人間誰しも、善人と悪人なら善人に見られたいと思うものです。
しかし、その「善人」という評価を勝ち取るのは難しいですし、実際にそう呼ばれるようになっても維持コストは馬鹿にできないレベルで高いです。
……もっとも、「難しい」「しんどい」と言ったところでピンとは来づらいですよね。
今回は、何故いい人でいるのがしんどいのかをいろいろ考えてみましょう。
いい人が理由で嫌われてしまう事もある
まず何よりよくある話が、いい人は大変胡散臭く見えてしまうという話。
特に理由もなく人を助けたら、助けた相手から「何か企んでるだろ」と疑われ、警戒、敵視されてしまった。あるいは、人助けの結果として周囲からなんか舐められたり偽善者呼ばわりされてしんどくなっていった……。
おそらく、意識の有無に限らず「いい人」と言われたことがあるなら1度はこんな経験があるはずです。
実際にこんな目に遭った側からすると「ふざけんな」とでも吐き捨てたくなるところですが……ある意味、いい人を嫌うのも人間らしい心理なのかもしれませんね。
いい人がいるだけで自分が悪者に見えてしまう
いくら「他人軸は愚かだ」と世間が吹聴したところで、他人軸の人は他人軸です。
実際は他人軸=悪という考え自体論外なのですが……まあ、その辺はまた別の機会にでも。
ともあれ、世の中には他人と比較する形でないとアイデンティティを得られない人がいます。というか、そういう人こそが多数派です。
そういう人からすると、とにかくいい人ってのは目障りなんですよね。なぜかというと、いい人と自分を比べてしまうから。
冒頭の話を繰り返しますが、人は善人に見られたいし、そう言われたい生き物です。
「お前がいい人でいるせいで、私が相対的に良くない人間に見られている」
こうして書き出してみると幼稚で身勝手な言い分ですが、人間心理としてはある意味当たり前というべき気持ちです。
いい人でいるというのは、そういういわれもない憎悪を向けられることと背中合わせなのです。
「媚びてる」と思われ即終了ルートも
当然、嫌われる理由はそれだけではありません。
いい人というのは、それだけで「周りに媚びている」と思われがちです。
いい人を見てそう思う理由や陰口をバラ撒く動機は様々ですが、どういう意図があろうと実際にそう非難される可能性は常についてまわります。
人は損得が行動基準の基本ですから、「得にもならない事をするのが気持ち悪い」と言われてしまえば、同意者が出るのはある意味必然かもしれません。
衛青と霍去病
中国の漢の時代に、衛青と霍去病という2人の武将がおり、そのどちらも非常に有能な将軍として活躍していました。
衛青は奴隷の身分から取り立てられたせいか、性格は謙虚で威張らず下にも慈悲深く、ある人が「お前の人事のせいで父親が死んだのだ!」と逆上し殺しに来ても責任感から応戦しなかったほどの人物でした。
一方の霍去病はというと、傲岸不遜でやりたい放題。この人は衛青の甥ですが、生まれたのは衛青が大成功を収めた後でした。つまり下々の暮らしなんぞ知る由もなく、下級兵士の事情はほったらかし。義侠心に富んだ人物ではあったものの、兵卒が飢えに苦しんでいる中でも豪華な大宴会を開くような人物でした。
で、そんな2人のうち、どちらが人気者だったかというと……傲慢な甥の霍去病。朝廷からも兵卒からも人気が高く、衛青を差し置いて方面軍の実質的なトップの地位と影響力を地位を手にしたと言われています。
なぜこのような事が起こったのでしょう?
その理由は、言ってしまえば衛青の度を越した人格の出来具合。彼はあまりに謙虚すぎるあまり、人から「媚びている」と判断されてもいたのです。
このように優しさが時に不評の一因にもなるあたり、本当油断できないのが人間社会ですね。
「善人」という第一印象の維持コストは異常
「あいつはいい奴すぎるから嫌い」という人の嫌い方もあるのにはありますが、やはりそうは言っても、人はいい人を好む存在。いいことをしていると、それに興味を向ける大半の人はその点を高く評価してくれます。
が、問題はその「いい人」という第一印象を得た後。
人は誰でも「他人を第一印象通りの人間だと信じようとする」という厄介な特性を持っています。
つまり「愚劣」「性悪」といった悪い第一印象は何をしても他人からの評価や周囲の見る目に悪影響を与え続けますが、逆に「いい人」の第一印象はいい人であり続けない限りどこかで「裏切られた」という失望に変わります。
それこそ、失望の種類はいろいろですね。善行に対して人からの謝礼を素直に受け取った、他の人にもいい顔をしていた、たまたま気分が乗らず困っている人をスルーしてしまったなどなど……それこそどんな些細な事でも失望に変わる可能性がある地雷になります。
アンパンマンが人に優しくするのは当然!
唐突に版権キャラの話をしますが、アンパンマンが心優しく、いつでもどんな時でも子供たちに優しくするのは当然のことです。
お腹が空いてる子に対して「僕の顔をお食べ」なんてやって自分の顔をちぎっている姿は、今でも想像できる人も多いはず。
ですがこの行為、実際には自分の戦力を大きく削ってしまう危険な行為なんですよね。
アンパンマンは顔に異常があると、いつも通りの力が発揮できません。当然、顔が欠けてる状態でも能力は大幅に低下してしまいます。
さて、そんなアンパンマンですが……ここからはもしもの話。
仮に人々を無差別に殺して回るような危険な悪とアンパンマンが戦うことになって、決戦場に向かう途上でおやつを食べ忘れてお腹ペコペコで泣いてる子供がいたとすれば、どうするのが正解でしょうか?
その悪が弱いのならば、子供を助ける選択肢もあるでしょう。ですが、「悪を倒す」という大目標を達成するなら見捨てるのが最適解です。
で、ここで問題なのですが……アンパンマンが巨大な悪を倒すためとはいえ、泣くほど困ってる子供を無視してしまったらいったい周りはどう思うでしょうか?
正直、「どうしても勝たなければ死傷者が出る」という危険な状況なのはわかっても、ちょっとモヤモヤしてしまいますよね。
あのアンパンマンが、どんな事情があるとはいえ、泣いてる子供を見捨てて去っていった。この事実は、どんな免罪符があったとしても人々には「そんな奴だったのか」という衝撃としてのしかかってしまいます。
いい人として生きるというのは、極端に言えばアンパンマンとして生きることと同じです。
ポップで牧歌的な世界に生きているならまだしも、この世界にはダークな要素も多分に含まれる。その中で、「常に自分を顧みずいい人であり続けなければならない」というのはどうしようもない重荷になることも少なくないわけです。
人はこっちの事情なんて知らない
上記のアンパンマンの例では「巨大な悪を倒さなければ」というやむを得ない事情を明らかにしました。
ですが、現実世界ではこっちの事情をちゃんと考えてくれる人なんて限られています。
それこそこっちの苦痛を本当に知らないのか「知ったこっちゃない」というスタンスなのかは人によりますが……ともあれ、善人の中にわずかにでもある悪を考慮したり許容してくれる人は驚くほど少ないと考えておいてよいでしょう。
結局人は主観の生き物。どれほど客観ぶったところで、自分の都合や見たいものだけを優先して見ようとしてしまう点は否定できません。
自分も他人も全員そうですが、人は思った以上に視野が狭いですよ。見たいものだけを見て、知りたいことだけを知る人がほとんど。
それこそ私みたいに人のダークサイドを好んで語る人間だって(むしろそういう人間こそ?)、そうすることで「お前たち凡人よりは世界の奥底を知っている」なんて聡明ぶりたい側面があることは否定できません。
ともあれ、「人の事情なんて知らないし知る余裕も視野もない」という人がほとんどですから、いい人を最後まで続けるなら彼らにとって都合のいいふるまいを常に続けなければなりません。そこが、いい人の難しいところですよね。
……いい人を無理に続ける理由ってなくね?
で、ここまで書いてから思ったことを、もうそのまま言います。
いい人を無理に続ける理由ってなくね?
当然、周囲から評価されたり信頼されやすいというメリットは存在します。実際、それが目的で「いい人」という評価を求める人がほとんどでしょう。
ですが、無理していい人を演じて得た評価というものはおおよそ脆いもの。当然素の自分が「いい人」と言われるのならば儲け物ですが、そうでないなら割に合わないです。
いい人とは都合のいい人の事
何も世の人が言う「いい人」のすべてがそうとは思いませんが……世の人は都合のいい人のことを「いい人」と称しがちなものです。
例えば定職に就けないせいでお金に困っている人には、職を斡旋するよりお金を直接あげた方が喜ばれます。
まあ何かしら仕事に就かせた方が、長期的にはその人のためになるのですが……そこを考える長期視点を当事者が持つのは、長いスパンで物事を見る才能が無いと大概無理ですね。
基本的に困っている人や助けてもらう当事者が求めているのは、攻略法ではなく現物。自分で利益を出す方法を教えてもらうより、利益そのものや目先の心地よさをタダで提供される方を好みます。
だからまあ、都合の悪い事実と打開策を述べる人より、都合の悪さから目を背けて褒めたたえてくれるイエスマンのほうが遥かに好かれるのが現状なんですよねぇ……。
「いい人でいたい」と思う人の多くは、やはり相手の利益や都合のいいことに目を向けることが多いのが現状。
しかし1度そうなれば、その先は「都合よく利益ばかりを吐き出す装置」としての役割を期待されるばかり。自分にとっても相手にとってもあまりよい影響を与えないので、そういう意味でもただいい人になるのはあまりお勧めしません。
いい人よりも自然の自分の強みを伸ばそう
自分に何ができて何ができないかを無視したまま漠然と「いい人」を目指していけば、結局は都合がいいだけの人に甘んじるどころか、その評価を守るために高い維持コストを投じてしまい、結果として疲れ果ててしんどくなってしまう事も多いです。
それよりも、ありのままの自分が持っている武器を把握し、それを強みに繋げていくという意識のほうが、無理せずのびのびと周囲の信頼を勝ち取っていける事でしょう。
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