性格悪い人や悪人が出世したり成功したりして幸せになる理由6つ

善悪論
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憎まれっ子世にはばかる。もともと江戸時代が初出の言葉ですが、現在でもよく使われる言葉ですね。意地の悪い奴ほど大身を振って世の中でのびのび生きられるという意味で、海外でも似たような言葉は少なくありません。

現実世界を見ても、この言葉通りに人々から認められる悪人や性格の悪い奴は山ほどいます。

学生時代に人をいじめて楽しんでた奴が人格者として慕われるとか、讒言と手柄の横取りで出世した元同僚が今や部長や支社長の立場とか……古今東西問わず、どうしようもない奴ほど幸せに生きる例は少なくありません。

何故なのか?

今回は、そんな「悪人こそ幸せになれる」という点に着目して、いろいろ考えていきましょう。

そもそもあの人は悪人なのか……

さて、悪人が成功するメカニズムを考察する前に……そもそも悪人とは何なのかを考えてみましょう。

性格が悪い奴や悪人と一言に言っても、その定義は人それぞれです。

本当に自己中心的で好き放題やる奴や人を妬んで叩き潰そうとする奴、裏で糸を引いて嫌いな人間を徹底的に排除しようとする奴……。

あるいは結果最優先で人情味を後回しにするだとか、逆に部下との馴れ合いのためにしょっちゅう外部に食って掛かるとか、そういうのも性格悪いと言えばそうですね。

他にも、たまたま第一印象がよろしくないだとかその人の事を嫌いな奴が散々悪口を吹聴してきただとか……案外、そんな理由で性格が悪い奴に見えてしまうこともあるかもしれません。

都合の悪い相手はだいたい悪人

「あいつは悪い奴だ」と決めつけてしまう前に、気を付けなければならない事があります。

それが、「都合の悪い奴はだいたい悪人に見える」という点。

例えば自分と反対意見を唱えたり、あるいは単に不快だったり(楽してるように見える・見た目がキモいetc.)といった相手は、往々にして悪いことをしてる悪い奴に見えてしまうものです。

「そんな事ない!あいつは極悪非道な下種の類だ!!」と言いたくなる気持ちもわかりますが……まずは「いい悪い以前に、自分にとって不都合な存在である」という点を認めましょう。

こういった部分を見ることを拒んで悪を語ってしまえば、その先に待っているものは連中と同じ悪党としての道だけです。

顔つきで悪人になる事例もあり

私の周りでも、性格が悪いと言われてる人が昔いて、理由を突き詰めたら「顔つきが悪人に見えて気に入らない」というものだったことがあります。

その人の性格悪いエピソードなんて、それこそパッと見ちょっとテンション低めで無愛想だったり、人助けをしても「周りに媚びてる」と言われたり、あとは話がつまらないとかトイレが長いとかくだらない理由ばかりでした。つまり、ハナから「性格悪い」ことが確定した上での後付けです。

人は他者の1側面だけを過大にクローズアップして色眼鏡で見てしまうものです。

あなたが「性格悪い」「悪人」と思っている人も、案外単に嫌いな人ってだけだったり、ちょっと価値観が違ってそりが合わないだけかもしれませんよ。

「あいつは性格が悪い」と決めつける前に、もう1度「どういう人なのか」を考え直し、見直すチャンスを与えてもいいかもしれません。

まず追い詰められている人に必要なのは相談先です。ひとまず相談相手を見つけて、自分の気持ちをぶちまけてしまうのが手っ取り早いですね。

というか、そういうつらい時に味方がいないのでは、基本的に立ち行かなくなってしまいます

もし身近にそういう信用できる人がいないなら……ちょっとアレですがお金を出して雇ってしまうのも手。ビジネスである以上お互いその場の付き合いですし、気持ちをぶちまけても裏切りなどの心配はしなくて済みます。 以下、一例としてリンクを貼っておきます。

どうしてもという方は、後ろ向きでもいいので検討してみてもいいかもしれません。

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かもみーる

では、お待たせしました。次からは、いよいよ悪人の成功の秘訣を思いつく限り書き散らしていきましょう!

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性格悪い奴はこれで成功する!

さて、「嫌いと悪いは別物である」とは言ったところで、やっぱ性格が悪い奴が幸せになるのも世の中珍しくないわけで……。

というわけで、お待たせしました。ここから本題です。

性格悪い奴が幸せに生きるのは何故なのか?その理由を私なりにまとめていきましょう!

悪人は目的最優先!

まあ目的と言っても、大多数は自分の目先の利得や既得権益だったりするんですが……。

ともあれ、悪人というものは基本的に寄り道しません。目的や欲しいものがあれば、他人の迷惑や周囲の目線を無視してでも一直線に進んでいきます。

店でレジが混んでたら割り込んでさっさと会計、他人のものが欲しくなれば騙してでも奪う、店や施設でゴネて脅して無理矢理にでも譲歩を勝ち取る……いっそ清々しいですね。

ですが、この清々しいまでに自分の利益や目的しか見てない姿勢が、時として幸せや成功を運ぶこともあります。

他人を平気で傷つけて自分だけが利益を得る図々しさは真似ても面倒事を招くことが多いですが……恥も外聞も気にせず、ただ自分のやりたいことや目的を果たそうとする姿勢は幸せのために学ぶところもあります。

悪人は懲りない!

悪人と言うやつは懲りません。自分の行いのせいでどれだけ痛い目を見ても、相手を逆恨みするばかりで、今度会ってもまた同じことをしています。

あえて良く言うなら、非常に粘り強いんですよね。

例えばそこらのヤンキーやチンピラみたいなのがわかりやすいかもしれません。

カツアゲ暴行脅迫と、奴らは無関係な人に平気で危害を加えます。

まあその過程で時々喧嘩を売る相手を間違えて警察に捕まったり、本物のヤ〇ザを相手取ってしまうこともあるでしょうが……そうした過程を経て改心する人間はというと、せいぜいごく一握り。

大多数の連中は、喧嘩を売る相手や悪事を働く場所を少し変える程度に留まることでしょう。

もっとも、彼らに限ってはそれしか道を知らないだけという事も関係ありそうですが……ともあれ、どれだけ横槍を食らってもめげずに悪事を続けるのは事実ですね。

他の例を出しても、悪口や学生時代のいじめ、社会人になってからも気に入らない相手への嫌がらせや讒言などなど……いずれも発覚したところでやめない、表向きの反省しかしない懲りない奴らばっかりです。

まあ不屈の闘志と言えばかなり語弊がありますが……めげず屈さずの姿勢が幸せを呼ぶことがあるのは事実です。

悪には相手の見極めが必須?

悪人が上手くいく大きな要因のひとつは、危害を加える相手の見極めですね。

悪の多くは下いびりの上へつらい。強者にへつらいゴマをする一方で、自分より弱い相手には横暴で好き勝手に振舞います。

相手と自分の実力差とか、その場の力関係を読むのが上手いんですよね。で、うまく影響力のある相手を味方に引き入れ、弱者をのうのうと食い物にして自分の腹を肥やすわけです。

彼を知り己を知れば百戦殆からず。孫子の有名な言葉そのまんまですね。

これは私が以前勤めていた職場での話ですが……職場のお局様は常に会社の重鎮と繋がって、嫌いな人間の根も葉もない悪口を吹聴してました。

で、悪口を吹き込まれた人間は意図的に評価を下げられ、状況によっては自主退職に追い込まれる……そのうえで当のお局様は取り巻きや彼女をよく知らない人から人格者として称えられてたので、まあ悪人の成功ルートの王道ですね。

このように、成功する悪人は喧嘩を売る相手をガッツリ選びますし、パワーバランスを利用して強者の加護を得ようとします。

まあそこまでダークサイドに堕ちるのはアレですが……強者への媚びの売り方や勝てない戦いはしない姿勢には目を見張るものがあります。

悪人は声がデカい!

物理的に大声というわけではありませんよ。悪人はとにかく主義主張が多いうえに、そのバカでかい声に影響力を持たせようと意識してます

1番多い手法が、世論が掲げる正義の悪用でしょうか。

最近いろいろと名前が挙がってるフェミニストの中でも、特に「男は存在してること自体が罪」みたいに言ってる過激な連中にはこの傾向が見られますね。

実際、少し昔までは女性権利が蔑ろにされてきた事実があります。というか今でも女性軽視の流れを汲むところは少なくはなく、無視軽視されている女性権利の主張はまだまだしていかなければなりません。

ですが、あの手合いはその事実を巧みに利用し、「男はみんな悪」と高らかに謳うことで、軽視された経験を持つ女性、ひいては世論の一部をも信者や賛同者に引き入れています。

残念ながら、今や真っ当な活動をしているフェミニストよりもはるかに目立つ存在で影響力も大きいしょうね。

それに対する私自身の感想や是非はともかく、社会問題と結び付けて自分たちの権益をことごとくかっさらい、嫌いな相手を国賊同然に仕立て上げる手法そのものは見事。

成功する悪人は、その多くが自分を正義であると主張し、目立つ場所で大義名分を高らかに主張します。

多くの人は客観的な物の見方よりも雰囲気や影響力、権威で善悪を決めてしまうところがあります。そういう意味でも、人を扇動して目立つ”声の大きさ”は上手く生きる大事な手法の1つと言えますね。

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上手くいく悪ほど正義面!

人は誰しも、悪よりも正義の側でいたいものです。正義の側にいれば周りから叩かれることも少ないですし、残酷な行いをして「自分が悪い」なんて罪悪感に苛まれることはほとんどありません。

万事うまいこと運ぶ悪人ほど、「正義の側でいたい」という人間心理をしっかりと理解しています。

標的を少数に絞り、彼らをまるで短所しかないかのように語り、周囲をけしかけて攻撃させる。政敵であれ嫌いな相手であれ、「奴らこそが悪であり、排除は道徳的で正しい行いである」と周囲に確信させ、一方的に正義の鉄槌を下す。

そうやって目障りな相手を潰すとともに、「正義の味方の頼もしいリーダー」みたいな立場で人望も獲得していくんですよね。

例えば学校での集団いじめなんかはだいたいこんな感じのノリで発生しますし、歴史的な規模だと中世の十字軍のような宗教戦争にまで発展します。

多くの人は群れることで「自分は正しい」と安心できますし、正義を名乗るもっともお手軽な手段は悪を倒すこと。上手くいく悪人は、その辺よくわかってるんですよね。

正義は勝つ!大衆が信じるものを全て正義と呼ぶなら、この言葉はまさしく世の中の道理です。

一流の悪は逃げ道が多い!

善人だろうが悪人だろうが生きてりゃ失敗もありますし、上手くいかない事だってあります。

別段悪人に限った話ではありませんが、世渡りの上手い人は失敗した時の撤退経路をしっかり確保しています。

今回は悪人の成功に関する記事なので悪事から例を出しますが……人の陰口って、自分が率先して言うと後で痛い目を見ますよね。
例えば陰口がバレた時に、みんな口をそろえて「あいつが言ってた」と証言するとか。

まあリスクがまったく無い行動は世の中には存在しないわけですが、悪事は特にバレた時のリスクが大きいです。

だからこそ、悪党ほど上手くいくために逃げ道は必須となります。

例えば陰口に話を戻すと、「あいつ性格悪いよね」みたいに実行犯になるのではなく、「そうか?」と擁護するフリをしといて「でも昨日〇〇してたしなぁ……」みたいに、さも迷っているかのように性格が悪い証拠をぶちまける……みたいな感じでしょうか。

悪事を働いているときだけは目立たず、何とでも言い逃れができる範囲でやる。これをするから、悪口やいじめの元凶ってなかなか捕まらないんですよね。

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時に世評も悪を敬う

さて、ここまで悪人の手法を並べましたが……なんだかんだ言って、悪ほど慕われるのは外的要因も強いです。

その理由としては、

  • 短期的には手っ取り早く成功・出世する
  • 悪人のほうが敵に回すと面倒くさい
  • 権威主義的な周囲の性格
  • 偽善が嫌われる
  • 善に対して先制攻撃できる

と、こういったものが考えられます。

まず、上記2つは言葉通り。

長期的スパンはともかく、1手先の成功なら悪のほうが簡単にクリアできます。
極端な話、急いでるときに前でおばあさんが狭い道で重そうな荷物を持って立ち往生している場合、荷物を持ってあげるよりも蹴倒して踏みつけながら追い抜く方が圧倒的に早いです。

当然、おばあさんを足蹴にするような倫理に欠ける奴に、良識分別なんてありません。良心の欠如を指摘しようものなら逆ギレはもちろん、刺されてしまう可能性すらあります。

そうでなくともうるさく喚き散らされるだけで周囲から注目されて、特に意味もなく評判も下がる可能性があるので、周囲からしても悪には屈した方が気が楽。

おまけに人は権威や権力に弱く、短期間で上り詰めた相手にはどんな相手でもある程度以上の評価はします。
その人の悪事をよく知らない人からすると、「善悪なんて知らん。あんな地位にいるんだから、相応の人物に違いない」みたいな発想をしてしまうわけですね。

と、こんな感じでただでさえ悪が一目置かれやすいのに加え、昨今では偽善というものが毛嫌いされています。

この偽善というのが定義が曖昧で、周囲が偽善だとみなせば動機も招いた結果もすっ飛ばして偽善者と呼ばれ、下手をすると悪人以上に嫌われます。

さらには「悪人は嫌いな奴や邪魔な奴はためらわず潰す」わけで、他人を攻撃するのに葛藤が生じる善よりフットワークが軽いです。

良くも悪くも利己主義的な価値観が強まりつつある昨今では、悪のこの特徴もプラスに見られて取り沙汰されてますね。

というわけで、世間の流れも悪が蔓延りやすい要因のひとつ。人々が好むのは善ではなく正義。善き行いではなく、「いい人」という評価なのです。

あくまでほとんどは失墜する

そんなわけで、スタートダッシュは善人よりも悪人のほうが遥かに優れています。しかし、ただ悪いだけでは、その先がなかなか続きません。

というのも、やはり悪人。化けの皮が剝がれてしまうと、案外あっけなく自滅します。

どこからか悪評が立つにつれて、周囲の人が自然と離れていくんですよね。自分まで悪人だと思われたくないから。

傲慢になって人望を失った成功者とか、家族にすら見放されて店員に偉そうにするしか楽しみが無い経営者とか、意外とそういう人は多かったりします。

なので、悪人こそ「勝って兜の緒を締めよ」という言葉を常に意識しなければなりません。成功の上で張り付けた善人の仮面を、大衆の前で脱ぐことは許されません。

悪事によって得た成果を小躍りして喜ぶなどもってのほか。綺麗事で人を引き付けて自分の善性をアピールし続けなければ、やがて失墜し多くのものを失ってしまうでしょう。

悪は権益や幸せを得るには善よりも遥かに優れるが、得た幸福や権益を維持する力は善に遠く及ばない。

信じるものが善であれ悪であれ、このことは忘れないようにしたいですね。

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悪を使える善人って最強じゃね?

というわけで、今回は悪人の成功や幸せについて色々考えてみました。

で、一通り悪の強さを並べて思ったのですが……必要に応じて非情な悪の手段を用いることができる善人って、最強じゃないですか?

ただ悪いだけではどこかで派手に失墜しますし、ただのいい人ではナメられまくってそもそも幸せどころではありません。

そもそも、世の人に100%の悪人とかパーフェクトな聖人君子なんて、まずもって存在しません。悪人の多くにもどこかに善の心はありますし、どんな善人にもどこかに心の穢れはあります。

とすれば、です。

あくどい手法で成功する輩というのは見てて癪ではありますが……その幸せの秘訣や成功への努力を、少し自分にも取り入れてみるくらいは罰は当たらないのではないでしょうか?

善に心根を学び、悪に手法を学ぶ。それをした人間こそが、権威を得た人格者として花開く。なんだかそんな気すらしてきますね。

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