善人と偽善者って、なかなか区別がつかないものですよね。
信じてた相手が実は誰にでも尻尾を振る薄っぺら人間だったり、逆に悪党だと思ってた人間が口を酸っぱくして忠告してた事が後になって現実になってしまったり……。
味方全員を信じてお花畑でいても裏切られていたい目を見るし、かといって全員を疑ってかかっても幸せは遠のいていくばかり……。
まあ、偽善者と言っても結局人によって基準は色々異なるんですけどね。それでも「他人の基準から得られることもあるだろう」と思うので、私なりの基準をただ垂れ流しても一応の意味はあるのかなと。
今回はそんな考えで、個人的に偽善者だと思える外的特徴を述べていきましょう。
偽善者とは何か
さて、早速自分の基準を語ることもそれはそれで悪くないのですが……一応、まずは世間一般的に偽善とされているものの基準から見ていきましょうか。
特に宗教や道徳的信念に関し、真の性格・性向を隠す一方で、美徳または善といった見せかけの外観をつくることを言う。したがって、一般的な意味において偽善には「不誠実なそらとぼけ」、「見せかけの振りをすること」、または「まやかし」が含まれることがある。偽善的な行動とは、他を批判するのと同じ行動を自らも行っていることを指す。道徳心理学においては、自ら表明する道徳的な規則や原則に従わないことを指している。
Wikipediaより
とのこと。要するに、「心の底では利己的な判断を下しているくせに、外面ではいい子ちゃんぶってる奴」「口先だけ綺麗なことを言ってる奴」、あるいは「自分は守る気の無い倫理観やルールを他人には一方的に押し付ける奴」って感じですね。
おおよそ、世間が思い描いている偽善もこれと似たようなことが当てはまるでしょう。
ただ問題は、それを見分ける手段ですよね。
人はみんな偽善者的な側面を持っている
「いや手段を語れよ」とツッコミを入れたくなった方もいらっしゃるでしょうが……まあ、しばしお待ちください。
偽善者の一般的な定義がわかったところで……そもそも偽善者を見分ける前に大前提として知っていただきたいことを述べましょう。
よい行いをする人は全員、「いい人でいたい」「周りから評価されたい」「いい人だと思われたい」などなど、何かしら独善的、利己的な願望を抱いています。
この欲望が無い完全無私無欲な人となれば、もはや神にすら通じる悟りを開いた人しかいないですよね。
我々はあくまで神でも聖人でもなく、普通の人です。俗世の利己的な欲望とは縁を切りたくても切れないものです。今回上げていく特徴に合致する人を偽善者と非難する前に、そこを踏まえた上で批判するかどうかを決めてください。
偽善者を見分ける特徴4点!
さて、お待たせいたしました。長い前置きもここまで。早速というよりようやくですが……ともあれ、本題に入っていきましょう!
めっちゃ評判がいい
「あいつはめちゃくちゃいい奴だ!」とその場の全員が太鼓判を押すならば、その相手は一応の警戒をしておいていいと思います。
この場合は実際にめちゃくちゃ人がいい事もありますが……往々にして「人に気に入られて高い評価を得る術を心得ている」あるいは「自分の意思や意見が無い」という点だけは間違いありません。
基本的に害が無い相手ですが、特に重大な決断の際に意見を求めるのはご法度です。最良の助言よりも、的外れでも自分にとって聞こえがいい助言を優先して行うでしょう。
儒教の祖である孔子も、こんな言葉を残してますね。
十人が十人とも悪く言う奴、 これは善人であろうはずがない。
だからといって十人が十人ともよく言う奴も善人ではない。
真の善人とは、 十人のうち五人が貶し、 五人が褒める人物である。
なんか弱者に風当たりが強い
特に部下や弟子など、弱い立場にある人間からの評価が悪い、あるいは傍から見ていて風当たりがキツいなら要注意人物です。
単に「厳格でやたらと規則を重んじる鬼教官」という人ならば扱い次第でかなり力になってくれますが……そもそも今回は前提として「自分の前では善良でいい人っぽい」という条件が付いています。
まあ、十中八九食わせ物ですね。仕事上ならば鬼教官パターンも視野に入れて慎重に判断すべきですが、プライベートでも上下関係を設けて下にキツく当たってるならほぼアウトです。
おおかた、あなたの肩書や権威にひれ伏してるか、何かしら人当り良く振舞うだけのメリットがあるのでしょう。あなたに利用価値が無くなれ手の平を返す可能性もあるので、付き合いは慎重に続けましょう。
人の行動にやたらケチをつける
これも食わせ物の類ですね。あるいは潔癖すぎるだけか?
何にしても、こういう奴は以下のどれかに当てはまります。
- 自分の正義に陶酔してるだけ
- 自分が弱者であるかのように振舞って無責任に他人を悪呼ばわりする
- やたら潔癖で、とにかく自他に求める基準が非現実的なレベルで厳しい
1の場合は、割と救いが無いタイプかも知れませんね。英雄症候群とも言うべきか……とにかく「楽して善行ポイントを稼ぎたい」というタイプ。
基本的に、学校で習った道徳を盾に吠えてることが多いですね。根が潔癖なのか、反論がどれほど正論でも感情的に粛清を試みる事も多いです。
2に関しても言ってしまえば「犯罪者は根絶やしにしてしまえ」なんて過激な言動、そして自分に異を唱える人間には、正義を盾にとにかく攻撃しまくる様が目立ちます。
そのくせ叩いてる相手の冤罪が発覚するなどして自分の大義名分が崩れると途端に被害者面して開き直るので……まあ、関わらないのが吉ですね。
3にしては本人的には完全な善意なので偽善者と言うのも変な気がするのですが……他者を攻撃して意図的に実害を出している点は変わりません。
心根は善人なケースも少なくありませんが、「自分とは善悪の基準が合わない」と割り切ってはなれるのが吉でしょうね。
口だけで善行の実績が皆無
偽善者というのは、実に耳ざわりのいい言葉や道徳的によさげな言葉を述べているが目立ちます。
例えば自分は何もせずに家でゴロゴロしながら「ボランティアに参加しよう!」と周囲に呼び掛けたり、あとは困っている人に「いつでも助けに行くから!」「困ってるときは何でもするから言ってね!」なーんて気前よく実現不可能なことを言ってみたり……。
正直、他人をとにかく攻撃したりよほどドス黒い輩でもない限り、害はありませんよ。単に信用できないだけです。実害だけで言えば、「めっちゃ評判がいい」人のほうが危険度が高いくらいです。
ただ、まあ一般的な「偽善者」の枠はこれですね。実害はないですが、実質自分の腹は切りません。聞こえのいい呼びかけをしてるだけの、ただの歩くラジオくらいに思っときましょう。
繰り返しますが、あなたが攻撃の標的にされたり全幅の信頼を寄せでもしない限りはほぼ間違いなく無害です。
結局は善意か結果のどちらかが伴えばいい
まあ簡単に結論を出すならば、純粋に相手を思っての行動か、あるいは結果が出てるかすればいい。そのどちらも満たさないならばそれを偽善と呼ぶ……という感じですね。
結局何を善として何を偽善と呼ぶかはその人次第。今回は「見分け方」として4つほど基準を出しましたが、それにしても「偽善者的な特徴を持っていながら純粋な善人」なんて人もいるかもしれません。
ともあれ、私にとっての偽善者とは、「内実も無ければ誰も助けてない奴」の事。
実質役に立たなくてもその心根が善意ならその点だけは感謝すべきだし、自己中でムカつくくらい身勝手な動機で行った善意でも、それで人が助かってるならその点だけは評価すべきだと思います。
結局、善人も偽善者も、それを決めるのは自分自身。主観と決めつけ以外では他人の善も偽善も語れません。
どうせ主観でしかないなら、厳しく減点方式で人の善行を見るのではなく、最低限きちっとした基準だけを設け、あとはゆったり甘めに見ればいいのではないでしょうか?
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