はい、タイトルで理解されたという方も多くいらっしゃるでしょう。愚痴記事です。
別に直近で言われたわけではありませんよ。子供のころはよく言われていましたが、今となっては別に気にする話でもないでしょう。むしろ自分の2つ名気分で、好き勝手利用させてもらってます。
さて、今回は「生きる価値が無い」と人に言われるというまあまあレアなケースをちょっと見かけてしまったので、それに対して個人的に思う事をば……。
ご自身で「生きる価値が無い」と思い悩まれてるなら、以下の記事のがお勧めです。今回のは見てもピンとこないかもしれませんし。
人は簡単に人の道を踏み外す
人はちょっと図に乗ったり追い詰められたりすると、いともたやすく外道になり果てます。
そりゃあ、人間誰しも自分がかわいいですから。かわいくてしょうがない自分に箔をつけるために他人を踏み台にもしたくなるし、どうしようもなく落ちぶれた時には一方的に人を引きずり落して「ざまあ見やがれ」とかやりたくなるわけですよ。
これは普段どれほど人間的に優れていても、自分の器の限界を超えてしまえば嫌でも出てくる特徴だと思いますよ。
で、「〇〇な奴は死んだほうがいい」「✕✕は生きる価値無し!」なんて言葉を吐くのは、思い上がりや必死の自慰行為の最上級。
そいつの性根が邪悪だからというより、邪悪に染まらざるを得なかった哀れな人というケースが大多数でしょう。
そう思うと、理不尽な仕打ちも仕方ないと思え……ないですね。ごめんなさい。
ともあれ、最初から悪として生を受けた人はごく一握り。ほとんどは悪に落ちぶれてしまった人たちということです。
「
善悪の基準を持つのはいいけれど……
まあなんだかんだ言って、善悪の基準を持つことは別に悪くはありません。何なら、私もそこに関しては「変に軸がブレなくてよろしい」とか思っちゃってるタイプの人間です。
ですがねぇ……他人の存在価値にまで口出しするのは、もう一周回って「さすが!」と惜しみない拍手でも送りたくなりますね。裏拍手ですが。
そもそもの話、善悪や正邪なんて聞こえのいい判断基準ですが、突き詰めれば所詮個人の主観と好みによって選定されたものにすぎません。
あくまで自分がそれに従って生きるためのものであって、他人に好き勝手振りかざすものではないんですよね。
人には人の生き方がありますし、その人の苦しみもあることでしょう。
自分と同じか違うかだけで他者の善悪や優劣を語る行いは、さすがに浅はかとしか言えません。
弱ると社会的善悪で人を裁く
さて、その中でも「生産性が無い」「社会的にも悪だから」という理由で他人を叩く奴がいますね。
叩かれる対象は、無職、フリーター、犯罪者、専業主婦(主夫)、コミュ障、無能……他にもいろいろありますが、まあ社会的に雑魚扱いされやすい面子が綺麗にそろってます。
こういう人たちを叩く輩は、その多くが正義感なんて持ち合わせていません。おおよそ大義名分を握って、嬉々として相手をボコボコにしてることでしょう。
何というか、連中は本当哀れなものです。そうでもして無理矢理叩く相手を見つけないと、自分のアイデンティティや自尊心を守れないわけでして。
まあ彼らの大半は何かしら克服すべき欠点があることは否めませんが……それはそれ。存在価値を神様気取りで決めつける理由にはなりません。
他人の生きる価値を勝手に決める奴の特徴
まあ、特徴というか心理とも言うべき話ですが……往々にして奴らは自分を客観視することも未来に視点を向けることもできません。おおよそ「今の状況が永久に続く」という思い込み、もとい願望を抱えて他人を否定します。
じゃあ、そんな人間はどうやったらできるのか……。それを、よくあるパターンから見てみましょう。
1.傲慢で頭が固い
まずよくあるのが、とにかく「自分の考えだけが正しい」と信じて疑わない老害タイプ。
まあ若くてもこういう奴はそこそこ居ますが……耄碌した人間に多い特徴なので便宜上こう呼んどきましょう。
成功して天狗になってんのか悪を裁くカタルシスに目覚めてんのかは知りませんが……彼らは「自分の善悪基準こそが絶対不滅だ」と信じて疑わない、大変頭の固いタイプです。
こいつらにかかればあら不思議。将来大物になるような逸材であっても、自分の考えた完璧な価値観とやらにそぐわなければゴミです。
特に成功して神に等しい自信を持っちゃったタイプは、事あるごとに権威と立場で威圧して論破を図るので、相手をするのも骨ですね。
どこかでコケて落ちぶれれば反省の機会はあるのでしょうが……ひとまず、今は離れるのが先決ですね。
お眼鏡に適わなかった時点で、当人からすればこっちは無条件で悪です。
2.追い詰められて誰かを見下すしかねえ奴
アパルトヘイト(黒人差別政策)が撤廃された時、もっとも反発したのはどんな人たちかご存知ですか?
正解は、白人の貧困層だそうな。
日本の部落差別制度が撤廃されるときも虐殺じみた問題が起きてますし、何ならつい近年までまだまだ引きずってる場所もありました。私の故郷でも、母の代では部落出身者は専用のクラスに組み入れられていたと聞いてます。
差別を撤廃するとき、一番嫌な顔をするのは庶民や貧民。その理由は、「卑しい自分でも見下す対象がいる」と考えることでなんだかホッとするから。
残念ながら、「自分を少しでも強く」とか思っちゃうのは人間に限らず動物の性です。人間のような群れで生きる生命体にとって手軽な方法が、たまたま「自分より弱い奴を作って叩く」って話なわけで。
話を戻しますが……弱い奴を見つけて社会的正義を振りかざし、「あいつは生きる価値が無い」と言い切る行いは、言ってしまえば差別の一種です。
追い詰められた結果社会に必死に救いを求め、迎合して得た善悪判断を元に悪を見つけて安心する。そして悪を倒すことで「自分は正しいんだ」と思い込み、自尊心を保とうとする。その結果の産物です。
3.嫉妬もあるよ!
ぶっちゃけ、2番の亜種ですね。ですがこの場合、追い詰められている要因はあなた自身。
当然、何も悪いことはないですよ。要するに、向こうはあなたの力を甘く見て、格上だと気付いた上で現実逃避のためにあなたの事を「生きる価値の無いクズだ!」と喚き散らしているわけですから。
やっぱり人間、下に見てた奴が上手くいくのを見ると面白くないと感じてしまいます。それがライバルとか気に入らない奴ならなおの事。
もう1度言いますよ。あなたは何も悪くないです。あちらが勝手に目の敵にして、勝手にあなたが出した結果にケチをつけてるだけですから。
存在価値を認めない奴に関わる価値なし!
存在を「無価値」と切り捨てられたあなたご自身に問題の一端があるかどうかはどうでもいいです。ついでに言えば、ほとんどの場面では問題はありません。
それ以前の話です。あなたの価値を一切認めない相手とつるんでも、ロクなことにならない。
可及的速やかに逃げましょう。離れましょう。で、ちゃんとあなたと向き合って価値を見出してくれる人の言葉を聞きましょう。
どれほどの正論、どれほどの権威ある言葉でも、あなた自身の存在を根から否定する言葉と向き合っては何にもなりません。
存在価値なんて人が決めるものではないし、決めようとする輩に対しては適当に「神様気取りですか?」とでも吐き捨てて立ち去る方がよっぽどいいです。
どうしようもない奴やどうにもならない環境と馬鹿正直に向き合っても、精神を摩耗して健全性を損なうだけ。
根性と忍耐だけではどうにかなるものでもありませんし、逃げた先の新天地で上手くやって見返すことを考えた方が正解ですよ。
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