「努力は必ず報われる」。報われた人たちは口をそろえてそう言います。
伝説のプロ野球選手だった王貞治の言葉では、その後に「もし報われない努力があるなら、それはまだ努力と呼べない」と続きますね。
ぶっちゃけこの言葉には賛否両論いろいろな意見が取り沙汰されてます。
ある者はこの言葉に奮起し、ある者は「嘘をつくな」憤慨し、またある者はこの言葉を盾に苦境にある人間を蔑み否定し……。
いずれにせよ、世間に大きな影響力を持つ1種の格言であることは否定できない事実です。
今回は、そんな努力論に関して、個人的な所感を述べようと思います。
色々タガを外して過激なことも好き勝手言ってるので、閲覧注意です。
確かに努力で結果は出るけど……
正直に言いますと、「やればやるだけ必ず結果がついてくる」なんて、「宝くじを何千何万枚と買えば必ず当たる」というのと同じです。
確かに、それだけ宝くじを買いこめば数十万円の当たりは夢ではありません。これは実際に、努力にも同じことが言えます。
例えば何か苦手なことにあえて取り組んでみるとして……コンビニかどこかで副業バイトしてれば数百万円稼げたであろう時間をドブに捨てて一途に努力を続ければ、何事にも「そこらの何もしてない素人よりはマシ」程度の実力はつくでしょう。
で、問題は「数年にもわたる必死の努力で培ったショボい程度の実力を、いったいどこの誰が買ってくれるのか?」って話です。
これ無条件で「買う!」ってやつがいれば、まあ8割は偽善者ですね。客観性のない人間が一時の感情に流されてるだけで、いざその場に立ち合えば手のひら返しますよ。多分「うわ、ダセェ」とか言い始めるから
世間でささやかれている努力の成果とやらは、そんな「決して上手くはないけどまあド素人でもない」程度の実力を身に着けることではありませんよね?
例えば絵や文章なら、それを元手にプロとして食っていけるだけの実力が無いと誰も努力は認めません。
他の事だってそうですよ。個人事業主として始めた副業も、数ヶ月で月数万に達するくらい飛び抜けた実力を示さないと笑われるだけです。
この記事をご覧になってる方も、「努力の結果=1流」で見るような方も少なくないのではありませんか?
確かに死ぬ気の努力を何年も何年も続ければ、そこそこ結果は出ます。
が、吹けば飛ぶ塵みたいな結果を見て「あーよかったねー」と綺麗に締めるしても、努力によって失ったものの採算が取れない。
というわけで、努力の果てに求められる「成果」とやらに達するには、血を吐きながら突っ走るだけでは不可能です。
「努力は報われる」は報われた人間の言い分
はい、そうですね。そういうことです。血のにじむ努力の結果を噛みしめてる人か、あるいは片手間で運よく成功しちゃった人か、あるいは人を見下すための大義名分として言ってるで自分は大して何もしてない連中かは知ったこっちゃありません。
ただひとつ言えるのは、「努力は必ず報われる」と外部に喧伝してる人、しかもその発言を大いに称賛される人の中に、現在進行形で苦境にある人はほとんどいないってやつですね。
努力は報われるって、そりゃそうだ。実際言ってる本人はすでに報われた後か、あるいはそもそも努力なんぞほとんどしてないんだもの。
人間とは勝手なもので、結果さえ出ていればちっぽけな努力を「頑張った」と誇大に言う事も自分のことを棚に上げて他人の苦労を過小評価することも少なくありません。例えば、「お前の努力なんて、自分の努力に比べればたかが知れてる」みたいな。
他人の100時間より自分の1時間のほうがはるかに重く長く見えるのが人間です。
「その程度で音を上げるな」「甘えるな」「逃げるな」「自分はお前なんかよりもっと……」
うるせぇ知るか。特に最後の。
こういう具合だから、まあたとえ正論であっても苦境にある人の耳には届かないんですよね。
「神様は見てる」って嘘つくな
努力だけでなく善行悪行に関してもよくありますが、「神様は見てる。だからきっと報われる(報いを受ける)」ってやつも努力論と結びつくことがしばしばですね。
努力に関して言えば、「本気で限界までやれば神様が助けてくれるから、お前のはまだ救うに値しない努力に過ぎない」ってな感じか。信じられないことに、こういうの引き合いに出す人は意外といます。
……これに関しては、何か言う前にまず宗教関係者の方、何かの宗教(特に一神教)を信仰されている方にお詫び申し上げます。今から罰当たりな言葉も出てきます。誠に申し訳ございません。
それでは自分の所感を述べていきますが……「まずお前の言う神様は何者だよ」と。
神様なんてこの世に干渉しているとは思えませんし、仮にバリバリに現世に干渉しているとすれば、善悪や本人の性質を無視して何となく嫌いな奴に天罰を下して回るクレイジーなクソ野郎です。
身を粉にして努力しても、それが神様によって救われるなんてさすがに幻想でしょう。
「人の努力を否定できるなら何でもいい」みたいな悪意でこれを言い始めるならまだしも、善意で言っちゃう人もいるから中々どうしてままなりません。
若いころの結果は運と環境ありき!
特に20代での成功に関して思うのですが……特に若い時の成功は本人の努力はもちろん、才能、運、環境、人脈にかなり恵まれてないとまず不可能。
才能の開花や世間の評価といった「努力が実を結ぶ瞬間」を味わうには、才能を磨く余裕がある環境と自分の才覚を認めてくれる人、そしてそれらを手に入れるだけの強運が不可欠。
それらの条件が最初のうちから人の手中揃う可能性なんて、どう贔屓目に見ても高いわけがないんですよね。
「どれほど努力しても結果が出ない」って嘆き自体、相当運に恵まれるかよほど効率よくやらない限りぶつかってしまうと思うのですが……
ああいう人って努力したことないのかなー?
どれほどの才覚を持っていても、神様に愛されて終始順風満帆な人生でもなければ、何をどうやっても遅咲きになってしまいます。
晩成するまでの苦労の数々に一時心が折れても、何ら不思議ではありません。それを「努力していない」と嘲笑する奴らは、人生の何たるかがわかっていませんね。
努力の9割は報われないもの。「報われないことが少しでもあれば努力不足」とか、そんなもん他人事だから言えることに過ぎないのです。
「努力が報われる」は戯言!でも……
と、まあ以上が「努力は必ず報われる」に対する個人的な言い分であり、嫌いな点ですね。しかし、同時に思うこともあります。
ここまでネガティブな内容を見てなお、「たとえ報われなくても努力したい!」ってなった人たちは、それこそ大器晩成という言葉を地で行く傑物なのではないか、と。
大器晩成の元々の言葉は、こんな感じ。
大方無隅 大器晩成
「でっかい四角に端などなく、大きな器(道)にも終わりが無い」。別に飛び抜けた人物が若いころに全く評価されないとか、そういう意味ではないんですね。
無論、血のにじむような努力を続ける人の中には、死ぬまで上手くいかない人もいるでしょう。最期まで本当の努力を知らない愚か者に馬鹿にされる日々を送るかもしれません。
しかし、そんなことお構いなしに、自分の思った道をひたすら切り開く。なんか、偉大じゃないですか?
傑物とは必ずしも、世に認められて素晴らしい功績を残した人ばかりではありません。そんなこと言ったら、三国志の龐統なんてさっさと死んだ無能もいいところですからね。
まあ、これも所詮綺麗事です。ですが、実際世の中に埋もれた鬼才は山ほどいるのもまた事実。
たまたま評価されない化け物に日の目を当てるのもそこらの人の役目のはず。
それなのに天才が無能のクズとして終わるのは、それを「正しい見識」と信じて疑わない無知蒙昧な外野にも責任の一端があるのではないでしょうか?
結局やりたいことやった者勝ち
ここまで散々努力のバカらしさや世評の認める努力の愚かさを呪ってきてアレですが……やっぱ、世の中やりたいことはやってみた者勝ちなんですよね。
努力が納得のいく形で報われる可能性なんて、それこそ塵に等しいでしょう。
当然他人はどいつもこいつも「お前は何もやってない」「やったつもりでいるだけ」「無能には無駄だしやめたら?w」と好き勝手言うわけで……。
でも、努力の無駄を悟って全部諦めて悶々と過ごしていても、結局ネガティブな言葉をぶつけられるんですよね。「無能にはお似合いだ」「努力しないお前の自業自得」と。
だったら、やらないとなんか損した気分になりますよね。
とりあえず挑戦したいものがあれば挑戦する。学びたいものがあれば学んでみる。こういう姿勢があるからこそ、挑戦する人は楽しく生きられるのではないでしょうか?
見る目の無い奴らが全部悪い
努力が報われないことと実力の事実関係なんざ知ったこっちゃありません。
何かやってることがあるなら、好き勝手言ってる奴らなんざ「見る目の無い凡愚ども」とでも思っとけばいいんです。
そもそも「秒速で結果を出さないと意味が無い」と背水の陣で新しい挑戦をすること自体、夢破れる要因に他なりません。
もし本気で何かを成し遂げたいなら、失敗に対していちいち馬鹿にしてくる奴らの言葉を真に受けるのは精神衛生上よろしくありません。悪手です。
最初に上げた王貞治の言葉を、今度はフルでお送りしましょう。
努力は必ず、それに見合うだけのものが返ってくる。もしも努力して結果を出さないことがあるのだとすれば、それはまだ努力とは呼べない。だから諦めずに自分の信じた道を進みなさい。
まあ努力の果てに見合うだけのものがあるかどうかは知りませんが……実際、人にどうこう言われても気にせず、自分が「これだ!」と思った道を進むのは、遅咲きの成功者なら必須と言ってよいのではないでしょうか?
成功する気が無いならそんなもん知ったこっちゃないと無視してよいでしょう。しかし、ここまでこんな記事を見てるってことは、何かしら挫折したり苦しいのではないですか?
だったら、やりたいことに向けて気にせず突き進めば良いのです。
もっとも、人のアドバイスまで無視するのはナンセンス。使えそうなアイデアだけはしっかり聞き入れ、ありがたく使わせていただきましょう。
時には休むのも大事
体は資本、とよく言いますね。事実として、体も心も、何をするにしても一番大事なものになります。無意味に壊すものではありません。
休める時はしっかり休み英気を養う。楽しめることはしっかり楽しむ。
人生の道草も、巡り巡って何かに使えるかもしれません。というかそもそも、使えようが使えまいが楽しみが無いと人は枯れます。
もはや大事を成そうって人だけじゃなく全員の大事な心掛けですが……無駄だろうが何だろうが、休むときにはしっかり休み、楽しめる時はしっかり楽しみましょう。
心身を健康に!何をするにもこれが1番大事です。
やりたいことはやってみるほうがいい
何だか途中から大事を成すためのお説教みたいになってきた気がしますが……こうなればもう最後まで言いたいことを言わせていただきます。
ぶっちゃけ神様がどんなクソ野郎でも関係ありませんし、人がどれだけバカにしてこようと構いません。
とにかく機会があれば、やりたいことを試しにやってみてください。
その結果報われようが報われまいが、結局やらない後悔よりやる後悔。これだけはハッキリと言えます。
いくら神様が上げて落とすような展開しか用意しやがらないクソ野郎でも、それを理由にやりたいことを封印するのはちょっともったいないです。
めっちゃ話がそれましたが…
はい、すみません。途中から全然関係ないことをペラペラと喋っていました。
ですが、「努力は報われなくても、やりたきゃ気にせずやり抜けばよい」と、要はそういう事ですね。
報われようが報われまいが、結局やった者勝ち。やり抜いた先に報われれば、それこそ儲けものです。
ぶっちゃけ成功よりも何よりも、自分が人生に納得できることが大事なのではないでしょうか?
自分の心に嘘をつかず、やりたいことをちゃんとやれる。理想論ですが、そういう人生に少しでも近づけていきたいものですね。
仮にやりたいことが今は無くても、その点は大丈夫です。日々平穏が何よりも人もいるでしょうし、望むものは人それぞれ。
肝心なのは、「自分を捨てた先に幸福はない」ということです。
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