他力本願な人の心理7つと直し方

いろんな人たち
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どこの世界にもいますよね、他人に対して要求だけは一人前の「他力本願な人」。

今回はその人たちが何を考えているのかと、その性格の直し方を考えてみたいと思います。

他力本願な人の特徴

その心理を解明する前に、まずは他力本願な人たちの特徴をちょっと洗い出してみましょう。

人任せ

当然と言えば当然ですね。自分の力でどうにかしようとする他力本願はいません。

とにかく他力本願な人は、あらゆることを人任せにします。とにかく人にやらせとけばいい精神です。

要するに、自分でどうにかしようと言う気がないわけですね。「代わりにやっといて!」「お願い、手伝って!」と、人の力がなければ動けないのが特徴らしい特徴ですね。

何かあれば人のせい

自分が動かないのだから、当然何かあった時に自分で責任を負う気はありません。人に責任を押し付けたり、「お前のせいで」と他人を責める姿はよく見られます。

あかつき
あかつき

こういう人たちのせいで、自己責任なんて他人を追い詰めるだけのゴミみたいな言葉が流行ったんだろうなぁ……とか考えてます

とにかく自分で動かないぶん、「自分はやっていない」という理由で責任を取りません。それがたとえ自分の人生であってもです。自分が困ったら他人に賠償を求めます。

要はアレです。自分は悪くない精神。まあ、ある意味健全な精神で過ごすには必要ですけども……

考えてない

中には頭の回転が速い人もいます。ですが、総じて他力本願な人は考えるのが苦手な人が多い印象がありますね。

後々その理由は述べますが……とにかく自分がどうすべきかを考えることがない。どうすべきかという方策を一切持っていません。

まず考えることから他力本願が始まっているといってもいいでしょう。

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他力本願な人の心理

さて、それでは本題です。他力本願な人が何を考えているのか。あるいは裏でどんな思いをくすぶらせているのか。そこを考えていってみましょう。

自分に自信がない

まず安直に思いつくのは、自信がない人たちでしょうか。

自分が何かをうまくやれるとは思えない。自分の実力を過小評価している。まあ色々と理由はあります。ともあれ、他力本願な人には自信がない人が多いですね。

自信がないから思考停止している。

自信がないから人に丸投げ。

自信がないから自分の責任を回避しようとする。

自信がないから自分の影響力を過小評価し、何かあっても人のせいにできる。

自信がないことを自覚しないための最後の砦が、自分が何もしないこと。そして徹底した他責思考。

どうあれ、私の目算ですが他力本願の動機の8割は自信のなさに直結します。能天気に見えても傲慢に見えても、結局裏にあるのは自信のなさです。

これ以上自分で何かをしたくない

自分で動かない人は、無能感に打ちひしがれている場合も少なくありません。

この場合は自信がない人のように「動きたいけど動けない」のではなく、自分から「動かない」という決断をしていることになります。

現実逃避とかに近い考え方ですね。「これ以上傷つきたくない」「これ以上自分の無能加減を思い知らされるのは嫌だ」と、そんな切羽詰まった思いから自分から動くのをやめ、全てを委任している人も中にはいます。

こういう人たちは「動きたい」という思いと「動きたくない」という思いの間で板挟みになっていることが多く、結果として「人に代わりにやってもらおう」という他力本願な考え方に行き着くことが多いようですね。

失敗が死ぬほど怖い

上記2つとかぶる部分はありますが……とにかく失敗を恐れて動けないような人たちも、他力本願になっているケースが多々見られますね。

自力で何かを成し遂げようとすれば、まあだいたいは失敗します。ですがその失敗が怖すぎて、自分の力で動くことができない人もいるわけですね。

臆病なのかこれ以上傷つきたくないのか、あるいはその両方なのかは本人のみぞ知るといったところ。ですが一概に言えるのは、このタイプの人たちは自力でどうにかしようという気迫を持てないこと、そして他責思考になりがちということでしょうか。

いくら「やらないよりはやるほうがいい」とはいえ、やっぱり失敗は怖いものです。それはこのタイプの人たちが一番よく知っています。

だからこそ、誰かが失敗したときに声を大きくして非難するのもこの人たちです。自分の失敗を恐れる心を、まるで肯定するかのように……。

ともあれ、こういう人たちは失敗を恐れる心から「他人にやらせればいい」という考えに至り、自分で動くことを徹底的に避ける傾向があります。

恥をかきたくない

またしても「失敗したくない」と何が違うんだ案件ですが……恥をかくのが嫌であえて行動しない人たちも中にはいます。

誰だって恥を避けたいですが、こういう人たちの恥への恐怖心はもはや他者を圧倒します。それこそ、「恥をかけば死ぬしかない」と言わんばかりの人もいます。

あかつき
あかつき

回避性障害だっけ?時折パーソナリティ障害になる人がいるくらいには、みんな恥を避けたがっています

誰だって死ぬほどの痛みは避けて通ります。好んで痛みを受けることはありません。あるならとんだドMです。私は尊敬すら覚えますね。

ともあれ、この人たちにとって失敗する=恥をかくというのは、死ぬのと同じくらい凄まじい衝撃とダメージがあります。

だからこそ、どうしても恥をかく状況=自分が動いて失敗する状況を避けようとします。

他力本願を極めれば、自分が恥をかく=失敗してしまう可能性はゼロに等しい。その心理を言葉で表すなら、こんな感じでしょうか?

人のせいにしたい

いざという時、自分ではなく人のせいにしたい。そんな思いから他力本願を極めようとする人も中にはいるでしょう。

こういう人たちは、多くが先述の自信のない人たちです。ですがその自信のなさから来る他力本願が良からぬ方向に働いている人々でもあり、悲しいかな他人に被害を出してしまっている人でもあります。

「いざという時に自分で責任を取れない」→「人のせいにできれば人に責任を取らせることもできる」→「じゃあ他人にやらせたほうがお得じゃん」

と、こんな感じに思考を連想させ、自分で責任を取れない(取りたくない)という一種の絶望感への対症療法として他人を使うことにした感じですね。

こういう人たちはとにかく人を動かして、それでうまくことが運べばそれでよし。ダメなら動いた人のせいで人生が狂わされたと感情的になることもしばしばです。

めんどくさい

ここからはちょっと番外編。他力本願な人の中には、こんな切羽詰まっていないもっと単純な理由でそうなっている人もいます。

そのひとつが、純粋にめんどくさくて動きたくない人たち。

他力本願上等。他人が馬車馬になるなら俺は馬車の中で寝てるだけで目的地にたどり着けるぜヒャッハー!

とまあ、そんな感じの人たちですね。あらかじめ言っておきますが、こういう人たちは尻に火をつけて誰も頼れないように孤立させるくらいしないと無理ですね。死ぬくらいのことがないと、自分で動いてくれません。

努力とかゴミだと思ってる

ある意味やってることはめんどくさがりと一緒ですね。自分のことを「人を使う側だ」と思っており、努力とか実行とかそういうプレイヤースキルを一切磨こうとしない人たち。多分、自分のことを頭いいとか無条件で思っているタイプです。

こういう人たちは、まあ泥臭いことは自分でやりませんね。自分の仕事ではなく、下々の仕事だと思っている節もあります。

総じて口だけになりがちなので、なかなか自力では動かないタイプの1つ。もし直そうというのなら、荒療治が必要になるかもしれません。

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他力本願な性格を直す方法

ぶっちゃけ後者2つは「直したい」なんて思うことはそうそうないでしょう。仮に「面倒だから他力本願にしてしまう」という方が本気で直そうとうちに来たとしても、その面倒という気持ちは「自信がない」という本音をを隠すための仮面だと言ってもいい。

よって、ここでは自信のなさ、失敗への恐れという観点から、直し方を考えていきたいと思います。

決断力を身につける

まあ、できれば苦労しないんですけどね。ただまあ、理想論としてまずは「決断力をつける」という手段を上げておきます。

例えば決断力をつける方法としては、

  • 小さなことから決断してみる
  • 自分の成功体験を増やしてみる
  • 物事に優先順位をつけてみる

この辺りが有名どころでしょうか。

よろしければ決断力の鍛え方についても書いてますので、そちらをご参照ください。

ダメな自分を受け入れる

究極、ダメで他力本願で終わってる自分も受け入れてしまいましょうよと。そういうことです。

自分を「こういうものだから」と受け入れてしまえば、開き直りかポジティブへの変換か、一種の自信が生まれてきます。

その自信があるなら、おそらく自分の手で動くこともそう難しいことではないのかなと。

人間どうせみんなクズです。相応にダメなところも持っています。とすれば、自分がダメで悪い理由なんてなし。

ダメダメな自分でも、自分の手で物事を進めようとすればそれだけで大したものです。まずはそれを認め、「自分もあなたもみんなクズ」ということを理解して、その上で自分を受容してやりましょう。

そこまでできれば、ちょっと自信が出てくるはずですよ。

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「なるな」とはちょっと言えない

無論、ならないに越したことはありません。ですが、ときに自分にできないことを人に任せることは重要になってきます。

そう考えると、他力本願の全てを否定するのは、またちょっと違う気がする。


そもそも人が自分に無理なことをしようとするのは、自然の理に反しています。だって、野生動物が無茶とかやったら高確率で死ぬじゃないですか。人間もそれと同じで、やはりできないことをやりたくないと思ってしまうものです。

個人的には、適度に自力で、適度に他力本願。これくらいでいいのではと思っています。

私としては、みんなが自立し切って自給自足で生きるのもいいですが、手を取り合うのも同じくらいいいものだと思いますね。

あかつき
あかつき

現実的にできるかどうかは別ですけどね。

「我々人類は今、お互いを信頼してはいませんから……」というのを思い出しました

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