器が小さい人、普通にその辺にいますね。お会計の時に財布を持ってこなかったり、視野が狭かったり、なんかやたらと自分の損得にうるさかったり……
今回は、そんな「器の小さい人」という存在について考えてみましょう。
そもそも器の小ささとは?
まあ器が小さいと言っても色々ありますし、まずは「器の小ささとはなんなのか」という定義付けからやってみましょう。
器が小さいとは
人としての度量、能力が備わっていない。あるいは小さなことを気にするさま
なんというか、抽象的過ぎて各々の主観によって色々意見が分かれそうですね。
見方ひとつで全人類の器が残念なことになりそうな定義ですね。
これじゃ議論もクソもない。早急に定義をはっきりさせねば……
というわけで、ここではあくまで私の考える器の小ささに該当する人を、今回の「器が小さい奴」の定義とさせていただきます。
すなわち、「違うものを受け入れられないこと」。これが、私の考える器の小ささです。
無論、意義や異論は多くあるでしょう。それは理解しています。
ですがこうやって無理やり定義付けしないと話が始まらないし的も絞れないので、あしからずご了承くださいませ。
言い訳乙。
……と言いつつ、そうでもしないと器の小ささ議論で紛糾しそうなので致し方ない気もしますね
器が小さい人の特徴
てなわけで、「受け入れない」という観点から、器が小さい人間の特徴を5つ見ていきましょう。
すぐキレる・思い通りにならなきゃダメ
受け入れません、絶対に。非常にわかりやすいですね。
思い通りにならなきゃキレる。否定する。とにかく自分たちと異なるものは全部認めない。とにかく全否定が基本。器の小さい人の典型です。
言いがかりでも何でもいいです。否定材料だけを集めて、気に入らないものを全部壊す。潰す。排除する。ある意味本能に忠実ですね。
そうやってキレ散らかし、最後には「全部相手が悪いんだ」で締めくくる。まさに「とりあえず受け止める」の真逆を地で行く人たちです。
損得勘定しかない
不利益、死んでも受け入れない。何がどうなろうが、自分が得できなければ許せません。何なら割り勘で自分がちょっとでも得できなきゃキレます。
ちょっと変則的ですが、これも「今は損してでも……」という局面を受け止められないからこその器の小ささですね。
小さなところだと有料会員になった方が得なのにしないとか、人への恩返しを「お金かかるからヤダ!」と拒否したりとか……。
「損をして得を取る」という思考も無いし、義侠心も無い。損と思えばすぐ裏切る。手のひらもすぐ返す。
ある意味元も本能に忠実で動物的と言えますが、目先の小さな損を死んでも受け入れられない性格は、大概信頼されません。
全部人のせい
自分のせいだと思いたくないのは、誰にでも備わっている本能です。要は、本能のままに「俺は悪くねぇ!!」とやっちゃう人たち。
自分のミスや落ち度を受け入れられず、他所に責任を求めるタイプです。
まあ気持ちはわからなくはありませんが……正直、傍から見ると見苦しいですよね。
よしんば上手く相手に全責任をおっ被せても、結果的に恨みを買うだけで何の解決にもなりません。
人を褒めない・否定する
これも狭量の代名詞ですね。自分が一番じゃないと嫌。あるいは相手が自分の上を行くのが嫌。
他人の事を絶対に認めたくない。受け入れたくない。
だからどんな事をしてくれても褒めないし、感謝もしなきゃ恩など仇で返して当たり前。どんな手柄にもケチをつける。常に周囲を自分より下の人間という事にしたがる。
こうやって自分の権益を守るわけですが……不用意に味方を減らす行いは巡り巡って最後には自分の首を絞めます。
嫉妬する気持ちもわからなくはないですが……人の長所を「無い」で締めくくろうとするのはいっそ清々しいですね。
他人を「器が小さい」とやたら非難している
ちょっと例外的ポジションですが、他人に対して「器が小さい」とやたら非難を繰り返している人も、器が小さい人の特徴の1つと言えるでしょう。
要するに受け入れられないや自分に理解できない人のことを「度量がない」「器が小さい」と非難しまくる人も一定数いるというわけです。
自分には自分の、人には人の事情があります。ですがこの手の人は、そういう事情など知ったこっちゃなし。とにかく自分の物差しだけが正解で、それ以外は悪とみなします。
これもまた、立派な「器の小ささ」なのではないでしょうか?
器が小さくならないためのたった1つの方法
というわけで、筆者が考える器が小さい人は「人を受け入れられない人」でした。
では、その観点から器を大きくするにはどうすれば良いのか?答えは「受け入れる」。それ1つです。
もっとも、それ自体が難しいのですが……とりあえず、理解できない相手を何かの型に当てはめて理解してみるのが大事なのではないでしょうか?
たとえばこれとかいかがでしょう?
こういう胡散臭いものも、案外学べば自分の知らない世界が広がるものです。
自分自身の理解をまずは広げ、理解できない人に対して大体の当たりをつけ、「こういう人なのか」と理解し、それから受け入れる。これだけでも、人としての器は大きくなるのではないかと。
コメント
この定義を基にするなら、器の大きい人がエニアグラム9で、器の小さい人がエニアグラム1ですかね。T9は、MBTIの16タイプにおける、ESFJやENFJを好む傾向にあります。彼らは、人と話すことが大好きです。話をすると、相手が何を考えて、どんな価値観を持っていて、何を求めているのか、相手を理解できるようになります。相手を理解できれば、それに合わせた優しさや気遣いもできるようになります。彼らは、楽しく会話ができないと困るので、空気を読むことを大切にします。彼らはこのように、その場の平和を作ることに長けているので、T9に好まれる傾向にあるのです。自分の器を大きくする近道は、器の大きい人を味方に付けること。環境は大事ですからね。その為にも、彼らと同じことをすれば良いのです。相手に話しかけて、会話のキャッチボールをして、空気を読み、時間を忘れる雑談をしましょう。
さらに、自分の器を大きくするもう一つの手段として、自分の中から、エニアグラム1の要素を捨てることもありますね。T1は、夢や目標を達成する為に日々努力します。現状維持を大切にすれば、T1の要素を捨てられるでしょう。これはT9に近付く行為でもあります。何より、悪を絶対に許さないT1にとって、相手を受け入れることは難しいことなので、器を大きくするなら、必ず通る道になります。
永遠の夢追い人様
コメントありがとうございます。
うーん、やはりどこかに齟齬と言いますか、内容がきちんと伝わっていないような?今回も文脈をお読みいただけていないようで少々残念です……
ともあれその上で解説させていただきますと、今回の内容はタイプ1的な「頭の固さ」ではなく、感情的・情緒的に相手を受け入れず無意味な非難を繰り返す「器の小ささ」です。
エニアグラム基礎編のタイプ6解説の中にあるバスケットボールのくだりのやつがそれっぽいでしょうか。
もっとも、この手合いの器の狭さはどのタイプも持ち得ます。タイプ1だとかタイプ6だとかタイプ9だとかに関わらず、誰しもが持ち得る器の狭さですね。
この手の器の狭さはタイプ1のように「最善を求めるがための視野の狭さ」とは異なり、「悪を見つけてこらしめる楽しみを覚えたがための心の狭さ」とか「違う物を悪だと瞬時に判断する思慮の足らなさ」に近い物です。この違いは、おそらくはおわかりですね?
その前提の上であえて弁明させていただくと、個人的にはタイプ1のことを「心が狭い」と思ったことはありませんし、タイプ9の心の広さを「みんな目指すべきだ」と思っているわけでもありません。そもそもタイプ1もタイプ7への統合ラインを持ちますし、タイプ9はタイプ6への退行ラインを持ちます。どちらも器が小さい人もいれば大きな人もいるでしょう。
その上で疑問なのですが、夢追い人様はどのような方を「器の大きい方」、あるいは前回のコメントを参照して「器の大きさと小ささをほどよく持ち合わせた方」とお考えでしょうか?純粋に興味がありますので、もしお時間あればご教示いただけますと幸いです。
ともあれ今回の話をまとめますと、「器の大きい小さいとエニアグラムは関係ない」「タイプ9だろうが誰だろうが器の小さい人間になり得てしまう」ということですね。
これでご理解いただけましたでしょうか?もし定義だけでもおわかりいただけたのなら幸いです。