今回はユング心理学より、外向的思考について軽くまとめてみようと思います。
ガチ記事と異なり、こちらは比較的さっくりを目標にやっていければと考えています。
私なりのガチ考察が見たいという方は以下のページをご覧ください。
外向的思考型のあり方
外向的思考のあり方としては、「客観的なデータ」「客体」。この2つに従って自らを方向付ける……とユングは記していますね。
基本的に自分の感情や意思(内向的感情)よりも客観的に見た事実や正しいことに従って自分の行動方針を決める、そんな感じの人たちです。
ユング曰く、「知的公式」「自分の公式に従うのと同じように、彼らの周囲の人間もそうすれば幸せになれるとされる」。
彼らにとって、知的公式は絶対神のようなもの。それに従えば幸せになり、逆らえば世界の法則に反した悪であるといった感じの思想の持ち主というわけですね。
ではこの知的公式が何かというと、自分が考えうる限り客観的な事実、そしてそれらを客観的に整理・整備した概念のことを指します。
要するに外部から得た情報を客観的かつ論理的に整理し、それをまた外部に当てはめる。これが外向的思考が外向的思考たる所以です。

私情を挟まず物事を取り決めているつもりでいる人たちというわけですね。まあ彼らも人間なので、私情からは逃れられませんが……
基本的にこの知的公式は外界で振るわれます。要するに秩序やルールとして機能するわけですね。
うまく機能すれば、周囲を巧みに統率する傑物の出来上がりです。これが、某サイトでExTJが監督だの指揮官だのと書かれている所以……なのかも?
知的公式に例外なし
そんなわけで彼らが掲げる知的公式ですが、それらには基本例外というものが存在しません。要するに、絶対神ですね。逆らうことは原則タブーです。
というのも、この知的公式には彼らが私情を抜いて考えに考え抜いた汗と努力の結晶という事実と、そこにかけたプライドがあります。無自覚ですが。
「この意見は絶対的に正しい」という自信……というより確信があり、生半可なことではその意見を変えようとはしません。

自分の知的公式が正しいと確信してますし、正しさを証明するためなら異次元からでも理屈や理論を持ち出してきます。最悪ゴリ押しですね。全部無自覚に。
ディベートとか強そうですね!
効率や正義、道徳、義務、責任……あらゆるものがこの知的公式に則って推し進められるべきだと考えているところがあり、例えばエニアグラムのタイプ1以外でもExTJであればほぼ間違いなくこういった側面を見せます。タイプ1だともっと狭くて厳格です。
「知的公式に従わない者は間違っていて世界法則に反しており、それゆえ非論理的、非道徳的で非良心的である」と。ユングは彼らの言葉をこのように代弁していますね。
そこには(少なくとも当人の意識の上では)えこひいきや隣人愛、特別待遇などはなく、「こうすべき」「こうしなければ」というルールを基準に全てをはかりにかけています。
当然、このルールに例外はありません。病気の人や障害者、困窮者も含めてまとめてこのはかりにかけます。そしてそこからはみ出した者を悪と断定するのです。
この知的公式が遊びを持たせたものならいいのですが、硬直してとことん厳格なものになれば落伍者をいたずらに増やす圧政者となってしまいます。
知的公式に必要なもの
さて、ではこの知的公式に一体何が必要なのかというと、「十分な余白」。これに尽きます。
余白のない(つまり例外を許さない)知的公式を作ってしまうと、それだけ多くの落伍者を生んでしまい、多くの人が苦しむ状況を作り出してしまいます。
「それの何が悪い」「正しくない方が悪い」と開き直ってしまうこともできますが、それでは多くの敵を作るばかり。いいことは何もありません。
このタイプの知的公式の範囲が狭まれば狭まるほど、厳格化すればするほど、どんどん脱落者が多くなっていきます。

「彼らの勢力圏の奥深くへ入り込めば入り込むほど暴君的になる」とはユングの言。要は暴君の資質を持っているということです
元々個人の持つ事情や特性への関心が薄く、個々への配慮が苦手なのが外向的思考の弱点と言えます。
また、知的公式を重んじるばかりに自分にも厳しくそれを適用してしまい、自然にストレスを溜め込んだり無茶をしやすいのもまたこのタイプの弱点と言えます。
自分にも他人にもほんのわずかでも優しくなれれば、外向的思考は一皮剥けると言っても過言ではないはず。
厳しさばかりが、人生をよくする要素ではないのです。
劣等機能:内向的感情
さて、このタイプにとって劣等機能となるのは内向的感情です。
先述の通り、このタイプは自ら望んでえこひいきすることはありません。平等に知的公式というふるいにかけています。
反面、情熱も何もない、友情にも疎い、プライベートも何もないと、個人的なところに関してはからっきしです。
例えば世界的に有名な会社の創業者が、家庭のことを大して気にかけていなかった……みたいな。こういう話は割と鉄板として世の中で語られていませんか?
そういう人たちを地で行くのがこのタイプ。管理能力が非常に高く私情抜きで効率的な仕組みや立派な秩序を整えることができるのですが、一方のプライベートではかなり不器用と言えます。
ですがその一方で無意識のうちに感情が発露しており、反対意見を個人攻撃と捉えてしまったり、あるいは自分の理屈の間違いを認めないために相手の論拠を先んじて潰しにかかることに躍起になったりなど……。
なんだかんだ、彼らも血が通った人間ということですね。
感情の抑圧の末
さて、発露しているとはいっても、彼らにとって基本的に感情とは敵であるといっても過言ではありません。当然、無理矢理にでも押さえつけて「なかったこと」にしようとします。
それがより強くなると内向的感情が逆流し、頭の硬い独裁者になってしまったり、主観と正しさが入り混じってよくわからないものになり果ててしまうこともあるでしょう。
あるいは個人攻撃のために正しさという言葉の暴力が用いられたり、事あるごとに真理だとか「これが正解」という理屈を持ち出してきたりとか、相手の言うことを最初から否定してかかったりだとか……。
最終的には異次元から生み出された論拠を「非の打ち所のない完璧な論拠」として持ち出したり、自分に反対する相手はあらゆる手を用いてまで追い詰めたりと、割とやりたい放題の様相を呈してくるでしょう。

ちなみに、ユングはこの暴発した内向的感情を「批評家に傷つけられた感じやすい小娘」と喩えています。今これを言う人がいたら大問題ですね!
次第に周囲からもわかりやすく「ヤバい人」認定を食らうことが多い人物になってしまい、感情はノンストップで「客観的事実」の皮をかぶって暴走を始めていくわけです。
最終的には急に泣き出したり怒鳴り散らしたりする、非常に繊細でバイオレンスな性格に豹変。元来の武器である「私情を排した合理的・客観的な知的公式」を失っていくことでしょう。
所感・個人的に思う外向的思考型
ユングは外向的思考をこのようにも評しています。
「その思考は肯定的、すなわち創造的である」。
要するに、基本的に物事を捉えるときは「こんないいところがある」「こんな利点がある」といったポジティブ寄りな感じ。そのため、物事の新しい側面や新事実を発見することも可能ですし、あるいは物事を総合的・総括的に見ることも得意なのだとか。
早い話が、判断力に優れた人たちということですね。
難しい局面でも希望を失わず、可能な限り良い選択肢を、Bad or Worstの最悪な状況下でもよりダメージの少ない選択肢を選ぶことができる、極めて有能な上官と言えるでしょう。
人を統率する上で必要なものは、大まかなルール・決まり事です。それを一定を超えて厳格化すればするほど悪い方向に働きますが、遊びを持たせて物事を考えることができれば非常に素晴らしい引き締め役になれる素質があります。
あと内向的感情の発露の仕方として、家庭やプライベートでは非常に甘々な人になる人も結構な数いる気がしますね。
あの気難しくて非常に怖い上司が実は子煩悩で愛妻家だったとか、仕事ではいつも正論で追い詰めてくる同僚と飲みにいったら普通に気さくでいい奴だったとか……そういう例は枚挙に暇がありません。
基本的に、彼らに悪気があることはほぼほぼないでしょう。多くは組織のため、世のためを思ってのことばかり。責務を背負った状態では、個々の事情まで考慮に入れるとキリがないと判断される。それだけのことでしょう。
繰り返しになりますが、このタイプは遊びや例外を持たせると非常に有能な上司になります。それこそ、ひとつの時代を切り拓く改革者たりえてもおかしいとは言えないくらいの人たちです。
ぜひともその厳しさそのままに、たまには優しさなんかを見せながら、例外を認めつつも人生を歩んでいただきたいものですね。
まとめ
というわけで、今回はユング心理学より外向的思考をまとめてみました。
決して悪い人ではありません。単に自分ルールにうるさいだけです。彼らを見るときはそこを留意しながら、煙たがらずにうまく付き合っていきたいところですね。
今後も適度に各心理機能の解説をしていきたいところ。よろしければお付き合いいただけますと幸いです。
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