助けたのに感謝されない理由6つ

自分の生き方
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助けたのに感謝されない。お礼のひとつも言われない。でも、ネットでよく見る「自己満で助けてんだから文句言うな」みたいな論調は好きじゃない。モヤモヤする。

今回は、そんな感じの人に向けた記事ですね。結局感謝されることは不可能ですが、まあ救いの一つになればと思います。

助けたのに感謝されない理由

とりあえず長々と前置きを語ってもアレです。早速感謝されない理由から考えていきましょう。

当たり前だと思われている

まず一番はこれですね。「それくらい当然でしょ?」というやつです。要は相手基準で感謝するに足りない行動だったというわけですね。この記事を見にきた人向けに言えば、恩知らずというやつです。

きっと感謝するだけの度量か脳を持ち合わせていないのでしょう。放っておくのが吉です。

まだ足りないと思われている

人間の欲は無限大です。感謝ではなく、もっとももっとと求める心が芽生えてしまう人もいるでしょう。

感謝すれば、そこで支援は終わってしまう。だからあえて感謝しない。というか感謝したくない。だってもっと欲しいから。

おおよそ、心理を表すとこんな感じでしょう。もっと大きな自己犠牲を要求される前に離れるべきです。

求めていたものと違う

人間、自分が思っていたのと違うことをされて感謝できる人はなかなかいません。

例えばお金が必要なときにお金持ちから稼ぐ方法を教わっても、「そんなことよりお前の金をよこせよ」と思ってしまいますよね。あれと一緒です。

まあ金持ちが教える稼ぎ方みたいに役に立つことができたかどうかはまた状況によりますが……ともあれ、感謝されなかったことを気に病むことはありません。この場合は次に活かせばいいのです。

たんに感謝を忘れていた

信じられないかもしれませんが、忙しなさのあまり感謝を忘れるうっかりさんもこの世の中には存在します。

特に足早に立ち去ったりなんだかトロくさそうな人だった場合、たんに忘れてしまっただけという可能性が低くないはずです。

もはやどうにかできるものではありませんね。この場合は忘れてあげたほうがいいかもしれません。

ありがた迷惑だった

誰かを助ける上で、もっとも忌避すべき状況がこれです。助けたはずが逆効果だったり、全くと言っていいほど役に立っていなかった点。

まあ助けようという気持ちと結果は元来まったくの別物ではありますが、それを簡単に切り分けられないのは人として仕方のないことと言えるかもしれません。

もしここに該当してしまった場合は、相手に感謝を求めるのも難しいでしょう。次からは自分がどう人を助けるか考え、同じことが起こらないように努めるしかありません。

ナメられている

ナメ切った相手に感謝するほど、多くの人は人間性ができていません。ナメられてしまえば、それだけでも助けたところで感謝される可能性がぐんと低くなります。

多くの場合、原因は助けすぎですね。自己犠牲は自分が辛いだけでなく、相手からナメられて軽く見られることにつながります。

割れ窓理論というものもありますね。傷ついていたり大事にされていないものは、大抵の人からするとぞんざいに扱っても構わないものに見えてしまいます。

この場合はまず、自分自身を大事にするように努めたほうがいいでしょう。自分がナメられない人間になることで、結果として自分自身が感謝される人間になっていきます。

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善行に対して思うこと

ネットではしばしば「感謝を求める卑しい心を改めろ」「そんなものは善行とは言わない」と謎の上から目線で説教する人が続出していますが、ご安心ください。しない善よりする偽善です。

あかつき
あかつき

この辺、筆者が大体もやってるポイントですね。

あ、ちょっと毒吐くかもなんでこの下閲覧注意です

大体、ああやって上から目線で説教垂れている人の中で、本当に善行を働いている人が何人いるのでしょう。私は基本的にゼロだと思いますね。

結局、偽善者とはああいう人たちのことを指すのかなと思う今日この頃。そんな連中の言葉、いちいち気にする必要はありません。善を働こうという気持ちだけでも、少しは世の中を良くしています。

もっとも、善行のつもりで相手を苦しめてしまったのならば反省の気持ちは必要ですが……私から言わせればそれはそれ、これはこれ。感謝を必要とする卑しいものだろうがなんだろうが、結局善行を働こうとしている気持ちそのものは輝かしいもののはずですよ。

まあ状況や相手によってどこまで助けるかとかどう助けるかという問題は常に考えなければなりませんが、とりあえず人を助けようとした心そのものは否定されるべきではないはずですよ。

とはいえ……

なんだかんだ言いましたが、それでもありがた迷惑の可能性がどうしても付き纏うのが善行というやつです。この問題、残念ながら切っても切り離せないんですよね。

いわゆるスラックティビズムと言われるものですが、善行のつもりがなんの役に立ってない、あるいは逆に人の足を引っ張る可能性も大いにあり、それを「よし」とするのはまた何か違います。

本当に相手を助けたい、本当に感謝されたいと思うのであれば、行動に起こす前に相手の立場に立って、それが本当に必要なものかどうか、どのように役に立つのかを考えるようにしてください。

ここを意識するだけでも行動の質は大幅に上がりますし、それだけ相手にとってもありがたいと思える行動が増えていきますよ。

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結局どうすればいいのか

自分がダメなところは直す。それでダメなら、馬鹿な奴だと思って今後一切無視一択。これでいいと思います。

結局何をやっても無視する奴は無視しますし、感謝しない奴は命を救われても悪態をついてきます。

一番つまらないのは、ああいうのや周りの善行を否定する連中を相手にして、結局善行そのものが馬鹿馬鹿しく思えること。違いますか?

感謝できる人とだけ仲良くすればいい。これ、人間関係の鉄則と同じです。

振り向かない人ではなく、こっちをしっかり見てくれている人を大事にしてください。変な人のつまらない悪態や無視をいちいち気に病むほうが馬鹿らしいです。

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