生きる意味なんて分からない、生きる目的を見失いそうなあなたへ

世の中
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生きる意味って何なんでしょうか?

多分、行き詰まった人、絶望を味わった人、哲学的思考を持つ人なら1度は行きつく悩みだと思います。

別に自ら望んでこの世に生まれたわけではありません。生まれた環境、自分の限界、能力、容姿と、変えようにも変えられない要素もたくさんあります。

で、これだけ不確定で変えられない要素ばかりで構成された人生であれば、自分の生まれた意味が何か見えてきそうなものですが……現実は何も見えない。

窮地に陥った時にこそ「意味」という答えが欲しくなりますが、そういう時に限って何も見えてこないんですよね。

で、周囲を恨んでも神様を憎んでみても、何なら自分なりの目標を探して前向きに頑張ってみても、これまた上手くいかない。

そのうち匙を投げて、最後までうまくいかない人はこういう考えにたどり着くのです。

「何のために生きてるのかわからない。もう生きたくない」

私も昔こういう考えに至ったことがありました。ですが、なんか色々見えてきて結局吹っ切れて今を生きている次第。

今回は、そんな私のある意味極端な「吹っ切れ」「開き直り」の視点から見た生きる意味という奴を考えてみようと思います。

生きる意味なんて深いものはないです

生きる意味なんて存在しない……とまでは言いません。ただ、個人的には、生きる意味を語るのに「使命」だの「責務」だのと堅苦しい言葉は必要ありません。

信念を持って生きるのも自分の理想を追い求めるのも、正直そういう崇高なものを持ってる人に任せておけばいいでしょう。

自分は、楽しく、後悔無くできるだけ好きに生きる。正直、これさえ意識しとけば生きる意味としては十分でしょう。

なに、本当に立派な生き方とか必要なんてありません。ただ自分が気持ちよく生きて、ある程度好きなようにやれて、死ぬときに後悔無く人生を終えられる。それだけで生きる意味はあったも同然で、それ自体がしょーもなかろうが遠大だろうが大した問題ではありません。

こんな悩みを抱えている以上気楽に生きるのも難しい環境かもしれませんが……一度頭を空っぽにして、「生きる意味」なんて極端に大きな話は忘れ、頭の中をシンプルにしましょう。

そうですね……とりあえず、今は「今の環境のままでいたいか、いたくないか」。ここから考えてみましょうか。

小難しい話って意外と救いにならない

生きる意味が分からなくなったり人生に迷ってしまった時、とりあえず宗教とか哲学とかを知れば何か見えてくる気がしてきますよね。

ですが、正直あれはあくまで答えを得るためのヒントでしかなくて、実際に自分で考えて答えを出せなければ意味がありません。

宗教を信じても見えてくるのは量産化された明確な基準の上での使命感で、哲学や心理学を学んでも即席で使える答えは1つもありません。

心理学とか哲学とか宗教とか、んな小難しいこたぁどうでもええ。

別に生きる理由が「おいしいご飯を食べるため」「ふかふかベッドで眠るため」とか、そんなしょーもないのじゃ悪いんですか?

正直、生きる意味という命題は人……特に現在進行形で生き地獄にいる人にとっては重すぎるテーマだと思います。余裕が無いと脳はフルに動いてくれないですしね。

小難しい教えも自分なりの答えに昇華できれば大いに使い物になりますが、今はそんなはるか先に役に立つかどうかという要素よりも、目の前にあるものを見てみましょう。

目下注目すべきは、今目の前にある幸せ、今この場でやりたいこと、今の自分にできることの3つでしょうか。

どれも「無い」と悲観することなく、辛抱強く探してみましょう。幸せだけは環境次第といったところですが、やりたいこととできることは見つかればそれだけで少しは生きる希望も湧いてきますよ。

人生詰んだ時こそシンプルに

「人生詰んだ!」と言う時ほど、複雑に物事を考えてしまうと全然うまくいかなくなるものです。

失業上等!フリーター上等!ニート上等!

無能もクズも、一生非モテの生涯独身も、そんなデメリットどうでもいいです。

肝心なのは、今その環境の何が気に入っていて、何が気に入らないのか。まずはそこだけです。

生きていていいのかとか余計な話は一切不要。まずはシンプルに考えましょう。今の自分と何が好きか、何が嫌いか。

今の要素で嫌いなものがあれば、今度はその嫌いを脱却するためにどうするかのフェイズです。

とりあえず脱却のための方法を思いつくだけ思いついて、それから自分でも使えそうな手段を取捨選択していきましょう。

まず追い詰められている人に必要なのは相談先です。ひとまず相談相手を見つけて、自分の気持ちをぶちまけてしまうのが手っ取り早いですね。

というか、そういうつらい時に味方がいないのでは、基本的に立ち行かなくなってしまいます

もし身近にそういう信用できる人がいないなら……ちょっとアレですがお金を出して雇ってしまうのも手。ビジネスである以上お互いその場の付き合いですし、気持ちをぶちまけても裏切りなどの心配はしなくて済みます。 以下、一例としてリンクを貼っておきます。

どうしてもという方は、後ろ向きでもいいので検討してみてもいいかもしれません。

▼電話占い

その悩み有名占い師が解決します《電話占いヴェルニ》
▼オンラインカウンセリング

【TALKFULLNESS 】

かもみーる

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脱却手段は色々あるよ!

現状脱却のための手段って、全くなさそうで案外色々あるものです。

ここで肝心なのが、今見えているものだけが全てではないという点。今段階で完全に詰んでいるのなら、自分が踏み込んだことのない領域やまだ見ぬ世界に視野を広げるのも悪い手ではありません。

例えばニートである自分が嫌いって人なら、とりあえずバイトでも始めてみましょう。一応警備員とか運送業、土木関係あたりなら人が少ないので門戸は広いはずですよ。正社員も目指せるかもしれません。
接客業も門戸は広いですが、見た目や清潔感が特に重要視される点には要注意ですね。

とりあえず金をいくらか稼いで、余裕ができ始めたころに自分の人生を振り返ってみても遅くはないはずです。

どうしてもニートをやりたいけど後ろ指を指されるのが嫌なら、「今は雌伏」と割り切って期間工でもやって、余った金で不労所得の仕組みを作っていけばいいでしょう。

無能呼ばわりされてきついなら、それこそ得意分野を知るのは急務です。

恋愛運の無さから絶望感を味わっている人は……とりあえず「どいつもこいつも案外見た目ばっか見てる」という事実をまずは認識しましょう。ある程度の年齢までは、見た目がいいだけで素敵な人扱いされます。

どうしても見た目に自信が持てないなら……いっそネットとかで女の人と仲良くするのもいいかもしれません(筆者はTwitter経由で恋人を作ってます)。

ただし、この場合も下心は変に抱かないように。高望みせず、まずは気兼ねなく話せる異性の友達から作るのが大事です。
何と言っても、いきなり恋人候補にまで距離感を縮められても、相手目線だと怪しすぎて警戒しちゃいますからね。

とにかく急がば回れです。ただの友達として何となく仲良くしていると「いいなぁ」と思ってくれる人もいるかもしれませんし、そうなると見た目のハードルも最低ラインくらいまで下がりますよ。

とまあこんな感じで、案外やれることって残ってるパターンも少なくないんですよね。

何もできずに死ぬよりは、何かやって死んだほうが気持ち的にもマシですよ。どうせ失敗してもやり直し出来ない事は少ないのです。やれそうなことからコツコツと、少しずつ人生をマシにしていきましょう。

生きるのに崇高な理由は不要!

「世の中をもっとよくしていきたい」とか「不幸な人に幸せを」とか……そんな御大層な夢を語っている人は、幸運にも「これだ!」と思える道を見つけた人か、あるいは空虚な綺麗事を並べているだけの食わせ者くらいのものです。

普通の人はどれだけ崇高な事を言っていても、所詮は他人の受け売り。実のところさしたる悟りも開いていないのが事実です。

そんなもんと自分を比べて、変に劣等感を抱える必要もありません。使命に酔いしれて他人を見下す者の本質などたかが知れています。

それよりも、今は単純に少しでもマシに生きる方法の模索です。

週1で焼き肉が食べたいでもいいし、昼間から酒が飲みたいでも構いません。あるいは世界一周旅行、スケールが縮んで国内旅行、満漢全席……なんでもいいです。

とりあえず小さなところから少しずつ目的を叶えていくのが人生です。とすれば、目先すら安定しない時に深いテーマを考えても仕方がありません。

とにかくシンプルに、出来るところから、ひとまず今やってみたいことをやってみる。崇高にして偉大なる使命も、結局はその繰り返しによって生まれるものです。

とりあえず老荘読め

哲学など不要なんて言っておいてなんですが……とりあえず地獄を見ている人にも(というかむしろそういう人にこそ)知ってもらいたい哲学も中にはあります。

いわゆる道教という奴で、仙人とかの道に関係する教えですね。

人は自然の大きな流れの中で生きており、ただ生きているだけでその人という人物を構成しているのだ」と、そんな感じの教えを説いたものでしょうか。

とりあえず老子とか荘子なんかから手に取って、読んでみるのもアリではないでしょうか。以下の書籍なんかは所々はしょられてますが、解説付きで初心者向けの構成なので読みやすいですよ。

結局、人生と言うのは気負って四六時中燃え続けるだけが全てではありませんし、「結果を出す奴だけが偉い」と言うのもあくまで人が勝手に定めたルールです。

別に「結果を出さない奴はみんな死ね」なんて法律が作られてるわけでもなし、まずは自分の身の周りから固めてのんびりやっていきましょう。

人生に小難しさは不要

結論言うなら、人生に小難しさは不要です。邪魔です。無意味です。

大いなる使命も尊大な野望も、もともと目の前の「気に食わない」をどうにかしようとした結果生じたもの。一足飛びに「生きる意味とは」なんて考えた結果それを得た人間はまずいません。いたとしたら多分異次元レベルのヤバい人です。

我々凡人は、そんな大逸れたことを考えず、まずは今この場でやりたいこととできることから考えましょう。そうやっているうちに、そのうち大望も芽生えるというものです。

そもそも分相応と言うのはそういうことを言うんじゃないでしょうかね?

何も見えなきゃ、とりあえず今目の前の事だけで充分です。まずやりたいことをやってみて、続けるために必要なこともやって、そうやって少しずつ自分の版図を広げましょう。

生きる意味も人生の目的も、「今やりたいこと」を無視した先には存在しません。

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