我々日本人は、自分に厳しくあることが良いことであり当然であるという風潮の中で生きてます。
それを是とするか否とするかは人それぞれですが……当然何事にも短所があるように、自分を律しすぎてもダメになる点は出てきてしまいます。
今回は、そういう「自分に厳しすぎた場合の危険」に関していろいろと考えてみましょう。
まず追い詰められている人に必要なのは相談先です。ひとまず相談相手を見つけて、自分の気持ちをぶちまけてしまうのが手っ取り早いですね。
というか、そういうつらい時に味方がいないのでは、基本的に立ち行かなくなってしまいます。
もし身近にそういう信用できる人がいないなら……ちょっとアレですがお金を出して雇ってしまうのも手。ビジネスである以上お互いその場の付き合いですし、気持ちをぶちまけても裏切りなどの心配はしなくて済みます。 以下、一例としてリンクを貼っておきます。
どうしてもという方は、後ろ向きでもいいので検討してみてもいいかもしれません。
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自分に厳しすぎるとどうなるか
「人生は修行なり!」とばかりに、「自分に厳しくすればするほど成長できて素晴らしい!」みたいな考えの人は世の中に跋扈してますよね。
でもこれ、行き過ぎると本当危険です。
人に優しくできない
まずよく見る結末から。自分に厳しすぎる人は、大抵他人にもかなり厳しくなりやすいです。
そりゃそうでしょ。一番かわいい自分をいじめといて何が「人に優しく」だよ。普通の神経持ってたらまず無理です
やはり自分に厳しいというのは、本当にストレスがかかります。
あれもダメ、これもダメ、自分の全てがダメで話にならない。
ストイックなのは結構ですが……基本的にはどこかで否定的な思考や原点方式のものの見方が癖になってしまいます。
少しは肩の力を抜きましょう。それが巡り巡って他人のためにもなります。
人に厳しすぎる人たちはこういう人たちもいますね。
卑屈で自信がなくなる
自分に厳しくなればなるほど、「できて当たり前」なことが増えていきます。
困ってる人を助けて当たり前、目標を高く掲げて当たり前、自分の欲望を捨てて当たり前、役目のために趣味を捨てて当たり前、自分の幸せなんて捨てて当たり前、仕事のために寝る時間を削って当たり前、むしろ寝なくて当たり前、24時間フルスロットルで当たり前、フルマラソンみたいな距離を全力疾走で最後まで走破して当たり前、世のため人のために自己犠牲かまして死んで当たり前……。
最初はまだいい。好きにすればいい。
ですがほぼ全て無茶もいいとこ、途中からはすでに狂気の沙汰ですね。自分に厳しくを極めると、最後に行きつくのは自己犠牲でしょう。
さて、こんな感じで無茶なことをやって当たり前になるわけで、何をやっても「褒めるに値しない」「この程度の事しかできない」という発想にしかならないわけです。
こんなので、どうやって自信つけて堂々と振舞えるのでしょうか?
いや無理だろ(笑)
差別欲求が生まれる
次はちょっと変則的ですが……自分に厳しすぎて卑屈になってくると、差別欲求が生まれます。
あくまで我々も人間。神様でも菩薩様でもありません。余裕が無かったり卑屈になってしまっているときほど、下を見て安心したくなる点を否定できないものです。
「自分は違う」と思っていても、知らぬ間に差別や軽蔑に魅入られてしまうんですよね。
例えば自分より仕事ができない人に対して「なぜこんな簡単な事も出来ないんだ!」と憤ってみたり、犯罪者や異常者を見て「こいつらは地獄に落ちるべきで、どれほど贖罪、更生しようが永久に許されるべきではない」と義憤に駆られてみたり……
受け入れがたいかもしれませんが、これも差別欲求を正当化するためのカモフラージュが大半です。「自分はこいつらとは天と地ほどの差があるんだ」という気持ち、普通に抱いてしまいませんか?そう考えてしまう時点で、それはすでに差別感情なのです。
とはいえ、気に病むことはありません。みんなそういう感情を持ってます。
課されたハードルが自分の限界を超えれば超えるほど、自信を失って卑屈になってしまえばしまうほど、「自分より下を見つけて安心したい」という欲求が高まります。
江戸時代の部落制度とか、まさにその感情が作り上げた制度ですね。残念ながら、人はまだ差別から脱却できていません。
強者のカモになる
これも変則であり、そもそも自信がなくなればなってしまう状態ですね。
「自分はダメな奴だ」と思えば思うほど、当然自信はなくなる。自信がなくなれば、自分の決定に対する自信もなくなります。
「こんな簡単なこともできない自分に、物事を決められない」
そんな絶望感を抱いた人がどうなるかというと、人生の舵取りすら、自信ありげで偉い人に任せてしまう。
ほら、最近の若者の意思決定って、妙に親の影響力が大きくないですか?
あの辺も甘えというよりは、「自分なんかでは何をしてもダメだ」という絶望感や自己否定感が暴走した結果だと私は思います。
「自分の人生の主役は自分だ!」などと言ったところで、どうしてもヤジや否定は飛んできます。
「お前なんかじゃ無理」「やろうと考えることが愚か」「バカなんだから黙って従え」
自信喪失したりナーバスになってると、こういう外野の横槍につい屈してしまいがち。
その元凶が「自分はこんなこともできない!」という無能感や自己否定だとすると、これほど面白くないこともありません。
では優しさはどうなのかというと……これも信じすぎると危険です。
大半の人の言う優しさは「目に見えるもの」
「人に優しく」についても、意識しといたほうがいい点があります。
それが、ほとんどの人が「優しい」と評価するのは、自分にとって都合がいいことだけだという点ですね。
面白い言葉がありますので、例としてちょっと引用。
授人以魚 不如授人以漁
意味は「人に魚を与えるのは、魚の釣り方を教えるのに敵わない」。要するに、「人に魚を与えるよりも、魚の釣り方を教えた方が結果的に良い」という感じですね。
実際、魚は食べるか腐るかすればもう食べれませんが、釣り方を知っとけば食料に困ることは少なくなります。
ですが人ってやつは、釣り方なんぞより魚そのものをもらうほうがありがたがるんですよね。
何なら、釣り方を教えた人間を「そんなことより魚をよこせ」と逆恨みすることすらあります。
現実世界でもホームレスに炊き出しは行っても、彼らの就職は誰も斡旋しませんよね。
結局本当の優しさは評価されず、長期的な解決にならない偽善が評価されることがほとんどです。
「人に優しく」を周囲の要求どおりに通り実践するとなると、残念ながら人のためにならないことも少なくありません。
恨みは恨みやすい奴に向かう
この際なので嫌ーな話をもうひとつさせていただきますが……人ってのはなかなか悪賢いもので、本当に恨むべき相手よりも恨んだところで怖くない相手を恨むことが多いのもまた事実です。
これは人に聞いた話ですが……パチンコで借金した無職の友人に働き口を斡旋したところ、逆にその友人の恨みを買って絶縁宣言を受けたという事例もありますね。
これはその友人が無職でパチンコ好きだからとか性格悪いとか、そういう話ではありません。誰でも陥りかねない話なのです。
そりゃそうです。助けてくれる相手というのは大概お人好しで味方。怖い相手でもなく、要するにナメられやすいわけです。
だったら、恨んでも仕方ない世の中や仕返しされるかもしれない相手より、ナメきってる相手を恨んで安全にストレスの捌け口を作りたいですからね。
ナメてる相手であれば、やれ「要求額が少ない」だのやれ「自己犠牲精神が無い」だの、理不尽なことでも好き勝手言えますからね。
人は悪を憎むのではなく、「悪を憎む」という口実を使い弱い者を貶めることもある。人に優しくする前に、一応知っておくべきことかもしれません。
それでも人助けは素晴らしい
まあ散々人の恩知らずっぷりについて言及しましたが、それでも人を助けたいという人。その精神性は素晴らしいものだと思いますよ。
実際、世の中はどうしようもない奴が跳梁跋扈するどうしようもない場所と言っても、あながち間違いではないでしょう。
それでも「人助けが好き」「可能な限り人に優しくしたい」なんて考えているあなたの姿勢や思いは、元来ならば大いに称賛されてしかるべきものです。
ただ老婆心から言わせていただくと、
- 自分が嫌な思いをしてまで優しくするべきではない
- 都合が悪くなると逆恨みを買う可能性は考慮しておく
- 言われたままの事をしても本質的な助けにならないかもしれない
という点には注意を払い、必要以上に人の問題に入り込まないようにしてほしいのです。
1番怖いのは、純粋な人助けの精神や善意の心が、しょーもない悪意で壊れてしまう事。
「人に優しく」を実践するときは、自分の価値を貶められるようなことが無いようにしたいものですね……。
「自分に厳しく人に優しく」は義務ではない!
「自分に厳しく人に優しく」という言葉をまるで当然の義務のように謳ってる人も少なくありませんが、実際にこれができてる人って何人いるんでしょうか?
明らかに、これを無理なくやれてる人は少ないですよね。
個人的には、「こんなものを当たり前にしてはならない」と強く感じてますし、そうあらねばという思いが人生を狂わせる大きな要因のひとつであるとも考えます。
ストイックに自分を磨いて高みを目指す。人のいかなる要求にも寛大に接し、人を助ける。
どちらも素晴らしいことですが、これが「当たり前」になってしまうのはやはりおかしい。こんな価値観、得をするのは賢しらに他人に説教する高潔気取りのヤバい奴くらいのものです。
少なくとも厳しさも優しさも行き過ぎず、自律も寛容もゆったりと楽しく人生を送れる範囲にとどめてやっていきたいですね。
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