「人生論が楽しみ」という声をマシュマロでいただいたので、今回はそちらに着手。ちょうど楽しそうに自称正論をぶちまけるロジハラマンを見かけたので、正論を振りかざすことの是非について私なりに色々と考えていきたいと思います。
正直なところ、正論自体に罪はないというのが個人的な思いではありますが、世の中にはロジハラという言葉も存在します。そこを考えると、正論の是非を問うのも無駄ではない……のか?
とにかく、やっていきたいと思いますので、お付き合いいただけると幸いです。
そもそもなぜ正論を言う人が多いのか
正論の善悪を問うためには、まず正論を言うこと自体の善悪を問うことが大事になるのではないでしょうか。
というわけで、まずは正論を振りかざす人の種類から。
ざっと思いつく限りでは、だいたいこんな感じでしょうか。
・相手が間違わないように言っている(善意)
・元来そういう性格だから
・悪意があるから
・自分が気持ちよくなりたいから
とりあえず、順を追って考えていきましょう。
相手が間違わないように言っている(善意)
「振りかざす」というのは語弊がありますね。要するに言われた側からみて「振り翳しているように見える」というのが正解です。
相手の間違いを指摘し、是正を求め、間違った道を進まないようにしている。要するにただの善意からくる正論です。
この場合、普通に相手のためを思って心を鬼にして言っているパターンですね。間違っても貶めて楽しもうとか、自分が気持ちよくなるために正論をぶつけているわけではありません。
ただ言っている内容が、相手が認めたくないものだった。そのために生じた「正論を振りかざす」という誤解です。
元来そういう性格だから
こちらも悪意はありませんね。単に正論を包み隠さずズケズケ言ってしまうタイプ。当然悪気はありません。
権威者が「カラスは白い」と言い始めると、みんな「そうですね、白いですよね!」と同調する中、ただ一人「いや黒やん」と言い出すタイプ。昔なら何も悪いことをしていないのに処刑されるような人ですね。
こちらはもう、正論を言って周りを諌めるのが生まれつき与えられた役目のような存在です。言っていること自体間違っているケースは稀なので、周囲からは余計タチが悪いように見えてしまいます。
ある意味では損しやすいタイプ。生まれながらの正論お化けです。笑って聞き流し、後々冷静な頭で彼らが放った言葉を思い出してあげましょう。
悪意があるから
正論は人を傷つける側面を持つ。ロジハラという言葉がある以上、それは紛れもない事実です。
要するに、正論の「周囲が言われたくない言葉」という側面の悪用ですね。
相手の心を痛めつける目的で、あえて散々に正論をぶつける。究極にタチが悪いのは、このパターンなのかもしれません。
過去相手に何をされたのかは知りませんが……総じて性格が悪い攻撃方法ですね。
自分が気持ちよくなりたいから
個人的には最もタチが悪い、そして正論を振りかざす輩の中では体感最も数が多いタイプですね。
あえて汚い言葉を使いますが……要するに他人を使った自慰行為ですね。文字通り自分が気持ちよくなりたいから、怒りだのあなたのためだのと見せかけの理由を並べて他人に正論をぶつけるわけです。
まーた嫌悪感丸出しの一文ですね。
まあ、彼らのせいで正論が嫌われる傾向にあるのは否めない
この場合も、悪意に満ち満ちてますね。攻撃目的か、そうでないかの違いしかありません。
正論の何が悪いのか
では、ここから本題。結局、正論の何が悪いのでしょうか?それを考えていきましょう。
正論を不快がるのが人間
ぐうの音も出ない正論は、どういうわけか誹謗中傷並みに嫌われます。
なんというか、ぐうの音も出ない=逃げ場がない状態なんですよね。人は自分の脱出経路がない状況を本能的に嫌うようにできているようです。
窮鼠猫を噛むとも言います。結局追い詰められると、その先で相手に向けるものは敵視です。
それが、正論が嫌われる理由なのかなと。
もっとも、悪意がない場合は言っていることは正しいケースが多いです。ですが、上記の通り、どうしても追い詰められると脳が「敵だ」と認識してしまうのが人という生き物のようでして……。
こういうのは言い方ひとつで受け取り方はいくらでも変わります。ちょっと言い方を変えてみることで、もしかしたら相手も聞き入れてくれるかも?
あるいは正論をぶつける相手のことがどうでもいいのなら、いくら正論をぶつけても構いません。
性格的には終わってますが、それでも生きるのも正論をぶつけるのも当人の自由。自殺教唆や殺人にならないことを願いながら、思う存分正論を振りかざしてください。
人は理性でなく感情で動く生き物です。私個人としては、もう少し理性的に……え、ここはそういう場じゃない?マジ?
バッサリ切り捨てたように見える
実際に切り捨てるかどうかはともかく、言われた側がどう捉えるかの話ですね。
正論でビシッと指摘した場合、先述の通り相手はあまりいい顔をしないのが普通です。残念ながら、正論を聞き入れるほど理論的な人や器の大きな人はそう多くありません。
で、何故嫌うのか。それを突き詰めると、「自分が冷たく切り捨てられたように感じる」というのも大いにあると思うのです。
結局、理論ばかりの無機質なものが多いのも正論の特徴です。だからこそ、言われた側は「ああ、この人はそういう人なんだ」とか「この人は私のことが嫌いなのか」と勘違いして心を閉ざしてしまうこともあります。
正論って、結構使い所を選ぶものなんですよね。
だから相手を傷つける目的や自慰目的でもない限り、迂闊に言えない。難しいところです。
正論”もどき”なら誰でも言える
正論もどき……もとい自称正論ですね。自分が正論だと思っている意見、あるいは狭い視野から放たれるある意味正論は、案外誰でも言えます。
例えば「死にたい」と言っている人に対して「迷惑かけるなよ」とか「みんな苦しいんだ」みたいなことを言うタイプですね。
どれも、確かにある意味では正論です。ですが、別側面では間違っているかもしれませんし、何より言う意味がありません。
一番誰の迷惑にもならない方法なんて、今すぐ自殺して一度だけ大きな迷惑をかける方法しかないんですよ。だって生きてるだけで迷惑かけるのが人ですし、すぐ死ぬならその場限りの迷惑ですむんですよ。
え、ニヒリズム?だからどうした
特に「迷惑かけるな」という言葉に対しては、私はあかつきちゃんと同じような反論をしますね。
ちなみにインドでは「迷惑なんてみんなかけるものだから、迷惑かけられても許す広い心を持ちなさい」と子供に言い聞かせるそうです。個人的にはこっちの方が正論ですね。
このように、正論なんて捉え方や捉える人次第でどうとでも変わります。そう考えると、ある意味では正論なんて誰にでも言えます。
そして個人的な解釈を付け加えるなら、その場に即した適切な言葉でない限り、それは正論もどきに過ぎません。
心根が透けて見えることもある
さっき言った正論もどきですね。これを言う人は、多くの場合悪意があるか気持ちよくなりたいだけです。
なんというか、あえて相手の心を無視しているというか、傷付けること自体を目的として正論ごっこをしているだけというか……。
とにかく、自分のことを正義だと思いたいとか単に相手をボコボコにしてストレス発散したいとか、そういう思惑を持って相手に正論らしき言語をぶつける人も少なくありません。
そしてそういう人、なんとなく心根が透けて見えてしまうんですよね。あえて相手の言葉を悪意的に捉えたり、「お前は馬鹿だ」というレッテル貼りに勤しんだりするわけで……。
個人的にはこういう人たちの言葉は正論ではないと思いますが……まあ、この項目でそれを言っても致し方なし。
とにかく、人は悪意に敏感な生き物です。どれくらいかというと、悪意がない正論にも悪意を見出す人がいるくらい敏感です。
とすれば、正論の裏に見える悪意も割と気付いてしまうんですよね。
これもまた、正論が嫌がられる理由なのかなと。
受け取る側の問題もある
エモーショナルハラスメントという言葉が存在します。要するにお気持ち表明や理屈が通らない言い分によって相手を追い詰めることですね。
世の中には自分のお気持ちばかりを表明し、正論や自分が気に食わない意見に対して食ってかかるタイプの人も存在します。
こういう人は根っからの世論嫌い。正論を言われれば、たとえどんなに配慮した言い方、どれだけ優しい言葉でも「ロジハラだ!」と騒ぎ立てて被害者面を始めます。
要するに、何を言っても無駄な人種。こういう人もいるので、世論を言って相手を傷つけても必要以上に気にすることはありません。
自分の言い方が悪かったのか受け取る相手の問題なのか、そこのところを冷静に判断しましょう。
もっとも、冷静に判断したところで「正論だから何を言ってもいい」とロジハラをやらかす人とかもいますが……それはまた別の話。
自称HSPとかに多い特徴ですね。「傷ついた。どうしてくれる」。いや知らんがな
正論を言う時の注意点
さて、それでは最後に、世論を言うときの注意点について話していきましょう。
楽しいから正論を言う方は、ここでブラウザバックしていただいて結構です。きっとお役に立てる情報はありませんので。
というわけで、早速考えていきましょう。
アイメッセージ
正論はどうしてもユーメッセージになりがちなのが危険なポイントです。
簡単に説明すると、これらの違いはこんな感じです。
ユーメッセージ:あなたはこうだ
アイメッセージ:私はこう思う
要するにIメッセージ、YOUメッセージというわけですね。
正論を言う時は「あなたのこういうところがダメ」「なぜこうしないの?」という否定であることが多いはず。
とすれば、問題となりやすいのは正論そのものよりも言い方ですね。要するに、言い方を変えればそれだけで相手が聞き入れてくれる可能性が上がるわけです。
そのための方法の一つが、アイメッセージですね。
「私はこう思う」「こうした方がいいんじゃないかな?」こうやってあくまで私見にすぎないことを表明した上で相手に選択権を委ねると、案外すんなり聞き入れてくれる可能性も上がるという寸法です。
結局、正論のダメなところは逃げ道がないこと。逃げ道があれば相手も安心して冷静に判断してくれるはずですよ。
枕詞には気をつける
「ちょっと違った見方をするけど」とか「私見だけど」と枕詞をつけることは、相手の気持ちを和らげて正論を受け入れやすくなるための土台作りとして優秀な手段と言えるでしょう。
ですが、この枕詞も間違うと逆に相手を頑なにしてしまう発言へとつながります。
例えば「この際言っとくけど」とか「あなたのためを思って言うけど」とか、あるいは「あなたがおかしいから正直に言うけど」みたいなのは結構ヤバいですね。わざわざこんな言葉を選ぶ人がいるのかはこの際置いておくとして。
こういうときに役に立つのが、先述のアイメッセージを意識した枕詞ですね。「私が勝手に思ってるだけだけど」とか、さっき出た「私見だけど」みたいなのだと、ちょうど逃げ道ができていいかもしれませんね。
逃げ道を用意する
これがまたコントロールが難しいですが……適度に逃げ道を用意してやることで、相手は自分の間違いに気づくくらいの冷静さを保つことができるかもしれません。
もっとも、逃げ道が多すぎるとそれはそれで相手がこれ幸いとばかりに逃げてしまうわけですが……。
難しいですが、「適度に」が大事。相手が余裕を持つ程度の最低限の逃げ道を常に用意しておいて、その上で正論をぶつければ、あるいは相手が聞き入れてくれる可能性も出るのではないでしょうか。
言い方や枕詞も大事ですが、こういう搦め手を用いることもまた相手にしっかり教え諭すのに重要な役割を担うわけです。
まとめ
結論を言えば、正論自体は悪ではありません。正論そのものを悪と断定するなら、その人には残念ながらエモハラの気質があります。
ですが、重要なのは言い方ですね。相手を貶めたり単に自分が楽しんだり気持ち良くなりたいだけならともかく、相手を間違った方向に進ませたくないなら、聞き入れやすい状況を作り出すのもまた重要なことと言えます。
せっかく正しいことを言っているなら、相手に受け入れてもらいたいものですね。そのための下準備はなかなか面倒なものですが、それでも聞き入れ体勢を作る上ではとにかく大切なことです。
上手いこと正論を言える状況を作り出し、その上で相手が受け入れやすい形で正論をぶつけていきたいものですね。
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