【16タイプ・ユング心理学】心理機能Si(内向的感覚)についてガチってみる

16タイプ
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今回はかなり自分の考えがかなり入ってくる考察回です。

MBTIとユング心理学、その両方で扱われているSi(内向的感覚)。要するにISTJやISFJの主機能ですね。これがどんなものなのかを私なりに本気で考えて答えを出していこうと思います。

というわけで、ぶっちゃけ小難しい話や偏った話もバンバンする可能性が結構濃厚です。

最近MBTIを知ったというライトユーザーの方には濃厚すぎるかもしれませんが……頑張って噛み砕いていきたいと思います。

ともかく、前置きはこれくらいにしてやっていきましょう。

Si(内向的感覚)とは

まずはSi、内向的感覚とは何なのか。その辺からまとめてみましょう。

大体、以下のような感じですね。

MBTI
・実際に起こったこととどう思った・感じたを記憶に留める
・着実で事実や詳細に目をむけ、事実のみを追求する
・誠意があり、責務を全うし、組織に帰属しようとする

ユング心理学
・外的刺激ではなく、それをどう感じたかに従う
・意外な審美眼
・見る景色は写真でなく風景画

おおよそ、特徴としては結構食い違うところがありますね。

ですが両方ともに言える部分があって、それが「感覚機能を内界で使っている」、つまるところ起こったことや見たことをそのまんまでなく自分の中で感じ取ることを重視しているという点でしょう。

感覚機能だから物事をストレートに愚直に受け取るのかというと、意外とそうでもないんですよね。

一方で内界で処理している分、自分の中でこうと決めたことには結構うるさいタイプでもあります。

要するに結構なこだわりタイプ。決してめんどくさい人というわけではないのですが(むしろ人には好意的で合わせる方)、自分の中で正しいと思ったルールやこうと決めたことは意固地になってでも守り通す、そんな人たちのような気がします。

MBTIにおけるSi(内向感覚)

感覚エネルギー、要するに五感や見たまんまの情報を内界で処理する人たち。

その時々で思い浮かんだ感想、思い、体感したこと、見たものなどを詳細に感じ取り、そしてよく記憶している人たちでもあります。

特に物事の詳細を捉える力はピカイチで、徹底的に今この瞬間に意識を向ける人たちでもあります。

あかつき
あかつき

たまにいますよね、ニュースとか興味事を仔細までしっかり覚えてて、それを周囲に伝えたりしてる人。例えばあの書物にはこう書いてあったとか、あのブログにはこう書いていたとか……。

ああいう人は、Siが発達している可能性大です

公式本には、まるで知識と経験の倉庫のような書き方がなされていますね。これこそまさに、外界で起こった事をそのまま(Sensation)内界に貯め込んでおく(Introvert)の真骨頂と呼べるかもしれません。

また、非常に注意深く慎重なタイプでもあり、特に秩序立ったやり方を好み、お手本通りの完璧な方法で事実のみを詳細・仔細まで把握したり、無駄な解釈を挟まない純粋な知識を収集したりするのです。

不確定かつ無意味な憶測や無駄なアレンジを嫌い、確実な方法やしっかりと実証されたものを好むタイプ。そのため、すでに定められたルールや伝統、既存の体系に対して信頼を寄せやすい傾向にあります。

一方、確立されてない斬新なやり方や実証されていない仮説にはかなり懐疑的な人たち。というか、そういうことをやる人・言う人を信頼することはほぼほぼありません。むしろ嫌う人の方が多いでしょう。

良くも悪くも保守派といったところでしょうか。責務と帰属意識の人。集団で決めたことや上の人が言ったことは真剣に守ろうとするし、それが筋だと考える人も少なくありません。

以下に簡易的にまとめておりますので、そちらも参考にしていただけますと幸いです。

ユング心理学における内向的感覚

記憶力に関してはMBTIと同じ(と言うかMBTIが同じ)。ですが、ちょっと異なる解釈をなされている部分もあります。

それが、「事実や物事を内界で処理する」という一点の別解釈。一言でそれを表現するならば、「見たものや感じたことを自己流解釈で記憶に留めておく」ということ。

多くの書籍では、これは「写真というより風景画」と記されていますね。要するに、見たまんまを映し出すのではなく、見たものを自分なりにスケッチしているということです。

そのため、覚えているものや記憶しているものは、基本的に自分の脳を通して見たもの。五感で感じたものや見たものをそのまま覚えておく外向的感覚との違いはそこですね。

あかつき
あかつき

訳わかんない言い回しかもしれませんが、「客体から主体に向かう」という書き方をしている書籍も多いですね。ユングもそう言ってた。

要するに得た情報(客体)を主観的に見る(主体)ということです

面白いことに、ユングは「このタイプは芸術の才能がある」みたいな事を言っていますし、書籍の多くでもそのような感じのことが書かれています。

これ、どういうことかというと、このタイプには「見たまんまではなく自分が感じたこと・心の変化・感想をよく覚えておく」ということです。この辺、MBTIにも採用されている解釈と言えるでしょう。

そのために、ある種独特の審美眼を持っており、それが芸術に役に立つと。この辺独自解釈になってしまいますが、そういうことなのかなと。

さて、事実にまた話を戻しますが……このタイプは悲しいことに、見た感じ茫洋としているために「愚か者」と見做されることもあり、ユング心理学入門では「内向的直観と並んで生きづらいタイプ」と断言されています。

一見すると、まるで反応がない木偶の坊。ですが内面ではしっかりと得られた情報を吟味している。ある種、昼行灯タイプのひとつと言えるかもしれませんね。

ある意味、そんなタイプと言えるでしょう。一部の書籍では長所ばっか並べられてるけど。

個人的に思うSi(内向的感覚)

さて、一部憶測が出ましたが、ここまでは基本的に教科書通りのSi(内向的感覚)をなぞりました。

というわけで、ここからが本番。私が思うSi、内向的感覚とは何なのか。これをまとめていきたいと思います。

何と言っても記憶の貯蔵庫

なんと言っても、仔細な記憶の貯蔵に関しては凄まじい能力を発揮しますね。「この書物の◯○ページにこんな記述があった」と。こんな発言をするのは、大抵Si持ちです。

あかつき
あかつき

まあSe持ちもするんですけどね。ただ、やはり一番しそうなのはSi持ちです。なんというか、セーブデータの数がおかしいししかも整理されててすぐ取り出せるんですよね

見ているものは写真でなく風景画といえども、そこから得られる仔細な情報は写真と相違ありません。

例えばこの人はどんな色のどんな感じの服を着ていてどんなアクセサリーをつけているかを把握するのは序の口、他にも歩く様子や所作のひとつひとつまではっきりと覚えていてもおかしくありません。

こういう仔細な情報を集め、内界で処理し、自分がどう思ったかという感想思いまで付け加えることで、内向的感覚の中でひとつのセーブデータが完成します。

で、それの何が一番すごいかというと、興味がそこそこ異常ある人のことはだいたい全部を覚えているんですよね。どこの誰がどんなことをどんな感じにしたとか、どんな性格でどんな好物があるのかとか。

その記憶力から、マメな性格が形成されることも多々あります。

客体でなく主体

感覚機能を外界でなく内界に向けて使う。ユング心理学での解説で触れましたが、この人たちがやってることは、事実そのままではなくそこから自分の主観(感想や解釈など)を付け加えて記憶することです。

内界での処理という一工程が加わることにより、このタイプは実にいろんな感想を思い浮かべたり、いろんな解釈を思い浮かべることがあります。この辺、裏にあるNe(外向的直観)も関係しているのかもしれません。

例えば「この絵を見て私はこのように心を奪われた」とか、「こいつのこういう言い分に私はどのように腹を立てた」とか、だいたいこんな感じですね。

そして先ほどお話しした記憶のセーブデータも、こういう気持ちや主観的な解釈・見方を加えて初めて完成するのです。

あかつき
あかつき

この辺、「写真でなく風景画」の正体ですねー。

見ているものの主は事実そのものではなく、事実そのものに対する自分のスタンスや考えというね

でも事実に則ったものに限る

このタイプは感想や解釈を好みますが、それらは全て事実に則り、しっかりとした論拠を打ち立てた上での地に足ついたものに限ります。

要するに、不確定要素を含むような憶測や個人的解釈なんかはお呼びではないわけですね。あくまで事実やしっかりした根拠から逸脱しない、100パーセント裏付けされたものにすぎません。

この辺、良い意味でも悪い意味でも保守派と言われる要因ですね。

事実をしっかりと吟味し、その上で「自分はこう思った」「自分はこう考えた」「自分はこう感じた」といった主観的要素を取り込んで記憶に入れる。そう考えると、Se同様やっていることはシンプルです。

もっとも、その憶測を嫌う性質があればこそ、非常に妥当性の高い情報を詳細まで記録することができるのもまた事実。

このタイプの真の長所は、決して憶測や推察、洞察にはないのです。

憶測や推察は基本アテにしない

基本的に洞察だの推察だの、いかがわしいものはアテにしない主義です。仮に洞察が好きだとしても、それは事実にしっかり根差した上での個人的見解や、外向的直観の爆発やら暴発に近い何かでしょう。

要するに、無根拠、大嫌い

何を言うにも確かな根拠や実証された方法に照らし合わせたものでなければアテにしませんし、ちょっと冒険的な意見や憶測混じりの推察、そしてNi的なよくわからない出所からきた洞察はむしろ嫌いです。

例えばこういう類型界隈で独自理論を並べる人がいれば、内向的感覚たちはこう思うでしょう。「で、それはどの書籍のどこに書いていたものなんだ?」

時には憶測や推察を語ることはありますが、それも事実だけを淡々と述べた一手先にあるものだけ。二手先三手先まで飛躍した内容には、むしろ眉をひそめるのではないでしょうか?

自分で納得したルールには厳しい

ルール、そしてみんなで決めたこと。もしこれらがISxJの腑に落ちるものだった場合、彼らはなんとしても守るし守らせるでしょう。

いや、もしかすると多少納得しないルールでも「みんなが決めたなら……」と渋々従うところもあるかもしれませんね。

彼らの中にあるのは帰属意識。そして帰属せざるを得ない(そうしなければ生きていけない)状況に対するフラストレーションでしょう。

「みんなが決めたことは守るべき。もし納得できないなら相応の手順を踏んで否定するべき。相応の手順が何なのかまでは知らないけど」

とまあ、こんな感じのことを言ってた内向的感覚さんを見たことがありますね。

自分が納得したことや従っているものを崩されると、自分が否定された気になるところもあるのでしょう。

ですがそれ以上に「ルールはルール」「みんなで決めたことはみんなが守るべきこと」という思いが強く、また同時に、自分はそれらに対する不満を押し殺しているのにそれらを否定するかの如く反抗する人への嫉妬や敵愾心も混ざっているのかなと。憶測ですが。

素材の扱いはピカイチ

これは補助機能が発達している場合限定、そして何より完全な憶測になりますが、素材そのものの味を生かして調理するのは大得意なのではないかなと。料理だけでなく、情報や内面の感情も含めてです。

情報や自分の中から湧き出る感情を巧みに調理し、素材そのものの味(例えば事実そのものや手本としたもの、自分自身の感想など)をうまく使い、それらを自分のものにしていく、と。

この過程で彼らはぼーっと止まっているように見えるでしょう。ですがそれは、レシピを考え、調理している最中の癖のようなもの。

そこから出来上がったものは、事実や実体験などを踏襲しつつもその一段階先を行った、極めて完成度の高いものに落ち着くでしょう。

あかつき
あかつき

なぜ料理に例えたのかは意味不明ですが……情報や実体験、知識、手本を完全と言ってもいいくらい踏襲し守りながらも、その中で自分なりのアレンジを施すのは上手いかもしれませんね

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凝り性

多分、このタイプは凝り性な面があります。と言うのも、完璧主義的な一面があるからです。

自分の内面に浮かぶものや自分の感想の追求を、完璧に近い形でしなければ気が済まない人たちです。そのため、物事を推し進めるのに結構な時間がかかります。

この辺、拙速をよしとするSeとの対比みたいで面白いですね。

内界で情報を処理するという工程を挟む以上、どうしても外向型と比べて反応が遅く、そしてちょっとこだわり屋な一面が出てきます。

そこに加え、ユング心理学では「物事を自分色に描き上げる」という特性が追加されます。

要するに、自分が赤だと感じれば海が赤く見えることもありますし、自分の気持ちが黒色なら空が黒くなることもあります。

どこまで行っても、「事実や目の前の事象を自分の中で捉えて自分色に描き上げる」にすぎないわけですね。

そのため、時々ちょっと不思議な作品を作ったり、独特な解釈をすることがあります。

それらは事実や実際の自身の心の中に忠実ですが、そこに自己流も結構張り込んでくるのです。

変なところで意固地

変なところというか、自分がこうだと思ったところでは非常に意固地ですね。先述しましたが、ルールやみんなで決めたことに厳しい人たち。そういうところで意固地さを発揮します。

早い話が堅物ですね。例えば「合理的なルールなんだからみんな従うべきだ(従わない奴はどんな事情があっても愚物)」とか「みんなで決めたルールにケチをつけるとは何事だ」とか色々思ってしまうわけです。

その裏では複雑な感情が渦巻いているところもありそうですが、それよりも何より、「自分が納得したものだから」というのが意固地になっても決まり事や約束事を守ろう/守らせようとするところに繋がるのではないでしょうか。

内界で事実や自分が納得した事象を扱う・実用性のあることを処理するということは、既存のルールや決まり事に対して自分なりにコメントや注釈をつけるフェイズがあるのでしょう。

で、自分なりの審査をパスして残ったルールを、基本的に絶対視してしまうと。そういう人たちです。

実用性のないことや真実味のない話、憶測を述べる人を信用しないみたいなことが書かれていますが、そういった保守的な行動の出所はおそらくこの自分が認めたルールへの信頼からくる一種の頭の固さなのでしょう。

あかつき
あかつき

堅物率や保守率の異常な高さはこういうマイルールというか、自分なりにルールや事実を吟味した結果なのでしょう。

要は無からは何も生み出さない。ただ淡々とあるものだけを使い続ける人たちです

無から何かを生み出す側の人ではない

結論を言えば、「生み出されたものを事実や確実性に則って吟味・審議する側の人であり、彼らが何かを生み出すことは原則ない」、と。あるとしても、それは自分の内面から湧き出た何かを形にしたものでしょう。

ユング心理学入門では、「自分の世界がまるで不可思議で想像性に満ちたものに見えるが、極まればそれが単に実像を写したものに過ぎないことを知る」みたいなことが書いてあります。

極論、これがSiというものの端的な答えなのでしょう。

結局のところ、何かを生み出すというよりは審議する側。間違っても、無から有を生み出す創造性に富んだタイプではありません。

これがSiの特徴であり、捉えようによっては弱点になります。

というのも、無から生み出されるものですら、有の存在(実際に起こっている出来事や定められたルール、歴史伝統、事実)を用いての価値判別しかできないからです。

極端な話、確実性のために可能性を潰します。当人たちにとって、可能性とは事実を覆い隠すノイズでしかないのです。

ここがSiのアキレス腱ですね。結局新しい船よりも使い古された泥舟をよしとし、そのまま古い体制と共に沈んでいく人も少なくありません。

ルールを守る所以

ちょっとお話ししたことの焼き回しのような気がしますが……とりあえず、内向的感覚がなぜルールや責務といったものにこだわるのか。これを考えていきましょう。

やはりこの人たち、なんと言っても「感覚(事実や事象)を内界で取り扱う」というのが大きい気がします。

極端な話、内界で自分なりにルールや事象、事実をジャッジしているのではないかなと。

このジャッジする機能が補助機能であり、補助機能が未熟であればマニュアルや書籍に書かれていたことばかりを頼るのかなと思います。

この辺、自分の頭の中の想像力だけを頼りにする純Niとの対比になっていますね。

自分なりに感じたことや思ったことを注釈として取りまとめていく。とすれば、その中に自分なりに下した判決などが含まれていても不思議ではありません。

そして、その判決が覆ることは非常に面白くない。なぜなら、自分なりに頭を絞って考えた結論であるから。

「自分が考え抜いて出した結論を否定されるのは不愉快」。この気持ちはどのタイプでも持ち得る感想です。そして、人間ならば避けて通れない気持ちでもあります。

あかつき
あかつき

要するに柔軟な思考回路を持ったSi使いならば、面白くなくても判決を覆すことをするわけですね。面白くないのは変わりませんが

これが自分が認めた人や組織への帰属意識のもととなったり、自分が出した答えへの妙な意固地さだったりするわけで……そう考えると、変なところで意固地になるのも、ちょっと堅物な人が多いのも、至って常識的なのも説明がつきませんか?

推察・憶測を嫌う理由

ユング心理学で書かれているアレですね。洞察とも観察ともとれない、自分の中で注釈を加えていくアレについてです。

これ、もう言葉で説明するのも難しいような不可思議な機能なんですよね。事実のみを見ながらも、その事実を内界で調理して自分の意見なども付け加え、ひとつの見解にしていく。ちょっと不思議な人たちです。

教科書だけを見ている視野狭窄人間かと言われると、ちょっと違う(そういう人もいるけれど)。かといって物事を邪推して唐突にNiごっこを始める人でもない(不健全な人は結構やるけど)。

事実のみならず自己流解釈や自分なりの感想を加える余力を持ちながらも、洞察や予測、憶測にはちょっと不寛容。

ここまで書いて、ちょっとTe(外向的思考)の記事を思い出しました。

何を思い出したのかというと、「余白の多さを自覚しているからこその例外規定の否定」です。

要するに「自己流の感想や解釈」という余白を持たせているからこそ、それ以上の余白を許せない。そのために憶測や推察といったものをノイズとして嫌う。

もっと言えば、主張はこうです。
「自分たちは充分に推察、予測ができている(感想や自分なりの調理をしている)のだから、それ以上の推察や予測は妄想ばかりの愚かな人たちが発するノイズでしかない」。

これがSiの憶測嫌いの出所であり、その理由なのではないでしょうか。

判断機能と結びついたSi(内向的感覚)

続けて、Siが補助である判断機能(Te、Fe)と結びついた場合どうなるのかを考えていきましょう。

Te(外向的思考)と結びついたSi

俗に言うISTJですね。

感覚(事実事象や実体験)に対する内向(感想、注釈、自分の中での考え)にTeを用いる。そう考えると、なんとなく人物像が見えてきます。

彼らは感想や自分なりの思いを言うのですが、それ以上に自己流注釈や自分なりの意見というものに主眼を置きやすいでしょう。

要するに、事実を自分の目で見て、その上で自分の頭で考えて答えを出す。この一連の流れを綺麗にやってのけるわけですね。

事実のみに目を向ける。今この瞬間を見据える。そしてそこに自分なりの注釈を加えたり、事実を元にして自分なりのルールを組み上げたりするわけですね。

あかつき
あかつき

なんだろう、歴史の教科書とか作るの上手そう

非常にルールに厳格で守らない人に厳しい態度で接し、そしてもっとも例外を許さないタイプのひとつとも言えるでしょう。

あるいは、裏にある第三機能Fiとも深い結びつきを持つ人もいそうですね。これは特に審美眼と深く関わってきそうです。

ISTJの画家とか芸術評論家といえばなんとも想像つかないですが、意外といるかもしれません。

自分なりの美学に忠実で、ひたすら目の前の事象がその美学に当てはまるかどうかをジャッジしようとする人。これもまた、ISTJのひとつの姿なのかも?

いずれにせよ、厳格で自分なりのルールや美学を強く持ち、そして頭が堅い部分を併せ持つ、そんな人たちなのでしょう。

Fe(外向的感情)と結びついたSi

俗に言うISFJですね。

Fe(共感や周囲に合わせる擬態)が補助として加わることにより、非常に仲間意識が強く組織に忠実な「駒」としての役割を担うのにうってつけな人物像を有することになるでしょう。

なんというか、プレゼント選びとか上手そうですね。相手にとって負荷になりすぎず、かといって安物すぎない絶妙なラインを突いてきそうです。

このタイプの強みといえば、そんな過不足ない人への優しさでしょうか。

Feが持つ擬態・共感特性によって、共感力はある方。ですが重くなりすぎず、相手との距離感がバグるようなことも原則ない。

仕事の上では秩序と事実を大事にし、自ら率先して人がやりたがらない仕事をするタイプと言えます。

日本人タイプと言われますが、実際日本人が手本として挙げる典型的なタイプがこれと言ってもいいかもしれません。

仕事においては優秀な駒・一兵卒として職場を裏から盛り立てる一方、家に帰れば良き女房役として過程を盛り立てます。

何をするにも、裏からの盛り立て役、縁の下の力持ちみたいな役割をする人が多いわけですね。

常に相手や勤め先の半歩後ろを歩き、金銭感覚も抜群で無駄遣いせず、その上甘やかしすぎない程度にしっかり優しい。そんな感じの人たちです。

劣等機能Neとの関わり方

原則、「何の価値もない憶測」というのがNeに対するISxJの評価でしょう。

彼らにとって重要なのは事実であり、その事実を通して自分がどう感じたかであり、事実に紐づいたある程度の考察でしかありません。

Neの無根拠とも言える場所から湧き出る憶測や推察、アイデアは、むしろ一般的なSi使いからすれば自分が感じ取った何かを形にする上でのノイズでしかありません。

このノイズのせいでうまく自分の気持ちや感想を形にできないと感じているため、成熟するまではむしろ邪魔なものとして放置、あるいは嫌悪してしまう傾向が強いでしょう。

ですが、彼らのNeは抑圧されただけであり、実際のところはしっかり存在しています。

で、抑圧が過ぎるとどうなるのかというと、最終的に押さえつけた反動で暴発、よくない方向で影響が出始めます。

基本的に、彼らの暴発は邪推というより外界で起きた事件が暴発のトリガーになることがあるでしょう。

例えば友人だと思っていた誰某に裏切られたというものから、今話題になっているニュースなどなど、とにかく自身に端を発する思い込みというよりは、周囲に触発されて色々と奇妙な思い込みが始まるのです。

例えば先述の友人の裏切りでは、「どうせみんな裏切っている」と決めつけ周囲との交友を一切絶つ、あるいは先手を打って”仕返し”するとか。
あるいは身の回りで起きたちょっと悲しいニュースを見て、「次は自分の番だ」と恐怖に打ち震えるとか。

いずれにせよ予言や予見の内容は悪意やネガティブな思念にまみれており、しかも多くの場合は被害妄想の類と言えます。

あかつき
あかつき

結局劣等機能なんて、かなり成熟しないとまともに使えないんですよ。

特にこのタイプは自分なりの脚色とかが入ることも少なくないから余計にね……

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Si(内向的感覚)をより効率的に使うための方法

それでは最後に、いつもの「それができたら苦労しねぇよ」という内容のアドバイスをお送りしたいと思います。

大体、言えるのは以下の通りですね。

・自己表現の場を持つ
・ゆっくりやってもいい仕事をする
・憶測や妄想は批判でなくスルー
・内通者や敵がいるように感じたら一旦休む
・自分が捉えているものは事実の一端にすぎないことを知る

自己表現の場を持つ

想像力に乏しいように見えて意外とあるのがこのタイプ。事実や目の前の事象を使った情報の調理ならば非常に得意で、ぼーっとしている裏で色々と考えていることが多いです。

ですが意外と木偶の坊とか鈍いと思われて、思うように才能を発揮できないケースも結構あり、数が多い割に苦労するします。

そのため、まず何より必要なのは自己表現の場。どんな形でも構わないので、自分の思いや所感を述べられる場所を探し、見つけてください。

自己表現ができる場所さえ見つければ、意外とこのタイプは創造性を発揮します。あるいは自己表現によって気持ちが軽くなるところもあるでしょう。

自身の才能開花のためか心を軽くするためか、そのどちらでも構いませんが……とりあえず自分の気持ちをぶつけられる場があっても困らないはずです。

あかつき
あかつき

意外と感じたことや思ったことが奇ば……独特で味わい深いこともあるかもしれませんしね。そういうの、大事です

ゆっくりやってもいい仕事をする

ここはIxxJ全体に言えることですが……「さっさと動け」と言われると結構ストレスが溜まるんですよね。絵に描いたような熟考型です。

そのため、自分のペースでゆっくりできる仕事を進めるのが吉。そうでなければ、仮にやれても疲れてしまいます。

特に完璧主義的なところがあるため、「60〜80点くらいの出来で満足しろ」と言われてもなかなかできないんですよね。一応渋々満足しますが、所詮は渋々です。

そのため、拙速<巧遅に重きを置いたほうがいいのかなと。

そのためストレスフリーで働くためには、とりあえずひとつの案件に時間をかけるものがいいのかなと。まあ内向的直観の人たちほどひどくはありませんが、このタイプもスピード勝負は苦手ですよということでひとつ。

憶測や妄想は批判でなくスルー

この人たちは事実や目の前の事象を通じて感じたこと以上の憶測を無駄と断言しやすいタイプ。これは先述した通りです。

この姿勢が時として余計なノイズを排除して高度なシステムを作り上げるのに一役買うこともありますが、時として新しいものを何でも否定しあらゆる可能性を狭めるガチ保守思考になってしまうこともあります。

なんというか、憶測や妄想に対して批判的なんですよね。なかなか中立的な視点を持てません。

余計な可能性は確かに完全な無駄でしかないようにも見えますが、その無駄が時として重要な突破口になることもあります。

まあだからと言って認めるのは難しいと思うので……ここはスルーを決め込みましょう。要するに下手に手を触れない。ノータッチです。

そうすれば可能性を殺すことなく、自身も嫌なものにわざわざ触れることなく、実にウィンウィンと言えるでしょう。

ご自身の仕事に集中できる環境を整えることも大事ですね。他者と協力する際に妄想を話す人がいても、その人ときちんと組まなければならないので。

この際の頭から「妄想」と全否定せず、一端耳を傾けてもいい……のかな?

内通者や敵がいるように感じたら一旦休む

断言します。十中八九被害妄想の類、要するに思い込みです。

やはり疲れてきたりすると、ついつい邪推というものが顔を出しやすくなります。「あの人は敵だ」「あいつはきっと裏切り者だ」と。そんなことをぼんやりと考えるようになった時は、一旦全ての手を止めてのんびり過ごすようにしましょう。

内向的感覚にとって、基本的に全ては事実に見えるもの。要するに、ついつい思い込みの類も事実に見えてしまうんですよね。普段は事実を捉えてる分、その辺の強固さは折り紙付きです。

ですが、それらがただの邪推だった時、さすがに目も当てられません。

邪推が邪推を呼んで全てを破綻させてしまわないように、こういう思考に頭が染まりそうになったら一度手を止めて、ゆっくりとくつろぎながら暴発してしまったSiとNeの中和に努めてください。

何も考えずぼーっとしているうちに、ふと現実に引き戻され、心がリセットされるかもしれませんよ。

そうなれば自然と、またいつもの事実を見る目が戻ってくるはずです。

自分が捉えているものは事実の一端にすぎないことを知る

やはり欠点もNiと被るところがあるんですよね。

このタイプの欠点は、自分が見た事実を「それ以外の解釈は存在しない」と思ってしまいやすいところにあるのではないでしょうか。

要はNiが自分の妄想を事実と誤認するように、Siは自分が見た事実以外の真実を認めにくいと。

例えば誰かが万引きしたとして、その万引きした人を憎むあまり、万引き犯の苦しい生活事情や地獄のような苦しみを無視しやすい、あるいはそれらを過小評価して語りやすいと。こういうところがどうしてもあります。

それも全て、「こいつが万引きした」という事実のみを見据えるために起きたことと言っても良いでしょう。

世の中にはいろんな事実や真実があり、それは見る角度や位置によって見方も感じ方も変わってきます。

どうか自身の見た物だけを正しいと思わず、他の事実や真相にも耳を傾けてみてください。

これができるようになれば、あらゆるものを受容する大きな器が手に入るかもしれません。

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まとめ

というわけで、今回はSi(内向的感覚)についてまとめてみました。

こうやってみると「自分が見た事実以外を信じない視野狭窄」とか「想像力のかけらもない愚か者」という見方が、ちょっと変わってくるのではないでしょうか。

事実や目の前の出来事、自分の五感を通じて得た情報を自分の中で取りまとめてから形にするため、外向的感覚と比べてどうしても遅くなりがちな一方、内向的感覚は彼らよりもより色合いに満ちた世界を作り出します。

この味のある世界が時として良い方向(芸術やルール構築)に向かう一方で、どうしても視野は少しばかり狭くなりがちなところがありますね。

とはいえ、結構万能な心理機能なのは否定できません。教科書作りや事実に則った行動、そして歯車適性といった分野はもちろん、芸術までこなせるのは正直なところ驚きでした。

といったところで、今回はここまでです。

他にも色々ごちゃごちゃと書き連ねておりますので、もしお時間ありましたら興味がおありのお題からもう1記事見てやっていただけますと幸いです。

筆者:春眠ねむむ
X :@nemukedesiniso
threads:@shunmin.nemui

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