ウザいくらい善意の押し付けをしてくる人の心理5選

いろんな人たち
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ウザいくらい善意の押し付けをしてくる人。まあ、中にはいると思います。

実際、そういう人によって「善は悪いことだ」みたいな風潮にちょっとなりかけたり、何かと善行に対するハードルがやたら上がりまくっていたりしますが……

ともあれ、今回はそんな「善意を押し付けてくる人」がどういう思考回路をしているのか、その辺を見ていきたいと思います。

それってもしかして……

とりあえず、この心理を思いっきりブチ抜いたであろう存在を、私は書籍で見たことがあります。あるいはブログでも、ここ数年で結構取り沙汰されていますね。

いわゆるエニアグラムという心理学の、タイプ2とされる人がこれにあたります。

彼らを一言で表すなら、善人です。人に優しく自分を犠牲にしてまで人に尽くし、その裏で「人に認められたい」という承認欲求を強く持ったタイプでもあります。

まあ彼らのことを網羅すれば大体答えは出てしまいますが……ともあれ、「そんな胡散臭い物見たくもない」とか「え、わざわざ別記事読むんですか?」という方もいらっしゃるでしょう。

というわけで、以下にその心理を、略式ながらまとめていこうと思います。

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善意をやたら押し付ける人の心理

親切な人だと思われたい

ハッキリ言ってしまえば、「善行によって評判アップ」作戦の空回りですね。これはタイプ2の心理からは当たらずとも遠からずと言った感じですが、実際結構な人がこのパターンに当てはまっていると思います。

とにかくいい人だと思われたい。周囲から良い評判を得たい。そしてタイプ2の人は、そうやって人から見捨てられないようにしたい。

とまあザックリ言えばこんな感じでしょうか。

見捨てられ不安

善意を押し付けてくる人の多くは、自己肯定感が高くありません。よって、人を引き止めるために善意や善行といった手段を多用します。

結果が、善意を押し付けてくるウザい人ですね。

この手合いはタイプ2には非常に多いのですが……とにかく「いい人でいなければ」「自分が悪い奴だったら人がいなくなってしまう」という強烈な不安が渦巻いています。

この不安や強迫観念が暴発した結果、善意を見せることに歯止めが利かなくなった。おおよそ心理を解明するなら、こんなところでしょう。

決して悪い人ではないのですが、善意が呪いになっているタイプと言えるかもしれませんね。

自分を悪い奴だと思っている

善意を押し付けまくる迷惑な人の中には、「自分は悪い奴だから善行を働かなければならない」と切羽詰まっている人もいますね。

悪い奴だから、それを少しでも中和するため、あるいは罪滅ぼしのために、いいことを少しでもやろうとする。

それか、「素の自分を出すのは悪いことだ」と考え、自分のニーズや本音を隠すために必死で善行に励む人も中にはいます。

実は上から目線

まあ、有り体に言えば先述のタイプ2のダークサイドですね。「○○して”あげる”」とか、「私がいないとダメでしょ?」という感じでしょうか。

見捨てられ不安が強い人が、特にやる方法ですね。

ロジックは単純。相手が「私がいないと何もできない」状態になれば、相手はもはや離れることができない。これで人間関係の永久機関の出来上がりです。

あかつき
あかつき

まあ、人を善意という麻薬でシャブ漬けにすれば一生その人に依存し続けるしかないですからね。

ある意味、打算というか黒いというか……

タイプ2と関わる中で「怖い」「妙に上から目線が引っかかる」という人もいますが、そういう人はこういう「私がいないとダメにしてやる」という若干の害意を感じ取っているのかもしれません。

打算に利用している

その昔、儒教が重視されていた中国での噂程度の話ですが……自分の親孝行ぶりをアピールするために自ら親に毒を盛り、弱らせた上で派手に看護してみせることで役人試験に受かる人もいたとかいないとか。

それが嘘でも、代理ミュンヒハウゼン症候群という言葉もあります。

要は、他人を必要以上に助けたり善意のような物で接することで、世間からの評判や称賛を集めようとする人もいるということですね。

当人が迷惑に感じていても、世間は「素晴らしい行いだ!」と称賛する。こんなこと、事例も腐るほどあるでしょう。

こういう人たちも一定数いて、やはり善意を過剰に押し付けてきたり、陰で他人を「善意なしでは生きられない」という状態にすることもあるわけです。

あかつき
あかつき

これは承認欲求が善意を向けている人ではなく世間や他人に向いているので、タイプ2のアレとはちょっと毛並みが異なりますね。

こういう打算で動く人は、他人を裏で貶めることも辞さない傾向があります。怖いですね

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いちばんの善意は……

まあ「過ぎたるは及ばざるが如し」という思想には個人的には賛否半々と言ったところですが……ともあれ、善意も行きすぎるとそれはそれで波紋を呼びます。

ともあれやりすぎるとウザがられたりナメられて粗雑に扱われたりと、良いことはありませんね。

というわけで行き過ぎない程度の調整はある程度必要です。

というわけで月並みですが、個人的に行き過ぎない善意を考えてみました。

言ってしまえば、「自己犠牲にならない程度の善意」。これが善意の中では最善と言えるでしょう。

自分がボロボロになってでも、他人を助ける必要はありません。それらを求める人は食わせ者……というかぶっちゃけクズです。

あるいは善意を向けた瞬間に偽善者呼ばわりしてくる人は、その大多数がただ偽善だなんだと言いたいだけです。

むしろそう言った人とは縁を切って、本当に自分の善意を嬉しいと思ってくれる人と繋がること。そして何より、自分に余裕がある時にだけ人を助けようとすること。これが、結局はちょうど良い塩梅で善意を見せる方法につながります。

無理をせず、自分が苦しくならないよう、「行き過ぎない」善意を求めていきたいところですね。それでも案外、人はついてきてくれます。

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