時代遅れの根性論は死ぬほど嫌いだが、今こそ正しい使い方を考えてみたい

世の中

根性論って、世間で嫌われてますよね。はい、かくいう私も大嫌いです。

いじめられようが殺されかけようが冤罪で犯罪者に仕立て上げられようがホームレスに落ちぶれようが、「気合と根性さえあればどうとでも立て直せる!」とか、どう考えても無理ですね。逆境においては、根性よりもむしろ運がものを言います。

私も昔いじめられていた時に、親から「逃げずに立ち向かえ!気合で乗り切れ!」と言われてましたが、結局どうにもなりませんでしたね。最後には山に逃げることで事なきを得ましたが、あのままでは殺されててもおかしくなかったでしょう。

とはいえこの根性論にも、もしかすると使い方次第でいいこともあるのでは?

今回は根性論の見方を変えて、できるだけフラットに根性論の用途を考えてみましょう。

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気合と根性は不要なのか

まず根性論に欠かせない気合と根性について。

「気合を入れればどんな困難も乗り越えられる!」

「根性があれば不可能は無い!」

とまあ、根性論の根底はこういう「気合と根性は万能で最強なのだ!」という清々しいまでの脳筋思考で構成されています。

あかつき
あかつき

正直、シンプルに頭悪いですよね。主観だけど。

本当に気合と根性だけで健康体のまま何でも手に入るなら、絶望も過労死もこの世に存在しません

根性論はどう考えても脳筋です。インテリジェンスの足りない、頭が悪い理論だと思います。

気合と根性が魔法のように万能ならば、この世はもっとみんな笑顔でお花畑のミラクルハッピーになってるはずです。

正直言えば、目的も限界も知らずにただ振りかざすだけの一般的な根性論は、無意味どころかマイナスにすらなりかねません。

なんせエネルギーの消費量が馬鹿になりませんからね。間違っても何にでも使えるような代物ではありませんし、持続力もありません。無理に持続しようとすれば死人が出るレベルの危険な思想でしょう。

じゃあ気合と根性は一切必要ないのか? 頑張らなくても問題は解決するのか? 努力無くして不幸は脱却できるのか?

私は「根性論」は嫌いですが、気合と根性がどんな時でも一切必要ないとは思えません。むしろ、死ぬほどダサい根性論にすがってでも動かなければ手に入らないものも少なくないでしょう。

結局どれだけ根性論を嫌おうが、プランを立てて詰めるところまで詰めたら、最後に実行するかしないかは気力の問題です。

現状が嫌で抜け出したくても白馬の王子様なんてそうそう現れるものではありませんし、やはり自分自身が動かなければ状況は変わりません。

気力が無ければ実行できないし、継続もできない。尻込みしては行動できないし、三日坊主で簡単に結果を出せる可能性もとても低い。

やみくもに振り回すには危険な思想ではありますが、熱意と気合無くして何事も満足にやりきることはできません。

そういう意味では、気合も根性も必要なものだと言えますね。

目的とリソース管理は必要不可欠

というわけで、計画を立てて「実際に動く」という場面では根性論も価値があると私は思います。思うのですが……当然、実際に行動するときに「気合があれば何でもできる!」と闇雲に突き進むだけでは話になりません。

苦しくても前を向いて、気合と根性で困難に立ち向かう。まぶしいしすごいとは思いますよ。ですが、乗り越える前に自分自身がダメになってしまっては意味がありません。

というわけで、根性論を持ち出す前に、大事なこともあるのではないでしょうか。

  • 根性で耐えて、その先に希望が本当にあるのか
  • 目標達成に必要なもの
  • どこまで頑張れるのか(自分の限界)

気合と根性を持ち出す前に、最低でもこれくらいはしっかり考えておく必要があるでしょう。

「頑張っていれば必ずどうにかなる」と自分に言い聞かせても、実際に意味のない事ばかりを頑張って骨折り損で終わっては意味がありません。

頑張り過ぎて心や体を壊してしまうのはどう考えてもアウトです。「体を壊してやっと一人前」とか言う奴は論外です。

ちゃんと結果が出るまでのシナリオを作って、結果を出すために必要なものをしっかりとリストアップし、「ここまでやってダメなら休む」ときちんとした限界ラインを定めるのが気合と根性に頼るまでの最低限の筋道です。

目的地も必要なものもわからないのに休まず頑張るだけでは、無駄なことで体を壊して終了です。

脳筋な考え方だからこそ、頭を使ってきちんとした用途で使用すべきです。

「おだてて伸ばす」と根性論の併用

根性論を使う上で限界ラインと同様に重要なのは、「折れた心には気合も根性も宿らない」という点です。

要するに、気合と根性はポジティブな精神にしか宿らないという点は、根性論を持ち出すなら嫌でも留意しておくべきでしょうね。

気合と根性を発揮して死ぬ気で頑張るには、どうしても頑張った先に相応の見返りと勝算が必要になります。要するに、根性は無理矢理にでもひねり出すものではないというわけです。

とにかく厳しいことを言っておけば「なにくそ!」と負けず嫌いを発動する人なら、まあある程度はついてくるでしょう。

ですが、日本人のほとんどは自己肯定感も自信もありません。生来気弱な人が無謀な目標を示したり自分を追い込んだところで、燃えるどころか絶望感を覚えてやる気をなくすだけです。

あかつき
あかつき

逆境でテンション上がる人しか生きてちゃいけないなら、最低でも人類の8割は消す必要があるんじゃないですかね。

それくらい、逆境に心躍り武者震いする人は少ないということです。

では、自信の無い人はどうやって自分を奮い立たせればいいのか、あるいはそんな人間をどう扱えばいいのかというと、おだてて伸ばす!これです。

育ってないものは育てるのが基本。放置してたら勝手に強くなるなんて、ソーシャルゲームの世界はともかく現実では有り得ません。

ならば、気合と根性が宿るレベルまで褒めて伸ばして、自信を付けていけばいいわけです。

ちょっとしたことでも成功体験を積んでいけば、人間自信はついてくるものです。

例えば最近やってなかった家事をちょっと片付けた時に「やればできるじゃん」くらいには自分に声をかけてやるとか、苦しい時期を乗り越えた時に自分へのご褒美を用意するとか……最初はそんなところでいいでしょう。

そうやって、「やればできる」「努力が実を結ぶ」という実感を強く持って、ようやく根性論に耐えられる精神が作られます。

「根性を入れれば弱気は消し飛ぶ」なんて寝言ばかり言ってる人に騙されちゃダメですよ。

あくまで物事は順序が大事。まず何よりも自信、気合と根性はそれから身につけましょう。

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押し付けは論外

「無計画な根性論の押しつけ」に関しては、もはや言うまでもありません。論外です。

気合と根性は人を奮い立たせて行動や実践に駆り立てますが、同時にめちゃくちゃしんどいです。負荷がアホほどかかります。

人間、どうやったって限界があります。その限界を破った先にあるのはもっと強い人間ではなく、死とか絶望、よくて体を壊して入院する未来です。

限界まで頑張ることは、あくまで手段のひとつであって目的ではありません。

そこをはき違えて無駄に試練ばかりを人に与えるのは、意味もなければ収穫もありません。無意味に相手の人生が終わるだけです。

あかつき
あかつき

人の人生を壊して知らん顔。

そんな横暴がまかり通るのが、頭の悪い人が唱える根性論。

これはゆがんだ人しか信じなくなるわけだ

「人にやれと言われたから」という理由で限界まで走り抜き、その上で無事生還できる人はそう多くはありません。そもそも人は、「これを頑張ったらいいことがある!」というモチベーションがあってようやく全力を出せるものです。
周囲が欲しいのは成長そのものではなく、成長した先にあるものです。

人を全開の本気にさせたいのなら、全力を尽くすだけの価値ある目標と限界ラインの設定は必須。それができないのなら、残念ながら周囲には「ほどほど」のレベルで頑張ってもらうしかありませんね。

根性論って頭を使う!

根性論というと「根性は魔法と一緒!それさえあれば何でもできる!」と思考停止で使う人を思い浮かべますが……彼らの使い方が壊滅的に間違っていることだけでもご理解いただけたなら幸いです。

気合も根性も万能ではないし、自分自身を心身ともに消耗させてようやく発揮できるような危険な代物です。

ですが、気合と根性無くしてここ一番で底力を発揮できないのもまた事実。

自分の限界から必要な労力まで計算し尽くした上で行動する場面では、どうしても気合と根性が必要な場面も出てくることでしょう。

あかつき
あかつき

要するに使ってる人の頭が悪いからダメなだけで、100%必要ないゴミ理論とも言い切れないと……

私は死んでもゴメンですけど。

扱う上では非常に頭を使う考え方ではありますが、うまく使えた時は非常に心強い……かもしれません。

とにかく、リスクや自分の限界、目標と事細かに考えて目標ラインを設定した後は、最終的に行動あるのみです。

自分が設定した限界ラインや目標達成まで粘るには気合と根性、そして何より、そんな無茶苦茶な努力に耐えられるだけの体力と精神力が必要になります。

もしもやりたいことや夢、目標があるのなら……根性論とそれを活かすための計画が必要になる場面もあるでしょう。

そういう時に気合と根性を発揮できるよう、時々にでも「やればできる!」と頭の悪い獣みたいな考え方を持ってみるのも、悪いことではないと思いますよ。

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