【16タイプ・ユング心理学】心理機能Fi(内向的感情)についてガチってみる

16タイプ
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今回はかなり自分の考えがかなり入ってくる考察回です。

MBTIとユング心理学、その両方で扱われているFi(内向的感情)。要するにISFPやINFPの主機能ですね。これがどんなものなのかを私なりに本気で考えて答えを出していこうと思います。

というわけで、ぶっちゃけ小難しい話や偏った話もバンバンする可能性が結構濃厚です。

最近MBTIを知ったというライトユーザーの方には濃厚すぎるかもしれませんが……頑張って噛み砕いていきたいと思います。

ともかく、前置きはこれくらいにしてやっていきましょう。

Fi(内向的感情)とは

まずFi(内向的感情)とは何なのか。これを考えていきましょう。とりあえずMBTIのFiとユング心理学の内向的感情の簡単な特徴をザックリと見てみましょう。

MBTI
・ひとりひとりが認められることを追求する
・相手の立場に立ち、思いやりがあるような印象を与える
・大事でないことに関しては結構いい加減

ユング心理学
・自分の心と幸せなことに正直
・気に入った相手のためなら自己犠牲も厭わない優しさがある
・気に入らない相手には冷淡で無慈悲な一面がある

不特定多数が勘定に入っているのか自分と気に入った人だけで完結しているかの違いがありますが、おおよそ自他の幸せや価値観を重んじるところがある心理機能といった感じですね。

共通点を見出すとすれば、自分の幸せや信念を追求し続ける求道者的な性格ですね。

自分の価値観や思いを強く持っており、新しい価値観や道を、Ti(内向的思考)とは違った形で追求できる人といった感じでしょうか。

Fe(外向的感情)が流行を追求する人ならば、Fiは流行を作る人……という側面もあります。

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MBTIにおけるFi(内向感情)

おおよそ人は人、自分は自分といった感じの人たちですね。

ですが人のことがどうでもいいかと言えばそんなことはなく、そんなことはない。人のこともしっかり考え、「人と自分がしっかり住み分けして、各々の幸せを追求するにはどうすればいいか」を考えることができる心理機能といった感じでしょうか。

弱者には特に優しく慈悲深く、人を大事にできる人といった感じですね。慈悲の気持ちを持っており、立場的に弱い相手のことを足蹴にせず慮ることも多いです。

多様性を意識しており、不健全でもない限りは自分の価値観を人に押し付けず、相手の価値観もしっかりと受容します。

とはいえ、基本的に自己完結型の心理機能。自分の中で価値観や信念、思ったことなどをこね回して色々と内省する思索家なところがあります。

色々と考えた末に自分なりに至った境地が価値観や信念になるわけですね。

自分の価値観がしっかり実生活に反映されるように、可能な限り一貫性を持って生きようとする人たちでもあります。

特に自分自身の個人的な信念、価値観に忠実で、実際の生活やあり方に反映できなければちょっとストレスを抱えるような繊細さを持つ機能ですね。

以下にFiについて、簡単にまとめています。「ガチられても困る」という方は、そちらをご覧いただけますと幸いです。

ユング心理学における内向的感情

おおよそ、以下のような特徴が見られますね。

・傍目からは大人しく見える
・内面の感情は激しく、自分に正直
・自分の感情や価値観の軸はしっかりしている
・どうでもいい人、嫌いな人には非常に無慈悲

おおよそ、外から見ると非常に大人しく弱々しく見えることが多いようですね。

ですがその裏には繊細ながら激情とも言える感情を秘めており、自分の譲れない価値観や信念に関しては断じて譲らず、何としても貫き通そうとする面があります。

あかつき
あかつき

癇癪を起こすとかではないんですよね。ただただ激しい感情を静かに出していく感じというか。

というかこの人たち何考えてるかわかんない。だって理屈通じないんだもん

この人たちを突き動かすのは、決して理屈とか損得ではありません。激しく揺れ動く内なる感情です。

世情がどう言おうと好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきり感じることができるそれは、表現してもしなくても確かに当人たちの内から湧き出てきます。

基本的に大人しく自分の感情を表に出さない人たちですが、その内にあるものは紛うことなき自分の感情そのものです。

ユングは「静かな水は深い」と内向的感情について述べています。

このタイプの内側にある感情はそれだけ深いものなのです。

ですが一方で、その感情は冷酷かつ残忍にもなり得ます。

というのも、この内向的感情からすると、嫌いな相手はとにかく嫌い。死んでほしいほど嫌いな存在も決して少なくありません。

たとえその人がどんなに素晴らしい人物でもどれだけ能力が高い人でも、嫌いな人間がどうなろうと知ったことではないし、何なら自分から攻撃することもある。そういう激しさもまた秘めているのです。

個人的に思うFi(内向的感情)

さて、ここまではほぼほぼ教科書の要約です。幾分主観が混じったかもしれませんが、私なりに書籍から情報をただ引っ張ってきただけのものになります。

で、ここからが本題。結局Fiとは、内向的感情とは何なのか。そこのところを、私の主観や私見マシマシで思いつく限り語っていきたい所存です。

というわけで、以下色々と考えていきたいと思います。

Tiとは別方面での哲学

Fiもまた、Ti(内向的思考)とは別の方向性で哲学的です。特にINFPとかはその辺顕著ですね。

というのも、Fiの情動の中で感情的に物事を色々見ています。ある意味ではその世界は詩的とも言え、ある意味では世俗的とも言えますね。

というのもこのタイプ、感情(自分の主観)を自分の内側でしっかり持っています。ある意味では、軸がブレない人といった感じでしょうか。

このブレない軸が生み出されるまでの間に、色々な葛藤や思索があるのです。

そしてその思索や葛藤の中で、様々な哲学的疑問が生まれます。

例えば「私はなぜあの人を愛するのだろうか」とか、「どうして私はあんな趣味を持っているのだろうか」とか、極めて主観的かつ情緒的なところから、哲学は生じていきます。

そしてISFPはその生じた哲学を額面通り器用に使いこなして一種の気ままさを手に入れ、INFPはさらに深掘りしてより深く深淵を捉えたようなものに変えていきます。

ある意味ではTiと同類であり、ある意味では別物ですね。深い哲学を持っている点はどちらも変わりませんが、その哲学が生じた場所と向かう先が大きく異なります。

あかつき
あかつき

え、なんでFiと私を一緒にしてるんですか?やめてくださいよ気持ち悪い

……もっとも、お互いがお互いのシャドウ、かつ第八機能のデーモン(破壊的関係、要するにほぼコインの裏表)に属します。そう簡単にわかり合うことはできないわけですが……。

極めて主観的な機能

また、Fiは極めて主観的な機能でもあります。ある意味極まれば何でも主観で決める、そんな感じの機能ですね。

要するに自分の気持ちに正直なのです。

これがいい方向に働けば、確固たる信念につながります。この場合、いかなる外敵にも屈しない強さと同時に、それを人に押し付けない謙虚さを併せ持った好人物になることでしょう。

一方、悪い方向に働けばただの頑迷になってしまうかもしれません。要するに、自分の好みやこだわりの押し付けですね。「コーヒーを飲む奴は紅茶派として成敗してやる!」みたいな感じです。

あかつき
あかつき

要するにお気持ち押し付けマンです。

で、こういう人に限って自称HSPですぐ「傷ついたどうしてくれる」ってやるお気持ちヤクザ……

もっとも、内向的感情の多くは、その感情を表に出すことは少ないです。第一印象は極めて大人しい感じですね。

喋ってみると結構うるさくなくて、どちらかというとちょっとツンとしてクール系。不健全になればこの限りではありませんが、Fi使いは通常そこまで自分の好き嫌いを口外しないのです。

初手は割と警戒している

内向的感情は割と猫みたいなところがありますね。どういうことかというと、初手では結構警戒して大人しくしています。

早い話が、自分の心と豊かな精神世界を荒らされないための防衛ラインですね。

内面に非常に豊かな世界を持っているIxFPですが、それらをおいそれと他人に見せることはほぼありません。初手は基本的に警戒して他人の家の猫のように振る舞います。

当然、その精神世界に無理やり触れようとすると高確率で「シャーッ!!」となります。残りの確率では笑顔で心を閉します。

あかつき
あかつき

本気で自分の内面を荒らされたくないんですね……

ここだけはわかる気がします

内向的思考が知能を認めた人にしか自分の考えをわかってほしくないのと同じように、内向的感情は自分の精神世界を信頼した人にしか見せたくないのです。

その豊かさに触れるには、相応の人間関係を構築する必要があるということですね。

自分の価値観に理解を示してくれると確信した時、内向的感情は心を開きます。

そうでなければちょっとそっけない態度で接することが多いですね。

自分に忠実

MBTI、そしてそれの元となったユング心理学、そのどちらにおいても、自分自身の心には非常に忠実な一面を持っています。

感覚としては。ISFPが現在やりたいことや気持ちに忠実なのに対し、INFPは自分の考えや趣向に対して忠実な印象がありますね。

どちらにしても、自分自身が「これ」と思ったことには非常に忠実かつ真っ直ぐで、他人の干渉を物ともせずやってのけたり主張したりします。

あかつき
あかつき

たまに性格が強烈なIxFPいますよね。

あれってそういうことだったのか……

どういうことかというと、自分の気持ちや考えを遮るものを決して許さず、徹底的に敵視するIxFPも中にはいるということです。

それだけ本気ということですね。本当、一度こうだと思ったことにはとことん真摯な人たちです。

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でも他のことはぶっちゃけどうでもいい

自分の信念や気持ち、こだわりに関しては非常に芯が強い面を見せる内向的感情。では自分のこだわりとは無関係の他のことはどうかというと、ぶっちゃけどうでもいいって人が多数派なのではないでしょうか?

無関係のこと興味がない事柄には首を突っ込まない主義。基本的にどうでもいいことはやらないし干渉しない、極めてフラット、もっと言えば冷淡な姿勢で臨みます。

一応人の個性は(不健全でなければ)認めるし寛容ではありますが、それは言い方を変えればそれだけ「どうでもいい」というのが本音でしょう。

どうでもいいから認める。どうでもいいから許す。どうでもいいから広い心で受け入れる。ある意味、一貫しています。

MBTIにおいては「興味を持った事柄以外で一貫性を持つことは難しい」とありましたが、まさにそれは徹底した関心事以外への興味のなさの現れと言ってもいいでしょう。

あかつき
あかつき

自由参加の学校行事とか会社の飲み会とか結構断る主義ですね。

……私もだけど

興味ない事柄が自分のやりたいことを邪魔したり関係したりしてこない限り敵視もしなければ別段好意的に見ようともしない。そんな感じのところが内向的感情にはあります。

狭く深い慈愛の持ち主

内向的感情は非常に愛情深い心理機能でありそういった人たちです。時には自己犠牲すら厭わず、時として私心なく単純な善意から偉業を成し遂げることもあります。

では、その愛情深さはどこに向けるのかというと、自分が興味を持った人たち。

要するに好きな人や興味がある人、なんとなく面白いと感じている人、ちょっと好意的に見ている人、同情している人たちなどに限定して、非常に深い慈愛を発揮します。

その愛情の深さは「自分のことはどうなっても構わない」というレベルであり、権威者の存在、難易度、命の危険、権限など、あらゆる要素を無視してでも助けようとします。

基本的に荒事が好きなタイプではありませんが、気に入った人や弱者を助ける場合には非常に勇敢な姿を見せることでしょう。

感情型、それも自分の感情を自覚しているタイプだけあって、内に秘めた想いは非常に熱く慈愛に満ちています。

その心に触れるにはまず気に入られるか同情の的になる必要がありますが……一度気に入られるとかなり深い愛情や理解を示してくれるタイプと言えるでしょう。

敵には残忍かつ残酷な一面も

味方や仲間、気に入った相手には非常に優しく献身的な内向的感情。

では敵や気に入らない相手に対してはどうかというと、非常に恐ろしい一面を見せることがあります。

というのも、このFiはもともと自分の正直な気持ちと深くリンクした機能。気に入った相手はとことんきにいる反面、嫌いな相手をはっきり「嫌い」と自覚できてしまうのです。

よって、敵対者や気に入らない相手には非常に残酷なところがあります。要するに死のうがどうなろうがお構いなし。場合によってはこれといった大義名分もなく危害を加えようとする可能性もあるでしょう。

あかつき
あかつき

基本的には嫌いな相手は徹底無視ですがね。クズが徹底的にクズいのは全タイプ共通です

嫌いな相手が不幸になれば心の中でちょっと喜び、幸せになれば心の中でがっかりする。これは誰しもが持ち合わせる性質ですが、内向的感情は殊更強くそういった思いを抱きます。

それこそ実際にリアクションを起こす人もいれば、どうしようもない人になると追い討ちをくらわせる可能性もあるかもしれません。

敵にかける情けはなし。IxFPにとって気に入らない人間は敵であり、断じて慈悲を向ける相手ではないのです。

どうでもいい人はとことんどうでもいい

Fiを極めすぎると、どうしてもぶつかってしまう問題があります。そのひとつが、「どうでもいい人はとことんどうでもいい」という現象です。

例えば内向的感情の親がいたとします。その人は我が子をとんでもなく可愛がり、非常に甘やかしていました。

ある日、そんなかわいい我が子がいじめをおこなっていることが発覚しました。

こんな状況になれば、まあ十中八九しらを切るでしょうね。いじめられている子供のことなんか死ぬほどどうでもいいのです。

最悪いじめられっ子が自殺したところで「で?」で終わらせます。

あるいは逆に我が子のことがどうでもよくて他の家庭の子を可愛がっている場合も問題が発生しますね。

一番ありえそうなのが、ネグレクトや虐待です。「あの子はあんなによくできてるのに、お前は……」と言った感じに、言葉で追い詰めるのは当たり前。最悪その可愛いその子が自分の子をいじめていても無視を貫くでしょう。

このように、「どうでもいい人は徹底的にどうでもいい」という一面をFiは持ちます。

論理とか理屈は苦手

ここはFe(外向的感情)と同じですね。理屈や論理といったものが苦手で、基本的には自分の快不快で物事を判断します。

もっとも、唐突に覚醒することもありますが……その場合も多くは感情面での判断の後付けでしょう。

というより「理屈とか理論は完全ではない(よって従う必要はない)」とか思ってそうですね。理論については一目置いている人もいますが、非常に軽視する人も多いです。

理屈や理論を無粋なものとして嫌う一面もあり、そんなものより自分の感情や気持ちに従う傾向が強いですね。

自分の気持ちや気分を常に判断軸に置いているところがあり、そのためには合理的判断も理屈による物事の解決も望まない。全ては心のままに。

ある意味では究極の合理性と言えますね。後悔しない道を自ら選んでいるわけですから。

ですが同時に、事の客観的善悪や競技での合理性、損得といった人間に必要なものの一端を見落としていることにもなります。

その部分が時として穴となり、内向的感情を誤った方向へと導くこともあるのです。

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好き嫌いのお気持ち機能?

さて、ここまで書いてみて、よく取り沙汰されている一つの疑問を思い出しました。それが、「Fiとはお気持ち機能でしかないのか」というもの。

正直な感想としては、半分Yesと言ったところでしょうか。

実際、Fiはお気持ち機能であることは否定できません。自分の気持ちやその場の気分で物事を決め、純粋かつ率直な好き嫌いで物事を判断しているところは実際あります。

ただ、これってある意味自然なことなんですよね。

例えばExTJも自分目線からの有能/無能で好き嫌いを判別していますし、IxTPだって自分目線での知性で好き嫌いを判別しているところがあります。

ExFJに至っては、周囲の好き嫌いを自分に反映させているところがあります。

外向的感情はともかく思考機能が主機能の人たちですらこの有り様なので、第二、第三に思考機能を持つ人たちも当然好き嫌いの基準は持っています。

内向的感情の人たちはその基準が、動物的直感(いわゆる生理的嫌悪など)や極めて個人的な理由に集約されているだけの話と言えます。

あかつき
あかつき

その振れ幅の大きさは否定できませんけどね。

「どうでもいい奴は別に死んでもいい」とか、本当興味ない人にはとことん冷淡なんですよね。しかもその嫌われる理由には理不尽なものも含まれるわけで

Fiの必要性

まあ心理機能はそれぞれ尖った長短を持つもの。当然優劣はありませんが……それでも疑問に思う人はいるでしょう。「これ、いる?」と。

正直な話をすれば、その疑問もごもっともと言えるでしょう。ですが、意外とそうとも言い切れないのが世の中の不思議なところです。

というのも、このタイプは世の中の大半がYesに傾きかけた状況でも、自分の主義に反するものに関してはNoと言える人たちです。

例えば偉い誰かが言い出した「カラスは白い」という発言に周囲が保身のため同調したとして、その場合でもFiだけは「なんで?」と疑問に思うことができますし、そこにこだわりがあれば実際に口に出すこともあります。

あかつき
あかつき

なんだろう。すごく処されそう

実際、こういう人たちは冤罪を着せられたり実際に処されたりして損な役回りを引き受けることが多い立ち位置にいます。

ただ、そういう人がいなければ世界は変わりません。そして、世界はその場に応じて形を変える必要がありますし、完全でない以上変わり続けるしかありません。

外向的思考が切り捨て、内向的思考が嘲り、それらに同調した外向的感情から追い討ちを受けた社会的弱者に手を差し伸べるのは、大抵同情心を刺激された内向的感情です。

そう考えると、内向的感情の長所は合理性や社会的な損得の外にあり、それでも大事な役割を果たすのに必要なものと言えるでしょう。

知覚機能と結びついた主機能Fi(内向的感情)

続けて、主機能であるFi(内向的感情)がどのように他機能と結びつくか見ていきましょう。この場合は、Se(外向的感覚)とNe(外向的直観)がそれに当たりますね。

Se(外向的感覚)と結びついたFi(ISFP)

自分の気持ちや気分に従う気まぐれな側面と、気に入った人や弱者に寄り添う慈悲深さと繊細さを併せ持った人と言ったところでしょうか。

INFPと比較して、Seが強いぶん即興的で即物的、かつより気持ちに忠実な一面が強いと言えるでしょう。

Seで得た額面通りの情報や語幹で感じ取ったことを、Fiによって感情的に処理している、そんな感じの人たちと言えます。

要するに、自分の好き嫌いや気分をものすごく大事にしている人という感じですね。

好感度というものを非常に重視するタイプであり、好感度に応じて見せる姿も変わってくるという面白い人たちでもあります。

今日やることは今日やるし、明日やるべきことは明日やる。明後日やるべきことは明後日までやらない。そんな感じの、かなりの自由人ですね。

肩の力を抜くべき場所や手を抜くべき場所を心得ており、適当にやってもいい場所はマジで適当にやる人たち。ですが真面目にやるべきところも心得ているので、ここぞというときだけは本気を出します。

やりたくないことは無理にはしない主義であり、無理やり圧力をかけられるとスイスイかわしてどこかに行ってしまうのがISFPあるあるのひとつですね。

ですが気分で動いているぶん、仲間への真摯な気持ちや弱者をいたわる同情心は本物。かけがえのない人は本気で守ろうとしますし、同情した相手には幸せになるまで付き添うこともあるかもしれません。

こういう「仲間を守る」とか「弱者に慈悲を与える」とかのため……かは知りませんが、基本的に重荷は背負わず、可動範囲は広く保とうとする一面があります。

Ne(外向的直観)と結びついたFi(INFP)

IISFPがその場の気持ちに忠実なタイプであるなら、こちらは信念や理念・観念に忠実なタイプと言えるかもしれません。

要するに、柔軟でしなやかなISFPと違い、こちらの内面は熱くて頑固。譲らないと決めたことは良くも悪くも決して譲らない、そんな芯の強さの持ち主ですね。

外柔内剛(外面は軟弱なのに中身は芯が強い)という言葉がありますが、まさにそんな感じの人たちです。

この芯の強さが、INFPの真骨頂。「人は人」と認めながらも自分の意見は簡単には曲げない人であり、不健全になれば自分の主義と違うものには徹底的に食ってかかる人になります。

その信念の出どころは、深い思考や思索。このタイプ、INTxに負けず劣らずの内省好きなのです。

Neで可能性を広げ、「ああでもないこうでもない」といろいろ考えまくり、考えた末に自分なりの答えにたどり着く。この最終的な答えがINFPの信念であり、譲らない頑固さの源です。

友達は少なめ、というか厳選する主義。ISFPと同じく、このタイプも人をよく見て選び、好きな人だけを手元に置いていきたいタイプと言えます。

また、このタイプは人一倍感受性が豊かな側面も持っています。

少々子供っぽさもありますが……いい話を聞けば涙を流し、不幸な生い立ちの人には心から同情し、嬉しいニュースを聞けばそれが他人事でも心から喜ぶ。そんな感じの人たちでもあります。

あかつき
あかつき

SJ連中からは「現実を見てないガキ」とか思われそうですけどねー

このタイプは実生活はしっかりしていません。なぜなら、頭の中では「自分はなぜ生まれたのか」とか「何を柱にして自分は生きるのか」とか哲学やってて忙しいからです。

要するに、現実的な話、大嫌い。

大人の頭脳に子供のような純粋な精神を持つ人。それがINFPなのかもしれません。

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劣等機能Te(外向的思考)との結びつき

簡単に言えば、憧れ半分、見下し半分といったところでしょうか。

Teのことを「頭いい」「スパッとして格好いい」という憧れの気持ちと同時に、「無粋」「自分の気持ちはないのか」と見下すような気持ちが入り混じった、複雑な目線を向けることが多いかもしれませんね。

自分の気持ちに従って生きるぶん、「心を鬼にして」とか「合理的に考えて」というものを苦手としています。

あかつき
あかつき

気に入った相手をとことん信奉したり徹底的に心酔して人生をダメにするのもこのタイプが多そうですね

まあ、さすがに外向的感情ほどではありません。あちらの方が客観視という意味では壊滅的です。

ただ、こちらは「客観視できない」というよりも「客観視を嫌がる」という傾向が近いかもしれません。

というか、やはり合理を「無粋」と感じているあたりがTeを使えない1番のキーと言えるかもしれませんね。

これがひどくなると、自分の頭で考えることを放棄し、信奉した1人あるいは少数の人の言うことだけを鵜呑みにする信者になっていきます。

外向的思考をほぼほぼ使わなくなり、自分で考えるというフィルターを通さずにその人の言うことを信じることになるわけですね。

外向的思考をひたすら抑圧し続けると、今度は「他人は自分のことをどう見ているんだろう」という意識が強く芽生え始めます。

その最たる例が、「あいつは陰口を叩いているのかもしれない」「今の人は私を見て笑ったのかもしれない」という思い込みです。

そうやって疑心暗鬼を膨らませた結果周囲を信じられなくなり、周囲に疑念をぶつけ続けるし、自身もひたすら神経をすり減らしていく……そんなことも起こりえるかもしれません。

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Fi(内向的感情)をより効率的に使うには

最後に、Fiをよりうまく扱うにはどうすればいいかを考えていきたいと思います。

大体思いつくやり方は以下の通り。

・「効率的にとかつまらん」とか思わない
・嫌いな人=悪ではないと知る
・特定の人を信奉しすぎない
・時には真面目になってみる
・時には合理性も必要だと認める

例の如く、「それができたら苦労せんわ」と言いたくなるようなラインナップですね。

まあ、その辺を気にしては助言など始まりません(そもそも求められてるかも謎だけど)。とりあえず始めていきましょう。

「効率的にとかつまらん」とか思わない

ここで言いたいのはひとつです。「まあ、一旦話を聞いてください」。

効率的という話を聞いて薄寒い思いをした人、いると思います。ですが、効率よく自分の気持ちを表現できれば人生もよりイージーモードに、より楽しく送れるはずです。

IxFPの人生をハードモードにしている理由の一つが、効率性の忌避にあると思います。

効率よくとか合理的にとか、そう言う文言を忌避し、あくまで自分の好き嫌いや観念にこだわること。それが時としてよく働くこともありますが、つまらないことにまでそれらを持ち出すと途端に人生の荒波は牙を剥いてきます。

とりあえず「合理性とか必要ない」と思わず、一旦話を聞いてみてください。で、願わくばいくらか効率化するように考えてみてください。

結果的に、それが思いを通すことにつながるはずです。

嫌いな人=悪ではないと知る

別に仲良くなる必要はありません。だって嫌いな人ってどんな理由があっても嫌いなんだもの。そこにロクな理由がなくても、それは仕方のないことです。

ですが、その人のことを「悪い奴だ」と決めてかかったり突っかかったりするのは、基本的に避けた方がいいかもしれません。というか、そうしないのが身のためです。

周りの人たちは基本的に流されるばかりでそこまで頭がよくありませんが、それでもあなたが突っかかるのを見て「正義はあなたにある」と考えるほど浅はかでもバカでもありません。そういう人もいますが、ごく一部でしょう。

要するに周囲に嫌な思いをさせ、それが後々になって災いになりかねないということですね。

その災いというのが何なのかはわかりません。例えば困った時に手を貸してくれないかもしれませんし、何か心を折られた時に死体蹴りをくらうかもしれません。あるいは悪評が広まって村八分に繋がることだってありえます。

悪と決めつけたくなる気持ちや突っかかりたくなる気持ちはわかりますが、一旦抑えて。後々自分が辿るであろう境遇を考えて、その思いは別の形で発散しましょう。

特定の人を信奉しすぎない

私は結構見てきましたが、特定の人を信奉した結果その人のことを歪んだ見方しかできなくなったり身を滅ぼすこと、結構あると思うのです。

確かに内向的感情が惚れる相手には、惚れるだけの理由があります。実際、素晴らしい人なのでしょう。

ですが、惚れすぎて信奉しすぎるのではそれまた危険な話です。

というのも、その理想化が解けたときの絶望や失望が大きいですし、一生解けないとしてもその人を色眼鏡にかけた状態で見続けるのは、それはそれでその人の重荷になります。

何より、その人を信奉するようになれば、それはもう宗教です。信心深すぎる人たちが狂信者と言われて忌避されているのを見れば、そのあり方がまずいのはわかるはず。

その人への誹謗中傷はもちろん、ちょっと欠点を指摘することすら許せない。ここまでくればもう重症です。

今すぐ引き返しましょう。真っ当で健全な関係を築いてください。

それができなければ、待っているのは破滅か狂信です。

時には真面目になってみる

なんだかほぼほぼINFPばかりを刺してきた気がするので、ここではISFPに集中攻撃することにします。

基本的に生き方が器用で比較的イージーモードなISFPですが、やはり信用できない人の前では真面目さを見せないため、なかなか一定以上の信頼を得られない点が欠点と言えるかもしれません。

まあ興味のない人から評価されても困るのはわからなくもないですが……時としてそういった興味ない人からの支援で物事がうまく回ることもあるのが人生です。

時には真面目な姿をあえて見せることで、興味ない人からの好感度も稼いでみましょう。

それによって本来こちらを攻撃してくるであろう人からの攻撃がなくなるかもしれませんし、無視するはずの人からの支援を引き出せるかもしれません。

こういうのも人生をうまく稼働させるには大事なポイントとなるはずです。

時には合理性も大事だと認める

これが一番難しい。というか気が進まない。何となくわかります。そうですよね。

ですが、これ無くしてFiをうまく扱うのは難しいと言えるでしょう。

というのも、Fiは裏ではTeと連動して働いています。そのため、どちらかに偏って均衡が崩れれば、一気に崩れて不健全化が始まります。

特に内向的感情が注意すべきなのが、外向的感情・Teの抑圧による欠如。考えることはもちろん、ど右すれば合理的か・効率的かという視点を避ける傾向があるようです。

時には無意識から意識に立ち返り、合理性や機能性を追求する。これによって合理と気持ちのバランスは整い、いい塩梅で動けるようになるかもしれません。

あかつき
あかつき

要するに「思考機能をあまり使えてないですよね」って話です

ついつい無粋なものとして避けがちですが、人生を少しでもイージーにするためには避けて通れない問題です。

仕事などで、まずはたまにでいいので、趣味や趣向より合理性を意識してみてください。そうすることで、もしかすると自分の趣味と合理性のバランスが取れた案が思い浮かぶかもしれません。

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まとめ

というわけで、今回はFi(内向的感情)について、MBTIとユング心理学を混ぜ合わせてぐちゃぐちゃと考えていってみました。

自分にとって快不快を追求するという点ではFeと同じですが、基本的に偽物(?)な気持ちであるあちらと違い、こちらは本物の自分の心といった感じですね。

ちょっと猫っぽいというか自由人なところはありますが、基本的に裏表がほぼないぶん(上手く付き合えるなら)付き合いやすい部類なのかなと。

Fi使いたちは基本的に好き嫌いと自分の心、そして信念や観念に忠実に動きます。そのため外柔内剛、外見からは想像がつかないくらい芯の通った人が多いです。

ですが一方で快不快・好き嫌いを重視しすぎ、それによって合理性や機能性を失う結果になることもしばしばあるようですね。

とはいえ、決して不要な機能というわけではありません。上手く使えれば、それは人を助けるための機能としてもきっと扱えるようになるはずです。

といったところで、今回はここまでです。

他にも色々ごちゃごちゃと書き連ねておりますので、もしお時間ありましたら興味がおありのお題からもう1記事見てやっていただけますと幸いです。

筆者:春眠ねむむ
X :@nemukedesiniso
threads:@shunmin.nemui

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