悪事は基本ほどほどに……悪い事にどっぷりハマると危険な理由

世の中

悪貨は良貨を駆逐する。悪人には友多し。人の不幸は蜜の味……。善を良しと見ることわざが多いようで、その裏では悪人こそ得をするという現状を述べたようなことわざも多く存在します。

実際、今の世の中も「結果さえ出るなら悪事を働いても構わない」という考え方が次第に浸透してきてますね。

実際、悪は強いです。善なんかよりよっぽどお手軽に結果を持ってきてくれます。

というわけで悪こそ強い時代ではありますが……それであっても、正直悪事に対しては「使わないに越したことがない」「やるにしてもほどほどに」というのが正直言いたいことではあります。

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悪事千里を走る

前置きはこれくらいにして……悪事をやめた方がいい理由を単刀直入に言いましょう。

悪事千里を走る

これに尽きます。物の道理とか正義とか道徳とか、そういうのをすっ飛ばしてとにかく危険なのです。

善行は人に話題にされにくいです。それどころか、ヤバい奴から「弱い」と見なされて攻撃されることもあるでしょう。

だからこそ善よりも悪のほうが短期的には強いのですが……それにしてもリスクが高すぎます。

目に見える悪党は信用されない

結果主義極まった「結果至上主義」とも言うべき社会では、結果さえきちんと出していればどんな非道な行いでも許されます。世間に悪行が知られるまでは。

どれほど結果を出しても、大勢の恨みを買って告発されたら、あるいは悪事が明るみになって裁判沙汰になったり逮捕でもされたら……。

ぶっちゃけ、こうなっては大打撃どころではすみません。これまでの実績の完全な終わりです。罪を償って、その後また1から出直すしかなくなります。

まあ英雄性や知名度が飛び抜けていたら、それらの英名を利用して何かしらに返り咲くことも十分可能でしょうが……そんな地位にまで登れる人はごくごく1つまみ。

幸せそうな顔をして畳の上で死んでいる悪人のほとんどは途中で悪事をやめるか、そうでなければ決して世間にばれないように隠蔽の上に悪事そのものを隠せる範囲でしかやりません。

つまり悪によって利益を得て幸せなまま死ぬためには、絶対に不特定多数の目がある場に露呈してはいけないわけです。

人の恨みは一生もの

マイナーですが……江戸の敵を長崎で討つ、なんて言葉もあります。

ぶっちゃけ、恨む側は恨まれる側の数十倍数百倍も、自分が受けた仕打ちをよーく覚えているものです。

かくいう私も恨みこそ抱いていませんが、やっぱり悪意によって実害を被った相手の顔と名前は忘れてませんね。

悪事は破る規則や対象が無ければ、基本的には成り立ちません。

ルールを破れば罰則を受け、人を貶めれば恨まれる。そういうものです。

ルールに対する罰則。これはまあ、軽いものや組織内のローカルなものであれば、あるいは挽回できるかもしれません。が、問題は人の恨みです。

相手が良くできた性格の人なら、それこそ嫌われて金輪際仲間にならない(利用できない)くらいのデメリットに収まりますが……残念ながら世の中はそういう人ばかりではありません。

大半の人は陥れた相手を恨み憎しみ、場合によっては復讐もあり得るでしょう。

「いつかとんでもないことをされるんじゃないだろうか?」「殺しに来るような事はないのか?」「家を燃やされたらどうしよう?」、と。人によってはそういう恐怖を抱かずにはいられない事もあります。

本当、人の恨みって物騒なもんですよ。復讐を生き甲斐にしてしまった人は、文字通り何でもする無敵の人です。

「刺される可能性も家が次の日に無くなる可能性も、結託して悪事を暴かれる可能性も怖くねえ!」くらいの図太さが無い限り、実際に報復を受けるよりも先に精神が参って自滅してしまう可能性すらあります。

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