絶対に愚痴を言わない人は多分精神がおかしい。愚痴を言わない人の特徴9つ

世の中

愚痴は一般的に無意味な事だとされ、場合によっては「絶対に何があっても、一言でも言ってはならない」くらいにめちゃくちゃ規制されますよね。

みんなそれぞれしんどい思いを抱えてる。確かにそうですね。世界を見れば、もしかすると悩みなどちっぽけなものかもしれません。

ですが、言う事でスッキリするのもまた事実。個人的には、愚痴るだけ愚痴ったところで最終的に前を向ければオーライだと思いますね。

というわけで私としては「真っ当に生きてりゃ愚痴の1つや2つは出る」「悪いのは愚痴ではなくそこから前を向かない事」と割り切ってるわけですが……それでも世の中いるんですよね。マジで愚痴らない人が。

そういう人たち、私は

  1. バランスのいい人
  2. メンタルモンスター
  3. ロクな死に方死ない奴

の3通りだと思ってます。多分、普通の人に見えて普通の人じゃない。

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キャパを超えれば愚痴も出る

強がっても無駄だし、弱者を否定してもどうにもなりません。人間、誰がどんな綺麗事を言おうと弱っちいものは弱っちいです。

日々生活してると嫌でも人との衝突はありますし、死ぬ気で努力しても不本意な結果にしかつながらない事も珍しくありません。それどころか、真っ当なことをやってたつもりが悪人に仕立て上げられるとか諸悪の根源とばかりに理不尽な仕打ちを受けるとか、生きてりゃ嫌どころか最悪の事も山ほどあります。

で、そんな地獄のような体験をしていれば、自然と愚痴もこぼれるもの。

何をやってもどうにもならない、奈落の下にさらにまた奈落があるような状況下で、気丈でいられる人などいません。

そもそも、「愚痴は悪いことだ」と人に説教してる人の中で、現在進行形でキャパを超える悩みを抱えてる人っているんでしょうか? 多分いないですよね。

要するに、人事だからどうとでもいえるわけで、自分ごとになれば話が違う。完成された人格者ならまだしも、他人事のつもりでなければ愚痴を全否定する人はこうも多くないはずです。

愚痴を言わない人の特徴

さて、前置きもこれくらいに……「普通は愚痴を言わない奴などいない!」という話をしましたが、それでも意外と何も愚痴らないという人は大勢います。

そういう人たちは、いったいどうして愚痴らないのか。私が実際に見てきたタイプの人たちを、耳あたりのいい順に見ていきましょう。

1.愚痴るほどの境遇に身を置いたことが無い

要するに「人生そこまでハードモードじゃない」という人たちですね。程よいレベルの課題にぶつかり、仲間にもそこそこ恵まれ、順当にレベルアップしてきた人たち。

神を気取りたくなるほどイージーでもなければ、死にたくなるほどハードでもない。そんな感じの「自分の強さ相応」の理想的な人生を歩み、バランス良く成長してきた人たちは、「愚痴るよりまず現状打破」という考え方と、実際にそれでどうにかなる成功体験をしっかりと持っています。

要するに、愚痴ってまでストレスを処理する必要がほぼ無いんですよね。

当然、「程よい難易度」といっても個人差があります。ちょっと努力すれば何とかなる程度の障壁ばかりという人もいれば、「借金まみれで仲間も友人もいない」という状況を「程よい難易度」と笑い飛ばすメンタルモンスターも中にはいます。

結局感じ方の問題も大きい話ですが……こういう人は他人の愚痴に対してもフラットな見方ができるので、本当の意味での理想といえるかもしれません。

2.客観視の鬼

自分の事を徹底的に客観視できれば、多少の絶望に対しては達観したまま「ま、こんなこともあるか」と言い放つことができます。

こういう人は性格がめちゃくちゃフラットなので大きなことを成し遂げても人並みに喜ぶことができませんが、反面滅多なことで心が折れないという鋼メンタルの持ち主。大体のことに対しては平常心かつ他人事です。

人生を十全に楽しむ観点言えばなかなか楽しみの少ない人かもしれませんが、逆境に立った時の異常なまでの冷静さと分析力は見習いたいものですね。

3.徹底した楽観主義者

どんな時でも楽観主義!徹底して楽観視!羨ましいですね。

こういう人は、絶望的な状況に陥っても「まあいい勉強だと思っとこう」「あー何とかなるって」みたいに、物事のネガティブな面を本気で見ません。見ようとしません。

意地になってでもポジティブ要素ばかりを見るため、逆境においても精神的にかなりタフです。

とはいえ、このタイプは「ネガティブを直視すると心を病む」という恐怖心も同時に抱えていることが多く、ポジティブ思考に逃げられない圧倒的な絶望を前にすると一気に瓦解することも……

4.遠慮なく愚痴れる場所が他にもある

つまり、逃げ場が多いという事ですね。個人的には、これが凡人が愚痴で嫌われないための理想戦略だと思います。

わざわざ誰彼構わず愚痴らなくても、自分の愚痴を聞いてくれる集団が複数いるから安心感が半端ないんですよ。

愚痴らなきゃどうにもならないほどのキャパオーバーを引き起こす原因は、「自分じゃどうにもならない」「誰も助けてくれない」という極度の不安です。

それを取り除く、言わば「つらかったらいつでも愚痴れる」というお守りがあるだけで、何だか安心しちゃって愚痴の数も減るわけです。

結局、恵まれてたらそれだけ不安もネガティブも払拭されます。

誰から構わず愚痴るのではなく、愚痴を聞いてくれそうな優しい人と仲良くなる。当然依存し始めるとアウトですが、頼る先を複数作るのは生存戦略としては正しいと思いますよ。

5・愚痴るより頑張れることがある

要するに、夢とか目標とかですね。本気でやりたいことがあれば、窮地に陥った時には愚痴より先に相談が出ます。これ、意外とやりたいことをやってるときにしかわからないものなんですよね。

「現状が嫌」ではなく「現状をどうにかしたい」と、ある種適性難易度で人生を歩んできた人みたいな発想ができるのが、頑張りたいことがある強みですよね。

とはいえ、ネガティブ思考が消し飛ぶレベルで熱心にやってるぶん、もし夢破れた時は地獄ですね。多分、愚痴る余裕すらなくなります。

6.愚痴る余裕すらない

愚痴をこぼすのって、誤解を招くような言い方をすればそれだけ余裕があるからなんですよね。

このタイプは愚痴を言わないのではなく「言えない」。言う事すらできずに精神を病んで、誰にも心を開けず逼塞した人生を歩んでいる状態です。

例えば本物の精神疾患を抱える人は、波長が特にひどい時は愚痴る余裕もありません。よしんば行動できたとしても他人に愚痴をぶちまけるよりもネガティブな自問自答をして傷つくことの方が大きいです。

もし愚痴を言う人がほとんどいない環境があったら、「愚痴り屋予備軍に愚痴る余裕すら与えずこの状態にまで叩き落としている」ことを疑ってもいいかもしれませんね。

ある意味、愚痴れる余裕があるならまだどうにかなります。

7.人の顔色や常識が気になりすぎる

愚痴をこぼしまくって嫌われるような人には少なからず「常識に迎合しようとする」「周囲の顔色を気にしてしまう」という傾向がありますが……それが行き過ぎると、愚痴をぶちまけたいと思っていても「愚痴は絶対悪なんだ!」「それで嫌われたらどうしよう!」とか考えちゃうんですよね。

こういう人は「愚痴も言わないし従順で良い人!」と周囲から太鼓判を押されるか舐められて面倒事を押し付けられるかどちらかの場合が多いですが……どのみち、糸が切れる時は一瞬です。

だってそうですよね。人に嫌われるよりはマシと、何でもかんでも自分ひとりで抱えてるわけですから。それで健全に生きていける方がいたら、それこそ化け物です。

こういう人にこそ、いつでも愚痴れるお守りみたいな人間関係は必須。全部抱えて生きるなど、よほど荷物が軽いか当人が先天的にタフでないと無理な話です。

8.すでに心が壊れてる

人間、どれだけ悲惨な環境でも、それが当たり前になれば嫌でも適応してしまうものです。

誰の助けもないまま地獄のような環境が当たり前になると、やがて考えるのを放棄して「全部がどうでもいい」「どうせ誰も助けてくれない」と、自ら他人や人生そのものに心を閉ざすことで絶望を日常にしてしまうもの。

こうなれば、もう愚痴を言うのも現状を打開するのも無意味。愚痴る余裕が無いのと同じく精神疾患の疑いすら出てきます。

ここまでになってしまうと、自力じゃもうどうにもなりませんね。早急に全部受け止めてくれる仲間ができるのを祈るばかりです。

9.そんな事より弱い者いじめに夢中

人道や自己成長を完全無視した「愚痴らない最強の方法」がこれ。

自分よりひどい状況にある人間を探し、追い打ちをかけて楽しむ。あるいは「その程度で音を上げるな!」とかキレ散らかす。

アパルトヘイトの撤廃に最後まで反発したのは、白人の貧困層です。日本でも部落差別撤廃に際し、平民が部落を襲撃した話もあります。

結局弱者をもっともいたぶるのは、彼らの1段上にいる弱者です。「自分はここまでひどくない」「もっと終わってる奴がいる」。そんな思いで自分以上の弱者を叩きのめし、愚痴や不満という留飲を下げています。

楽しいかどうかはさておき、これやって「スッキリしない」と答える弱者の8割は偽善者と断言していいでしょう。あいつら人格者気取りだけは盛んですし。

怒りをノーリスクな弱者にぶつける。こういう卑屈な輩は、愚痴以外にも自分の留飲を下げる手段を持っています。だから愚痴るより先に切れる手札があるわけです。

まあ、とても褒められた手段ではありませんね。効果的ではありますが。

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「愚痴を言わない」よりもヤバいのは……

結局最後に言いたいのはこれですね。

愚痴るとか愚痴らないとか、そんなことで人の価値が決まるならそれこそくだらない。些末事です。

そんな無意味な議論よりも、大事なのは愚痴った後にしっかり前を向けてるかどうか。

愚痴を言った結果「自分は弱者なんだ」と再認識し、「人が助けてくれて当たり前」とか思い始める。これでは意味がありませんね。結局どこかで痛い目を見る典型でしょう。

愚痴るか愚痴らないかはどうでもいい。場所と頻度にさえ気を付ければ愚痴っても構わない。

ただ、自分でできることを探してするのは諦めないでください。

結局愚痴ろうが愚痴るまいが、自分で出来る事をしない人に現状は打開できません。

人に助けを求めるのもつらかったことや今しんどいことを話すのは悪いことではありません。

ただ、そこにかまけて自分じゃ何もしない、人に助けてもらっても「自分弱いから」と開き直ってありがたいことだと思わない。これが問題なのです。

どれだけ愚痴ろうがネガティブに支配されようが人を頼ろうが、最終的には自分の足で立つことを忘れないでください。

そこさえ忘れなければ、愚痴るかどうかなんて死ぬほどどうでもいい話です。

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