運が悪いのは自分のせい……?自己責任の本質を今こそ考える

自分の生き方
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「運が悪いのは自分のせい!」「自己責任!」なーんて言葉、最近流行ってますよね。

個人的にはバカバカしいと思ってしまいますが……まああれもあれでひとつの真理でもあるのかもしれません。

正直私個人の意見としては、真っ先に「心身の傷をこれ以上増やさない事」が最優先ではありますが……案外、自身にもまだまだやれることもあるのかもしれません。

今回は、その「まだまだやれること」をいろいろと考えてみましょう。

「自分のせい」は傷の元!

実際に不幸が自分のせいかどうかはどうでもいいです。ただ、「自分が悪いんだ」と念じるのは、精神衛生上非常によろしくありません。

事情も知らないうちから「不幸なのはあなたが悪い」と臆面もなく言う人の多くは、「あなたのせい」という言葉の重みがわからない人か、あるいは不幸な人間への追い打ちを楽しむ外道です。

今回は「不幸は自分のせい」を掘り下げて色々語っていきますが……正直、わざわざ真に受けなくてもいいですね。

というか、つらい時にわざわざ真正面から受け止めていたら身がもちません。

そもそも、他人のしょーもない責め苦にいちいち反応していても、余計な傷が増えて生きづらくなる一方です。

どんな言葉であれ、時に受け流すことも幸せに生きるための大事なスキルですよ。

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自己責任の真意にこそ答えがある

さて、ではここから本題。「お前の不幸はお前のせい」の真意……というか、重要になってくる部分だけを抜き取って考えてみましょう。

何故不幸が自分のせいなのか……これは、言ってしまえば「自分が意識を変えたり動かない限り、不幸の元は絶てないから」に他なりません。

ようはあなたに原因があるのかどうかはどうでもいい。自分自身で不幸の根元を取り除くように行動・工夫しないと、本当に自分のせいだろうが理不尽な仕打ちだろうが不幸はいつまでもついて回ります。

例えば物を無くしたのなら、部屋を片付けるとか置き場所をきっちり決めれば大抵は防げます。

人が協力してくれないなら、今後は人望を得られるように人との繋がりは大事にしましょう。

周囲から露骨に悪意を向けられて本当にその場にいるのが苦痛なら、居場所を変える以外にやれることはありません。いじめられてるなら、証拠を集めれば被害者として悠然とその場を去れるかもしれませんね。

このように、何に原因があれど、案外自分で対策できることは結構あるものです。

「不幸を自分のせいにする」というのは、「自分でやれる対策をしっかり考え、次に活かしましょう」という意味です。それ以上の何でもありません。

万引きをされた店が万引き対策をしなくていい理由はありませんし、詐欺の被害者が騙されたことを教訓にしないとまた騙されるのが関の山です。

自分が被害者であれ理不尽な不運であれ自分の過失であれ、まず自分にやれることをしっかり考えて行動に移しましょう。もっと言えば、これさえできてれば不運の所在なんて考える必要ありません。

要するに、不運に対する責任の所在を自分にする必要は一切なし。ただ今後同じ不運に酷い目にあわされないよう、自分でできる対策を考えて実行。これ以外に必要なことなどありません。

まず追い詰められている人に必要なのは相談先です。ひとまず相談相手を見つけて、自分の気持ちをぶちまけてしまうのが手っ取り早いですね。

というか、そういうつらい時に味方がいないのでは、基本的に立ち行かなくなってしまいます

もし身近にそういう信用できる人がいないなら……ちょっとアレですがお金を出して雇ってしまうのも手。ビジネスである以上お互いその場の付き合いですし、気持ちをぶちまけても裏切りなどの心配はしなくて済みます。 以下、一例としてリンクを貼っておきます。

どうしてもという方は、後ろ向きでもいいので検討してみてもいいかもしれません。

▼電話占い

その悩み有名占い師が解決します《電話占いヴェルニ》
▼オンラインカウンセリング

【TALKFULLNESS 】

かもみーる

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どうしようもない時は……

ロクに考えもせず「できる対策なんて存在しない!」と泣き叫んだり怒り喚くのは感心しませんが……そうは言ってもどうしようもない事、あるいは対策をいくら施したところでその上を行く不運が訪れることもあるでしょう。

あんまり不幸が続くようなら、一旦対策は後回し。深手を負えば休むのが一番です。

よく休み、よく遊び、そして学んでまた対策を考え、次に備える。どうしようもない不運に出くわした時の、私なりの黄金パターンです。

しっかり休んで傷を癒し、適度に遊んで心を前向きにし、そして新たな技能や知識を得て、次なる飛躍に活かしましょう。

運が悪いばかりに。他の奴らが足を引っ張ったせいで。

こういう思いはいくら正しくても、どこかで切り離さなければ次に進めません。

変に思いつめず責任の所在ばかりを考えず、次に活かせることをする。何だかんだ、それが一番建設的なのです。

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