結局のところ、なんだかんだと信用ならないのが人という生き物です。
みんな好き勝手に生きてます。だから時に騙されますし、振り回されもしますし、時に思いっきり傷つけられます。
今回は、そんな信用できない状況のメリットとデメリットについて考えていきたいと思います。
他人を信用しないメリット
前置きを長々と話しても仕方ありません。まずは他人を信用しないことによるメリットを考えてみましょう。
周囲の都合に振り回されなくなる
原則信じないわけですから、善意なんてものに付け込むどうしようもない奴をシャットアウトできるという寸法です。
他人を完全に信じず疑ってみることで、いろんなものが見えてきます。
例えばその人がなぜそんな言葉を放ったのか、とか。
結局その人は自分に何を求めているのか、とか。
こういう裏側の感情や気持ちを知ることで、とにかく騙されたり振り回されたりせず、冷静な目で物事を見ることができるのです。
貸したお金が帰ってこない、都合よく利用されるetc.
信用しすぎもデメリット大きいですからね
- 都合よく使われてる気がする
- お金の無心や貸し借りの話が多い
- 安請け合いしてしまう自覚がある
こういった方は、一度人を疑ってみるのもいいかもしれませんね。
自分の身を自分で守れる
これが個人的には一番デカいまであるかもしれません。
結局、我が身を守る上で一番頼りになるのは自分です。他人任せで生きていては裏切られた時に終わりですし、守ってくれる人にはある程度服従する必要が出てきます。
要するに、守ってくれる人の気分次第で奴隷のような扱いを受けても甘受しなければならなくなるし、仮によくしてくれても見捨てられれば終わりです。
ですが、人を信用しなければ、最初から自分のことは自分でしなければならなくなります。
要するに、自立せざるをえないわけですね。
これは人によっては大きなデメリットになりますが、特に「何をするにもだいたい人頼りだな」と感じてる人には大きなメリットになるかもしれません。
まず、味方に裏切られる可能性が極端に減ります。裏切る味方が残らないので。
そして何より、いざという時に自分で動ける力が身につきます。
いざという時に一番頼れるのは自分自身。だって、自分こそがもっとも自分を裏切らない存在ですから。
マキャベリも「傭兵は頼りにならん」って言ってましたね。
いざという時に頼りにできないのが、アウトソーシングの弱みですね
自立できる
先ほどは「自立せざるをえない」と言いましたが、これも裏を返せば「自立できる」という大きなメリットになりえますね。
人に頼らなくなることで、自分で動かざるをえない状況ができあがります。
そこで身につくものといえば、以下の通り。
- 自分で動ける能力
- 自責思考
自分で動ける能力は前項で述べたとおりですね。というわけで、自責思考について見ていきましょう。
自責思考というのは、何も「自分が全部悪い」というネガティブな話ではありません。
ただどんな状況にも自分の落ち度を探し出し、次への糧にするための思考というわけです。そこに自分が悪いとか他人が悪いという責任論みたいな話は存在しません。
自分の何が悪くて失敗したのか。そして次はどうすればいいのか。それを冷静に具体化し、次に行動する時はそれを活かす。
これは他責思考ではなかなか身につかない技術です。なぜなら、「あいつがあんなことをしたから」と相手を責めてばかりでは前に進めませんよね。
他責思考とは、例えば仕事が失敗した時に、同僚の間で責任を押し付け合うようなものです。誰の責任だと揉めるよりは、どこが悪かったのかを明確にして今後に活かした方が有用ですよね。
それと同じで、自責思考は自分が前に進むための有益な思考になりえます。
人を信用しないデメリット
では逆にデメリットは何があるのか?そこのところを見ていきましょう。
味方が減る
信用した人の数だけ、とりあえずの味方は増えていきます。
逆に誰も信用しなければ味方はゼロ。仮に味方になってくれそうな人がいたとしても、その人もいつかは見限って離れていってしまいます。
人を信用しなことは悪いことではありませんが、間違いなく味方を失って孤立する危険があることは念頭においた方がいいでしょう。
味方が少ないことは基本的には不利に働きやすいです。例えばナメられたりいじめや嫌がらせの標的にされたりなど……。
人を信用しすぎるのは危険ですが、信用しすぎないのもまた危険なのです。
敵が増える
前項でも触れましたが、とにかく敵を作りやすいのも人を疑うデメリットです。
人に信用されず、むしろ疑われてしまっていい気になる人はいませんよね。要するに、そうやって敵を増やしてしまうということです。
それこそ敵視などしてしまえば、その時は敵だらけになって対処が大変なことになりかねないです。
人を疑うのも大事なことですが、疑い方というものがあります。無闇に信用していないことを表面に出してもかえって面倒ごとに巻き込まれてしまうだけなので、基本的には胸の内にしまっておきましょう。
表面上有効的に接するのも、処世術として大事なことですよ。
私が言うのもアレですけど……
いざという時に誰も守ってくれない
信用しない=味方が誰もいないということです。つまり、いざという時に誰かが守ってくれるなんてことは決してありえなくなるわけです。
残念ながら、世の中や人生とは残酷なものです。自分ひとりではどうにもならない苦難や苦痛に出くわすこともあるでしょう。
そういう時に仲間がいなかったらどうなるか?よほどの奇跡が起きない限りゲームオーバーです。
自分ひとりで生きるということは、それなりのリスクを背負うことでもあります。誰も信じず生きるのであれば、ある程度の覚悟をしておく必要があるでしょう。
人を簡単に信用しなくなる方法
とりあえず寝かせてみる
まずは二つ返事で承諾しないこと、そして鵜呑みにしないことです。
そのためには、まずは寝かせてみること。要するに一度情報を持ち帰り、精査することですね。
その場では正しいと思ったことも、時間の経過とともに矛盾点やおかしな点が見えてきます。
矛盾点とかおかしなところとかそういうのにすぐ気付ける人ならばいいのですが、残念ながら人間そう簡単にはできていません。
だからこそ、「自分は問題なく情報処理できる」と思わず持ち帰ること。これだけでも騙され率はぐんと下がります。
常に裏を見ようとする
誰だってそうですが、人には自分の都合があります。で、その都合に合わせて言動や信念を変えているわけです。
「裏を見る」ので特に大事にしていただきたいのが、この「都合」。
「この人は一体何のメリットがあってこんなことを言ったのだろうか?」とか。
「あの人は味方でいてくれるけど、どういう意図があるのだろうか?」とか。
こうやってその人の言動の裏を考えることによって、自然と怪しいものや不自然なもの、こちらにとって都合が悪いものは淘汰できるはずです。
当然、むやみやたらとこじつけて裏を疑うのはそれで危険ですが、適度にやるぶんにはむしろ我が身を守ることに繋がるはずです。
自分の考えと切り離す
そして3つ目が、「自分の考えと切り離す」です。
平たく言えば、「この人はこういう考えなんだな」と、一歩引いたところからその人の思考や思想に触れることですね。
客観的に人の言ってることややってることを見ることで、人の裏を見ることがより容易になります。
また、不用意に疑いすぎることを避けることにもつながります。
要は「敵になる人も味方になる人も見落とすな」ってことですね
特にこの考え方が活きるのが、友人間や同僚間で対立があった時。
どちらか一方の派閥から何か吹き込まれても、先述の「寝かせる」「裏を考える」と合わせて客観的な視点を持つことで、安易なカタンを避けて公平かつ客観的に状況を見ることができます。
また、メディアや自分の周辺で自分がマイノリティであることが明らかにされた時も同様ですね。
「世間ではそういう考えが主流なのか」とか「自分の周囲ではそういうものなのか」と達観した見方を持つことによって、安易に多数派に流されなくなるはずです。
信用しなさすぎも危険
最後に注意点を上げておきますが……人を信用しすぎるのも危険ですが、全く信用しないのもそれはそれで危険なことです。
安易に人を信用しすぎることで騙されたり振り回されることが増えて苦労しますが、信じなさすぎてもそれはそれで周囲からの敵視に苦労します。
要するに、程よい感じで、ですね。
個人的なおすすめは、基本的に裏を見たり客観視をして様子を見つつ、その上で信用できる人間を発掘していくやり方ですね。
これならば裏切られることにビクビクすることは少ないですし、かといって味方がいないわけではありません。
もっとも、人には程よい距離感や程よい人間関係というものがあります。数人の友人では満足できない方の場合、私のやり方では決していい結果は得られないでしょう。
そこは個人のやり方に合わせて、程よいところを見つけていきましょう。
いずれにせよ言えることは、周囲の人を見境なく信じるのも全員が敵だと思うのもわりと破滅的な考え方だということです。
程よくが一番
何事もそうですが、要するにそういうことですね。
信じすぎもよくないですが、疑いすぎもまたよくない。どちらも長短あることなので、結局は自分がどっち側の人かを理解しておくのも大事なこと……なのかも?
需要あるかはわかりませんが……実は私は心理学関係の記事も手掛けています。
自己理解の一助になるかもしれませんので、もし興味がおありでしたら見てみてください。
といったところで、今回はここまで。またいろいろ好き勝手書いていきますので、興味がおありのお題がありましたらよろしくお願いいたします!
コメント