「群れると知能が低下する」「群れる奴は弱くて馬鹿」と。最近はそんな意見もなかなか多くなってきましたね。何なら、ネットに限っては「知能<孤高」という意見が主流派なのではと思えるくらいです。
まあ集団に上手く属せず結局孤独気味の私としては、この風潮は非常に気楽で過ごしやすいものではありますが……だからといって一緒になって「群れる奴なんてゴミしかいない」なんてやる気にはなれません。というのも、集団には集団なりの強みがありますからね。
個人的に集団の悪い点としては「頭が悪くなる(悪くならざるを得ない)」という点が特筆されると考えてますが……実際に見てみるとそれだけではないコミュニティも存在する。
今回は、「個人を超えた力を発揮できるコミュニティ」とただただ「みんな頭悪くなってるコミュニティ」の違いが何なのか考えてみましょう。
群れる事の「頭の悪さ」はどこから来るのか

こういうのは「比較して悪い方の短所はどこから来るのか」から考えた方が早いです。
というわけで、今回の題材に沿って「馬鹿になるコミュニティは何故馬鹿になるのか」から考えてみましょう。
同調圧力の恐ろしさ
まず1番考えられるのが、属している人に対して「同調しかできない馬鹿になること」を要求している組織。これはもう否応なしに知能が下ってしまうものだと言わざるを得ません。
絶対的な決定権は、とにもかくにも握った者の知能や能力に左右されます。何といっても、誰もまともな助言ができないわけですからね。権威者が専門家の話を聞かずに物事を勝手に判断している状況を思い浮かべれば、合点がいくという方も多いはず。
個人で何でも決定権を握れる独裁体制でさえ、並大抵の人間では破滅に向かわせてしまう危険性があります。そんなものが集団全体の「空気感」や「気持ち」「好き嫌い」みたいにふわっとした根拠で行使されてしまえばしまえば、一貫性も何もありません。
結局集団にとって気持ちのいいことを表面上述べた者勝ち。誰かの発した第一声に同調者が現れれば、どれほど愚かな意見でもどれだけ非道な行いでもまかり通ります。
集団心理の恐ろしさはたびたび語られてきましたが、同調圧力による意見の統制はこの集団心理のもっとも危険な部分をいとも簡単に引き起こしてしまいます。
既得権益への執着
人はどうしても失うことをもっとも嫌がるものです。たとえその先にさらに大きな利益があったとしても既得権益という100%手元に置いて置けるものを失う事と比べると、どうしても腰が重くなります。
集団内の地位というのは、それだけで大きな既得権益になります。例えどれだけ非効率で集団全体で見て無意味なものであっても、それが自分の既得権益を守ることに繋がるならついつい下にそれを強要してしまうのは組織運営あるあると言っても過言ではありません。
組織を腐らせてしまうのは、既得権益への執着とそこから発生する保身第一の気持ちです。
これは私が学校のいじめと周囲の同調、最初の職場のお局への全面的な称賛や嫌がらせの黙認、某大手の子会社で蔓延していた末端社員の吹き溜まり的な雰囲気と、あらゆるところで見て取れました。
どこもかしこも、やっぱり今の地位を手放したくない奴らが組織側や権威者の手駒となって悪事を働いてでも彼らに権益と娯楽を献上し、それを好ましく思わなかった人はみんな侮辱の対象たる末端に叩き落されていましたね。
馴れ合い、見て見ぬふり
組織や集団として動く以上は、どうしても必要以上の軋轢や対立を抑える必要があります。それはみんな分かっています。
やっぱり、対立って怖いですよね。放っとくと組織の瓦解にすらつながります。
で、肝心な腐敗する組織ですが……何より対立や波風が立つことを極端に嫌う傾向があります。
みんな表面上はニコニコと仲良く接しつつも、その実誰も上に対しては何も言えない。「仲良しだから」と何でも許すことを強要される空気になってくる。
失敗も不正も末端へのいじめも、結局無視して何事も無いかのように振舞う方が対処としては楽なんですよね。そのためそこに属する人は失敗しても次に活かす必要を感じず、不正に関してもどんどんエスカレートし、末端はいつ捨てても構わないゴミのような扱いを受け……
組織の腐敗の一番の要因は、同調圧力と既得権益惜しさによる馴れ合いと見て見ぬふりが大きいですね。
言ってしまえば、腐った組織はまともな考えができません。
ちょっと考えれば「今のままではまずい」「ここを変えなければ」と思い至るものも、気づかない方が都合がいいから誰も気づかない。何なら今が完璧な仕組みだと相槌を打つまである。
結局頭の悪い組織というのは単に個々の知能が低い集団ではなく、どんな聡明な頭脳を持っていても馬鹿になるしかない組織のことを指すわけです。
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