どうも、だいたいいつも眠気と戦ってる手相鑑定士です(Twitter:@nemukedesiniso)。
人付き合いや人生そのものに疲れた時、これまで信じて従っていた人やルールに裏切られた時、自分の信念を貫けず迎合を余儀なくされた時……案外、人はあっさりと正しさを見失います。
それもそのはず。ある程度出し尽くされた答えになりますが……人生に正解などないわけですから。
いや、正確には「外部に人生の正解はない」とでもいうべきか。
だからこそ、何が正しいかに振り回されては余計に進むべき道がわからず、簡単に迷子になってしまいます。
そういう迷子になった時は、無暗に進まず1度立ち止まるのが良し。無暗に動いても余計迷走するだけです。いっそゆっくり休みながら、周囲を見渡してみましょう。
人生の正解は1つに非ず

人生において、必ずしも「正しい」とされるものが正解ではありません。
むしろ人や組織の言う「正しい」は、正式には「好ましい」「都合がいい」程度のものとして解釈すべきです。
個人の説く正しさは他人から見れば正しくなくなりますし、組織の正しさは組織の外に出ては通用しません。世間一般の言う正しさも、あくまで「語っている当人たちにとっての標準」程度の意味しかありません。
つまり、何が正しいとか間違ってるとかは人や場所によってマチマチ。それを絶対のものだと信じても、大抵は簡単に裏切ってきます。
正しさを求めて生きてこられた方には少し受け入れがたいかもしれませんが、世に絶対の正解なんてありません。
「正義の反対は別の正義」とはよく言ったもので、悪には悪の言い分がありますし、言い逃れできないレベルの悪にも悪に堕ちるまでの過程が存在します。
間違いだと思っていたものが実は一番の近道だったという事もままありますし、愚か者だと全員から嘲笑されていた奴が実は天才で後々偉業を打ち立てる……なんてケースもザラにあります。
常識から外れた者がすべて悪という道理も存在しませんし、正しいルールや規則に従う者が全員善人である保証もありません。
「既存のルールでは救われない人間に追い打ちをかけるだけだ」と判断してルールを破り悪に堕ちる善人も、ルールに従順に従っていることを免罪符に人を積極的に陥れようとする奴も、どちらも世の中には存在しています。
モヤモヤする答えかもしれませんが、絶対の正解なんて誰にもわらないんですよね。
「これ以外に正しい道はない」と断言する人物3選
さて、世の中には「今自分が掲げている道以外に正解はない!」「決められた生き方以外は存在してはならない」と熱量たっぷりに語る人たちがいますね。
私もそういう連中を見てきましたが……おおよそ、私の見立てでは以下の3種類に分類されます。身も蓋も無く上げてみましょう。
- 視野の狭い頑固一徹人間
- 損得しか頭にない食わせ物
- 説教した気になって気持ちよくなりたいだけの豆腐メンタル
1の頑固一徹は……文字通りの石頭ですね。物事を正しい、正しくないでしか判断できず、自分の頭の中にある常識と自分の知見以外の物事を一切合切認められないタイプです。
この手合いには善良な人もそれなり以上に多くいますが……残念ながら熱意や正義感が空回りして独善的に過ぎる傾向は否定できません。
人間的に腐り切っているわけではないので深く関わっても問題ない人たちですが……彼らの語る正しいやり方やあるべき姿は話半分に聞き流しておくのが正解でしょうね。
続けて2の食わせ物。これは言ってしまえば、利益のための扇動です。「お前のやり方は間違っている」と煽ってみせたり「このやり方が正しいんだ」と声高に宣言することで、都合よく人を利益になるように動かそうとしている連中ですね。
これらは離れるべき……と言いたいところですが、中には相互の利益につながることを言っている連中もいます。感化されたり口車に乗せられない自信があるなら、乗ってみた方がいい時もありますね。
3に関しては、もはや百害あって一利なし。完全にこちらを餌としか認識せず、心を折ることを目的に近づいてきている連中です。
思うに、そうやって餌になる人間を殴り続けて心を静めないと、自分を保てない弱い人間なのでしょう。相手にしても気が滅入るだけなので、早めに離れるが吉です。
自分の正義も絶対ではない
絶対的な正義は他人の扇動や洗脳によってのみ発生するものではありません。中には、自分が固く信じてきた正義が崩れ去ってしまった……なんて方もいらっしゃるでしょう。
そういう方にこんなことを言うのも心苦しいですが……「絶対的な正しさ」というものは自分の中でしか効力を発揮できず、そこから1歩でも外に出てしまえば力はありません。
まずはそれを受け止め、深呼吸して1回休み。アイデンティティが折れてしまった時こそ、焦って動けば逆に辛くなっていきますよ。
これは昔経営者の方とお話しする機会があって言われた事なのですが……いい機会なのでここでお話しておきましょう。
「信念とは鉄ではなく、竹のようにしなやかであるべきだ。鉄は硬く簡単には折れないが、折れてしまえば滅多なことでは修復できない。一方の竹は一見軟弱だが、逆風や強風に対しては柔軟に曲がることで圧力を避けることができる。本当の軸さえブレなければ、つまらないところで折れてもどうとでも修正できる」
私自身お世辞にも人の話を聞く方ではありませんが……この時ばかりは「なるほど」と膝を打ちました。
実際、許容範囲が大きければ大きいほど、結果として意志を貫くのは容易になります。曲がったことを一時的にも受け入れるのはなんだか気分が悪いですが……その先にご自身の理想があるのなら、まずはそのために実利を取ってみるのも悪いことではないはずですよ。
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