綺麗事を覗いてみる|過ぎたるは猶及ばざるが如し

世の中
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綺麗事って、最近嫌われてますよね。何というか、「現実を見てないお花畑の人間だけが信じる言葉だ」みたいな、ちょっとパサつきすぎなような考え方が意外と浸透しています。

正直者が馬鹿を見る。悪貨良貨を駆逐する。そんなのが当たり前の世の中ならば嫌気がさして利己主義的な悪を信じたくなるのも、正直しょうがない気がします。

が、だからといって「綺麗な言葉はすべて無価値!ゴミ!言う奴は偽善者!」ってのも極端なのではないでしょうか?

「綺麗事」と「現実」の2択で考えることがそもそも危険では?

綺麗事に反応する人を見ても、あるいは現実的な発案に反発する人を見ても……正直思っちゃうんですよね。「片方だけを信奉して本当にうまくいくのか?」と。

結論から言うと、私は「きれいなものも汚いものも両方見てないとマトモな判断は下せない」と思ってます。

まず汚いもの。これを知らずにきれいな事ばかりを言っても、所詮出てくる言葉は絵空事ばかり。

綺麗事の信奉者が放つ言葉は、特に現状地獄を見ている人には刺さるようなものも含まれるでしょう。

私が見た中では、ネグレクトを受けて親を憎んでいる人に「憎しみは何も生まない」「それでも生んでくれた親なんだから感謝しないとね」みたいに言ってる人がいましたが……ちょっとアレは頭を抱えてしまいましたね。

綺麗な道徳観や理想を押し付けたところで、地獄を味わった人の心の傷は癒えないんですよ。

自分がスッキリして「はいおしまい」。これでは、何のための説教や説得なのかわかりません。

で、その一方で汚いものだけの世界を見ていれば、心は当然汚いものに染まって薄汚れていきます。

何がどうなろうと知ったことではないし、自分だけが得をすれば他はどうでもいい」、と。綺麗事をことごとく排除した世界ではこれが最高の理想になってくるでしょうか。

みんながみんな我欲のために好き勝手ふるまって、みんなで仲良くつぶし合いの戦国乱世。昨日の味方が今日の友とも限らず、仲間の裏切りや生まれつきの強者からの攻撃を恐れながら、弱者からチマチマ物資を強奪する世界。

どれだけの地位や名誉を得ようと、結局治安の悪い中で弱肉強食やってる世界が、本当に幸せなのか……。

綺麗事なんて、所詮は絵空事。それだけでは何の力にもなりません。ですが、力のある者が綺麗事を実行したり、綺麗なだけの理想をどこまで現実に反映できるかを試す人もいて今の世の中ができている側面を無視して綺麗事そのものを非難するのもなんか違う気がします。

綺麗事はほとんどが非効率ですぐに結果は出ませんが、広い目で見れば案外重要な役割を果たしている部分もあります。

あかつき
あかつき

悪の道で本当に栄えるのは、サイコパスかゴリゴリのマキャベリストだけだと思います。

だって普通の人は良心の呵責で手を抜くか、人を叩いたり倒すことばかりに目が行って、大抵いらん事やりますし

綺麗事ばかりを言っても何の解決にもなりませんし、現実の皮を被った悪ばかりでは道を踏み外します。

別に持ってる性質自体は善でも悪でも構いません。ですが、両方をバランス良く見ることができる方が、綺麗事うんぬんより大事な事なのではないでしょうか。

当然、綺麗事ばかりの人はダメ

とはいえ、正直なところを話すと綺麗事しか言わない人・汚い部分や人の不幸を無視して崇高っぽい説教らしき理屈を展開する人はダメだと思いますよ。

「子を愛さない親はいない」

「普通の人は、どんな状況に陥ってもいじめも犯罪も侵さない」

「努力で越えられない壁は絶対に存在しない」

とまあこんなところでしょうか。私の個人的な話ですが、上記のような言葉を当然のように話す人はあまり信用できません。

子を愛せない親がいるからDVもネグレクトも問題になるわけだし、いじめも犯罪も条件次第で普通の人がやっちゃうからこんなに多発しています。

努力にしたって、長期的には人生も変わるでしょうが、そんな数ヶ月や1年程度で絶望の人生がガラリと変わるケースは稀でしょう。多くはきちんとした方向を定めて何年も苦しんで苦しみ抜いて、ようやく条件がそろって少しマシになる程度です。

正直、世の中をこんな簡単に解釈して「全部わかってる」風な顔をしてる人は信用なりません。

だからといって家庭内暴力やいじめを推奨したり、「自分でどうにかなる問題でも自分で行動しなくていい」とか言うつもりはありませんが……少なくとも、実態を見ずに問題の存在そのものを否定しても、問題の被害者たちは救われません。

むしろ、綺麗な言葉や綺麗な世界ばかりを見ることで、汚い世界で苦しんでいる人の存在を否定して積極的に見捨てている。

あかつき
あかつき

加害者に何かしら事情があっても、多分綺麗事だけの人は考慮しませんよね。

「きれいな自分たちとは絶対に相容れない汚物」みたいな扱い?

臭い物に蓋をするだけでは、何の解決にもなりません。それなのに問題を解決した気になる人は、私も正直好きではありませんね。

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大事なのは両方見る事!

結局何が大事かって、「きれいも汚いも両方見ること」「相容れない世界もあるのを認めること」なんですよね。

世の中がきれいなものばかりであふれることもありませんし、かといってみんなが汚くなればその先にあるのは戦国乱世も真っ青な潰し合いです。

私的には、どっちも多分ロクな世の中じゃない。綺麗な事しか言えない世界では息苦しくて住めませんし、汚いだけの世界ではやっぱり真っ先に死ぬ気がします。

あかつき
あかつき

極端ですが、

・嘘も愚痴も不満も言っちゃダメの、何もかもを褒めないといけない世界

・気に入らない人を殺しても、人のものを盗んでもかまわない世界

の2つを比べてみればわかりやすいんじゃないでしょうか?

極端ですが(二回目)

とまあここまでは個人的な感想なので別にどうでもいいとして……常に「綺麗事」「汚い現実」の2択で考えるとこうなりますよという話。

結局バランスなんですよ、大事なのは。

汚いものを見なければ本当に優しい世界なんて夢のまた夢だし、「現実は汚いから」と流されるままみんなで汚くなっていくのもダメ。

「それなら自分だけ汚くなればいいじゃん!」みたいに考えてる人もいるかもですが……他の人にも意思があります。汚い方が上手くいくとわかれば、みんな汚いことをするのは道理です。

綺麗事が好きでも嫌いでも構いませんが、やはり「きれいも汚いも両方認める」という工程が無いと、意見も観る世界も極端に傾いてしまいがちですね。

私は綺麗事だけを礼賛するつもりはありません。ただ、綺麗事無くしてマトモな世の中が成り立たないとは思っています。

ネグレクトや虐待、いじめが「罰する必要のない当たり前の事」ならば、それだけでも世界はかなり殺伐としてしまいます。

いつ誰から何をされるかわからない。そんな世界にしたくない、あるいはいつまでもそんな世界にいたくないのなら、綺麗な理想や言葉の存在くらいは認めてしまった方がいいです。

綺麗な理想と汚い現実。仮にどちらかを選ぶにしても、両方の世界が存在することを忘れないでください。

あかつき
あかつき

理想と現実を分けて考えろってことですねわかります

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