプ3が受け入れられようとする相手は近所の人たちになります。
タイプ3はとにかく自分をお世話してくれた人を大事にし、その人たちを喜ばせるために立派な人間になろうとするわけですね。
そのお世話してくれた人が、必ずしも母親というわけではない。タイプ3をどう思うにせよ、そこは覚えておきたいポイントですね。
タイプ3もいろいろ大変
特に母親的存在に認められるために頑張るタイプ3。ですが、彼らも人の子。人並みの欲求があるわけですが、時としてそれらを疎かにしてしまうことがあります。
例えば母親がお受験ママだったら勉強に子供時代を費やしますし、大人になってからも「稼げる人になりなさい」と言われれば過労で倒れるまで無理をするなど……。
タイプ3は人のニーズを的確に汲み取る力を持っています。それが悪い方向に働けば、どうしても自分の首を絞めてしまう結果につながるわけですね。
そう考えると、タイプ3も決して「成功して華やかな人」という単純な評価では片付けられないと思います。
といったところで、今回はここまで。
普通のタイプ3解説も別記事で行っておりますので、そちらもよろしければ合わせてご覧くださいませ。
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