明るい人って、なんか羨ましいですよね。
この世のどんな地獄、どんな不幸、どんな悲惨な経験も豪快に笑い飛ばす嘘みたいな人も時々見かけます。
今回はそんな「明るい人」に関する話。
ぶっちゃけ、たまーにいるんですよね。「明るくていい人だけど……なんか変?」と少し引っかかるような人。
その明るさ、実は裏があるのかも……?
人間の感じる「違和感」はだいたい当たる
「この人明るいけどちょっと不気味」「いい人だけど、なんか怖い」などなど……たまーに掛け値なしのいい人なのに、なんとなく違和感を覚えることがあるかもしれません。
で、こういう場合……割と高い確率でその直感は当たっています。
人間の第六感は意外と馬鹿にならないもので、「おかしい」と感じたものは結構な確率で何かの歪みをかかえています。
「いつも明るい人なのに」
「すごくいい人なのに」
それでもどこか引っかかってしまう場合は、もしかすると大きな闇を抱えているのかもしれませんね。
そのうちの1つが、今回の話題の「人間不信」です。
まあ人によっては人生そのものを諦めてたり単にあたおかレベルで明るいだけだったり、あるいは明るい人を演じてよからぬことを企むド外道だったりいろいろありますけどね……
明るくていい人が抱えている人間不信の呪い
さて、では「人間不信」の一点に的を絞り、明るくて性格のいい人たちの抱える闇を大まかに切り分けていきましょう。
私が占いや相談、あるいは私生活で関わった人たちを見ての分類になりますが、人間不信なのに明るい人たちはだいたいこんな感じの人です。
・人への期待がめちゃくちゃ低い・あるいは無い
・弱みを見せたら刺されると思っている
明るい気持ちが天性のものならいいのですが、やっぱり人間不信というだけあって、無理して明るく振るまったり、いい人であることを辞められなくなっている人が多いです。
本当はつらい、苦しい、耐えられない。
そんなことを思いながら明るく振るまうしかできない人も、決して少なくはありません。
「明るくなければ・性格がよくなければ嫌われる」という呪い
世間では明るくてポジティブな人の方がいいとされてますし、性格がよくていろいろ気配りをしてくれる人の方がいろんな人に好かれます。
こういうタイプの人は、非常に明るく人当たりもいいため、いろんな人から「素晴らしい人だ」と言われることも多いです。
ですが、誰からもいい人と言われるような人ほど、実は無理をしていたり演技であることが少なくありません。
特に人間不信なのに明るい人に多いのが、無理に明るく振るまっていい人でいようとするパターンです。
「暗い部分を見せたらみんなに嫌われる」
「親切でいい人じゃない私に価値はない」
と、優しく周りを励ます裏では、痛々しいまでに自分を追い詰めてしまいます。
自尊心が低く、素のままの自分をまったく信用できない人の多くが「明るくていい人」の仮面を被り、自分の気持ちに蓋をしてしまいます。
無理矢理元気を絞り出して、本当は自分が1番泣きたいくらいなのに誰よりも笑い、誰よりも優しくみんなを支えることでなんとか人に認めてもらおうとする。
一見すると素晴らしい生き方に見えますが、さすがにこれでは人生しんどいばかりです。
案外性格が良くても嫌う人は多いですし、自分の素の部分を出しても好きでいてくれる人はいます。
思い切って、自分の本性を出せる場を作ってみると、もしかすると気持ちが少しは楽になるかもしれませんね。
むしろいい人を演じるばかりに無茶苦茶な欲求を押し付けられて、答えられなきゃ「クズ」認定してくるとか……そういうのも結構あります
人への期待値ゼロでいい人になる?
人に期待しない人、あるいはどうでもいいと思っている人も、案外明るかったり人に優しかったりします。
このタイプは、他人が何をしても「まあこんなものでしょう」で許してしまう寛容な人たちです。
つまり自分の要求に応えても応えなくても「こうなったのか、なるほど」。なんなら裏切られても最悪殺されかけても「人間こんなものでしょ」。
要するに誰も信用しないし、何にも期待しない。だからこそ明るく振るまうなんて朝飯前だし、どうでもいいからこそいい人として当たり障りなく他人と関わります。
ですが、そのぶん本音が見えてこないので1番不気味さを感じやすい人たちかもしれません。
心の底では誰も信じていないので無条件でムラなく人に優しくできますし、場合によっては人生にも期待していないので、どんな不幸も「人生そんなもの」と割り切って明るく生きることができます。
ある意味、悟ったような人たちですね。
「人も世の中も悪くてもともと」とある意味吹っ切れた結果、妙にポジティブでいい人になった……。そんな人も、ある種人間不信の闇を抱えた明るい人と言えるでしょう。
まあ別に悪いことではないですけどね、こういう人たち。
ある意味裏表のないですからね。後腐れも変な気遣いもなく付き合えます
人類全てが敵と思えば……
最初に解説した「明るくいい人でなければ嫌われると思っている人たち」に被る部分もありますが、人に隙を見せたくないという人も明るい人を演じることも少なくありません。
というより、義務感や疑問で明るく振るまう人たちよりもさらに強い呪いを受けています。
「弱っていること、傷ついているところに気づかれると、みんな攻撃してくるはずだ」
そんな強迫観念に囚われて、人に弱みを見せられない人もいます。
おそらく、過去に人に裏切られたりいじめられたり、壮絶な経験をしてきたからこそ誰も信用できなくなったのでしょう。
ガチモンの人間不信タイプですね
このタイプの人たちは、おそらくちょっとやそっと優しくしたくらいでは簡単に心を開いてくれません。
むしろ場合によっては「何か企んでいないか?」と不安になって、距離を置いたり最悪の場合敵とみなされるかもしれません。
どのタイプにも言えることですが……もしも距離を詰める場合には、距離感を意識して踏み込みすぎないようにしましょう。
救うのに大事なのは「十分な心の距離」
さて、ここまで「人間不信なのに明るい人、いい人」について3パターンに分けて解説しましたが……正直どれもかわいそうな反面、なかなか癖のあるタイプだと思います。
もし傷だらけなのに無理している人を見て「見ていられない!」「なんとかして助けたい!」と思った優しい人にこそ注意して聞いていただきたい事があります。
それが、心の距離感。
例えば冬場に大活躍する、ぽっかぽかのカイロ。あれ、暖かくていいですよね。凍えた手も、カイロを触っていると暖かくなってほぐれていきます。
ですが、カイロが1番熱いタイミングで素手で握るのは、さすがに熱すぎて厳しいですよね。最悪やけどの可能性もあります。
あるいはストーブでも構いません。あれもあったかくて気持ちいいですが、直接触るとやけどするのは間違いありません。
ちょっと強引な例えではありますが……彼らを助ける、あるいは信用してもらうというのは、凍えてしまった心をカイロやストーブで温めてあげるのと同じことです。
あんまり距離を近づけすぎると、人の心も「熱すぎる」と離れていってしまいます。カチカチに凍りついた人間不信の心なら、なおさら熱すぎる温度に敏感です。
ちょっと心を許してくれたと思って油断していると、あっという間に向こうが耐えられなくなって逃げてしまった……ということもあるかもしれません。
人間不信な人と接する時こそ十分に距離を取って、たまには独りで好きにしてもらいながらも少しずつ、慎重に距離を詰めていきましょう。
傷だらけで閉ざしてしまった心は、信じられないくらいデリケートです。
ちょっとオーバーなくらい距離を置いて接してあげるのが、なんだかんだ1番安定するかもしれません。
いい人、明るい人たちが抱えた闇
というわけで、いい人だけど、明るいけど違和感を覚えるという人たちは実は人間不信かも……?という話でした。
正直、凍りついた心が完全に溶けるのは簡単ではありません。ですが、いつかは溶けてほしい。そうでなくても、せめて少しでも多くの人にそういう事実を知っておいてほしい。
あくまで私個人の気持ちを表すなら、そんなところでしょうか。
とにもかくにも、人間社会はストレスばかり。ふとした拍子に絶望し、闇落ち、ないしショックのあまり殻に閉じこもってしまう事も少なくありません。
せめてそういう人たちが、自分の心を偽る事なく出せる場を少しでも多く持てますように……
ただそれを陰から祈るばかりです。
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