かなーり前に世間で言われてきた「無能な善人と有能な悪人では、どちらが組織のためになるか」という話。これに関しては、少なくともネット上では「無能な善人こそ論外、悪人のほうがマシ」という定義で決着、今では小康状態ともいえる話題ですね。
まあ各々思うところがあって結局こういう結論にたどり着いたと思いますが……遅ればせながら、その結論に対して待ったをかけたい!
「どっちも組織にとってプラスになるわけではないが、強いて言えば無能な善人のほうがマシでは?」という結論を提示します。
だいたい善悪の定義はそれでいいのか?
さて、こういう話題で無能な善人のほうを取ると、論者気取りの連中は大概「お気持ちに流される無能」とその人を評価しますが……まあ聞いてください。
そもそも、悪人の定義とは何か?ここがブレると、善人も悪人も適正な評価なんてできません。
だいたい各所で語られる悪人は、「組織利益のために手段を択ばない人」だとか、「芯が強すぎて他と衝突する人」だとかそんなのばかり。私に言わせれば、その大半は「心根が善の偽悪者」。根っこは善人です。
で、一方よく語られる善人はというと……頭の中はいつもふわっふわのお花畑。その場のお気持ち(かわいそう、好き嫌い)で物事を決めたり、一般的な道徳を信奉してどんな場面でも他人に押し付けようとしてきたりする、いわゆる「頑なに現実を見ようとしないトチ狂った偽善者」のケースが多いんですよね。
こう切り分ければ、さすがにアンフェアじゃないですか?
嫌いな人間を何よりも優先して排除しようとしたり現実を見ず自分の利益と権利だけを主張する悪人もいます。逆にシビアに現実を見た上でそれでも人道を貫こうとする善人もいます。
というか、善人はともかく悪人は自己利益と好き嫌いだけで決める輩のが目立たないか?
結局、善人も悪人も、世間で言われてるファンタジーなんですよね。偽悪と偽善を本質として見ると、そりゃ悪人の方がマシです。
そもそも「悪人が組織や国に尽くしてくれる」というのが幻想
で、ここからが私の考える悪人の定義。
大義や組織のために悪の手段も問わない輩を悪人と呼ぶのは少々無理。善人の中にも必要悪の存在を見逃したり、なんなら自分が必要悪を実演しようとする人もいます。
そりゃあ手段だけで善悪を判断し、かつ善悪どちらも自分たちに恩恵を与えようと必死になってくれるなら、確かに悪人のほうが得られる利益は多いかもしれません。が、現実はそうでもありません。
そもそも、悪人は自分のことしか考えてないから悪人なのです。
権謀術数を用いるのも、人々に認められようと奮闘するのも、清々しいほどに全部自分の利益のため。組織に尽くすことが自分の利益になるならそうしますが、こういう大局観のある悪人はなまじ有能なせいで他の自分ひとりが幸せになる手段を見つけるのも早いでしょう。
というか、大抵は組織も国も慕ってくれる人も搾取するだけして搾りカスになった時点で捨てる方が、自己利益だけを考えるとかなり効率的なんですね。しかも頭のいい彼らは、それをバレないように、さも自分が善人であるかのように振舞うことで世論を味方につけ、そのうえで徹底搾取を試みるでしょう。
私なら、そんな危なっかしい人たちを全てわかった上で任用する気にはなれません。
常に最大限の利益を提示しなければ、差し出した手を嚙み千切られる。そういう状況で有能な人間をうまく扱えるのは、使う側がよほどの大器でリソースにも余裕がある特殊なケースだけです。
とはいえ実際悪は強い
まあなんだかんだ言ってますが、認めます。悪は善より強い。何せ目的のために手段を選ばないから何でもアリですしね。
悪は初めから迷わず悪の手段を使えますが、善人は悪を用いるのに一瞬の葛藤があるか、そもそも使おうとしないかもしれません。
目的に則した最善手を常に打てるという点では、実際うまく使いこなせるなら有能な悪人のほうが断然有用です。
正直、無能な善人は表面上の綺麗事を真に受けて変な事始めますしね。「いじめ防止のために宴会は強制参加にします!」とか。
ただ、それを考慮したうえでも無能な善人のほうが多少は扱いやすいと言わざるを得ません。無能な善人は大概強者に迎合するばかりで、大抵は自分がありませんからね。
思考回路も単純明快に勧善懲悪で、うまく善悪観を植え付けて誘導するのは難しいことではないはずです。
で、有能な悪人にこれと同じことができますか?
彼らは物事を見極め、自分の利益のために裏切りも組織的に損になる有能な人材の排除も涼しい顔で行う恥知らずを、自分たちのためにうまく誘導できますか?
私はその辺考えた上で「無理」判断したので、「無能な善人のほうがマシ」という結論を提示した次第です。
そもそも悪人本位の世界で生きていけますか?
余談ですが、これも個人的には気になる話ですね。
無能とはいえ善人が徹底排除され悪人が能力だけで起用される世界になれば、必然的に周囲は「あくどい手段を使った方が断然近道」という空気になります。
そもそも、世の中のほとんどの人に善悪なんて無いと私は思ってます。その場の空気や自分の利益など、信念や倫理観とは無関係なところで善にも悪にも流されます。
ですから、悪人こそが重用される世界になれば、世の中は一気に悪人ばかりになりますよ。
みんながみんな自分のためだけに生き、人を利用し、騙し、貶める。
人助けなどしようものなら警察を呼ばれて罪状を捏造され裁判沙汰になり、その裁判すら正しいかどうかでなく賄賂や忖度によって判決が変わる。
人々は隙あらば貶めてやろう、財産を奪ってやろうと目を光らせ、気を抜けば寄ってたかって潰される世界で常に言葉1つ、行先1つに神経を尖らせなければならない。
少なくとも私は、そういう世界で生きていける自信はありません。これも、無能な善人がマシである理由のひとつですね。
使いこなせるかどうかで状況は変わる
で、結論を出すなら結局これです。
使いこなせる絶対的な自信があるなら有能な悪人を重用したり指導者に置いた方がいいが、無理なら無能な善人のほうがダメージは確実に少ない。
この世界はゲームとは違います。忠誠心も友情も使命感も、データによって表せるほど単純なものではありません。
そのあたりを考慮したうえで少しでも確実でまともな手段を選びたいのなら、どうしても無能な善人のほうに軍配が上がると思いますよ。
コメント